第八話 凶悪殺人鬼アカゲ

 バチバチと辺りが燃え盛る。

 パキリ、パキリと柱や梁が焼けて割れる。

 ───灰を被ったような髪色の娘が、じっと何かを見つめていた。

 ギイ、と開いたクローゼットの戸の中から、見つめていた。

 今にも張り裂けそうな恐怖に心を殺され、涙でぐちゃぐちゃになりながら、なぜか目が離せなかった。


 ……見つめる先に、一人の男が立っている。

 男もまた、クローゼットの中の娘をじっと見つめていた。

 赤く赤く燃えていく。


 カキャン、男はこちらへ何かを投げ捨てた。

 メラメラと燃える炎のゆらゆらと照る光を反射して、輝く金属の板。

 これは、定規。刃のついた、定規。

 朧げな情景で男は何かを告げる。


「───は…君……す事……きな……」


 上手く聞き取れない。

 上手く、聞き取れない。

 娘は、男をじっと見つめていた。

 何もできない。

 ただ、眼は釘付けに、じっと見つめていた。濡れたままの瞳で。


「……に、よ……て……な……」


 声が……。

 男の声が段々遠く、聞き取れなく……。

 聞き、取れなく。


「私を───殺しに来い」


「!」


 ゾワッと身の毛がよだつほど鮮明な声で男は言った。

 途端に、情景は渦の中に加速しながら吸い取られていく。全てがごちゃ混ぜになって、やがて自分の形が保てなくなりながら、渦の中に吸い込まれていく……。


 男は、白い頭髪を揺らして……踵を返し、どこかへ……行ってしまう……ようだ……。

 吸い込まれていく。

 去り際に見えた……男の……右眼に……は、深い傷跡が……あっ……た…………。


───────────────────


 バッ!!と勢いよく上体を起こす!


「ハア……ハア…………」


 浅い息を深く吐こうとしながら、長火鉢ツキは額に手をあて、前髪をわしゃっと掴んだ。

 汗を拭い、呼吸を、整えていく。

 ……深く息を吐いた。


「同じ夢……」


 ツキは右眼だけ閉じながら眠そうに項垂れた。

 そのまま寝ぼけ眼でごそごそと包帯を探す。


「……」


 ひゅっと手繰り寄せた包帯。

 短い包帯と長い包帯、2本に分かれている。


「……」


 長い髪の毛を後ろでまとめて、短い包帯でぎゅっと縛り上げ、自慢のポニーテールを取り戻す。


 長い包帯で右眼をぐるぐると覆い、そのまま額を何周かして後ろで縛った。

 これで普段の長火鉢ツキが完成した。


「ふわぁ……」


 あくびをした。上体を起こしたまま両手を毛皮にぽんと置いて、右の方を見る。

 焚き火はすっかり消え尽き、廃材の小屋にはひんやりとした空気が染みていた。


「……」


 何かが足りない気がする。そんなことを静かにツキは思う。

 大切なことを忘れているような、そんな気が……。


「……あ」


 肌寒い室内を見回して、自分以外に誰もいないことを確認する。


「アカゲ」


 呼んでみた。


「おいアカゲ」


 反応はなく、部屋の静かな空気に声は吸い込まれていくばかりだ。


「あのバカ」


 そう呟いて、ため息をついた。


 ぎゅうん。

 ツキの腹が鳴る。


「……」


 何も言わずに、一人。

 食事の準備を始めた。


─────────────


 ……倒壊したビルの屋内。


「炭化人間から自力で身を守る術を持たぬ人間を、我々は保護しておる」

「もちろん、上界から落とされた罪人達も同様に、じゃ」


 アカゲは顎の髭を撫でながら、目の前のサガミに尋ねた。


「それは、“情報源として”───ですか?」


「察しがいいのう!その通りじゃ」

「上界から追放された罪人を下界の人間が受け入れる……。その理由なんぞ、上界の技術や情報目当てでしかないわい」


 サガミは笑いながら、キッパリと淀みなく切り捨てた。

 しかし、分かる話だ。下界人のグループに属する元上界人というレッテル自体、それだけで不信感を募らせる者もいるだろう。“無理な情け”を通し続ければ、次第に歪みが生まれ、やがて集団は破綻してしまう。

 だから完全な損得に置き換え、罪人達を扱うのである。


「───お前さんは、ああ、なんじゃったっけ」


「冬崎ですよ」


「ボケとらんわい」

「あー……ああそうじゃ、思い出した」


「?」


 サガミはゆらゆらと揺れるランタンの火を見つめながら、満足そうに微笑んだ。


「───うむ、“殺人”じゃ!」


「さ、殺人……?」


 いきなり何の話だろうか


「ほほほ、お前さんの罪じゃよ」


「!」


 殺人……!そうだ、昨日も同じことを言われた。

 冬崎アカゲは殺人の罪で下界落としを受けたと……。


「“凶悪殺人鬼、冬崎アカゲ”。お前さんのことじゃな?」


「き、凶悪殺人鬼……?そんな二つ名がオレにあったなんて……」

「つか、何か事情知ってるんですか!聞かせてください、オレが何者なのか」


 なんと、アカゲは凶悪殺人鬼なのだという。凄い話だ。


「ふむ、面白そうじゃ。教えてやるかの」

「ええとな、冬崎アカゲはどうやら“知能犯”らしいんじゃな」


「知能犯」


「“護国楼営第二工学研究所”、という名前に心当たりはあるか?」


「心のどこかに引っ掛かる響きではありますね」


「お前さんの元職場らしい」

「かなりのエリート研究員だったそうじゃよ、冬崎アカゲは」


「おお」


「そして、人を殺した。深夜の路地裏で、“ナイフで滅多刺し”にしてな」


「それ、知能犯って言いませんよ……。正しくは知能を使って企てる犯罪、もしくはその犯人のことですからね」


「ふむ、路地裏で滅多刺しは確かに、知性のカケラも感じられんのう」


「その通りです」


 おおよそ事情は分かった。しかし、アカゲはもう一つの真実を知っている。

 突き付けてやるとしよう、この爺さんに……!


「ですが、実はオレ、人殺しじゃないっぽいんですよね」


「ほう、狂ったか?」


「いやそれが……」


 警察の部隊がアカゲを連れ戻しに来た時の話をした。冬崎アカゲは冤罪である、そう確かに告げられたのだ。


「ふむ……。何とも信じ難い話じゃの……」

「ワシはかなり情報通なんじゃが、お前さんが冤罪だという情報は初耳じゃ。……少なくとも昨日の時点では流れとらん」


「マジか」


「それに、“下界まで連れ戻しに来る”というのも妙じゃ。下界に落ちた時点で人権は事実上喪失……。例え冤罪じゃろうが、容赦無く見捨てられる」

「───お前さんが、何か特別な存在だとしたら……話は別じゃがな」


「ちょっとテンション上がりますね」


 ……と、そこで。

 ぐうるる。

 アカゲの腹が鳴る。


「なんじゃ、腹減っとるか。食いモノをやろう」


「いやいやそんな」


 む!とサガミの顔が険しくなる。


「いかん、食わねば。炭化人間に襲われた時、どう力を振り絞るつもりじゃ」


 続けて言う。


「脚の力が抜けた途端、待ち受けるのは“死”のみだ。幾人もの仲間が喰われてきた、命を軽んじるな」


「は、ハイ。遠慮なく……」


 アカゲは気圧されながら頭を掻いた。

 サガミは横にあるバカみたいな大きさのリュックに手を伸ばし、ガチャガチャと漁り始める。そして何かを掴んで、ごそりと引き抜いた。脚?

 黒ずんだミイラのような脚だ。膝から下にブツりと斬り分けた脚が姿を現した。

 こ、これは……。


「炭化人間だ!」


「そうじゃ」


「えっと……これを、食べる?」


「そうじゃ」


「……」


 マジか!アカゲの頭に電撃が疾った!

 今から冬崎アカゲはバケモノを食う!


「食べなさい」


「わぁ」


「なんじゃ情けない声を出しおって。怖いか?」


「……えっと、元は人間なんですよね。そう考えたら、なんかちょっと、申し訳なくて」


「ワシも最初はそうじゃった。じゃがな、食うしかなかった」

「……感謝して頂く、それが唯一の弔いだと考えておる」


 何とも言えない表情のまま、アカゲはごろんと転がった炭化人間の脚を見る。

 ふくらはぎの干からびたような表面は波打ちながら硬化し、微妙に光沢をもっている。ギュッと縮まって細くなった脚。過食部位はあまり多くなさそうだ。

 サガミはそれを懐から抜いたナイフで、ギリギリと削ぎ取っていく。

 鮭とばのような形になったソレを、アカゲに手渡した。


 ほれ、と食べるように勧める。

 アカゲは、決意を固めた。


「───いただきます」


 覚悟を決めて口へ運ぶ。

 グッ、グッ、固い肉を奥歯でビーフジャーキーのように噛んでいく。


「モグモグ……これは……モグモグ」


「どうじゃ」


「……微妙に味がある」


 ほほほとサガミは笑った。


「なぜだかのう、炭化人間の肉は複数の栄養素が凝縮されていてな。コレだけ食べていても、生きていける。ビタミンC不足による壊血病にもならんから安心せい」


「なるほど……モグモグ……。味は不味いです。薄くて、変な風味の、固いビーフジャーキー……」


 アカゲは感想を述べながら時間をかけて食べきった。


「ご馳走様でした」


「うむ。どうじゃったかの」


「罰ゲームとかでなら食べます」


 ほほほ、笑いながら次のビーフジャーキーを拵え始める。

 ギリギリと肉を削るサガミを横に、アカゲはふと思い出した。昨夜のツキの言葉。

 ───“食糧を持ってきてくれる、お客さんだよ”。


「ああ、そういうことか……」


「ん、何か言ったかの」


「ああ、いや……。そうだ、シチューとかは、食べたりしないんですか?缶のやつ」

「ホラ、ここら辺って微妙に肌寒いですし」


「缶……?そんな高級品は下界にはないぞ。確かに鹵獲した上界の兵器には、たまに積んであったりもするが」

「そんなモノは滅多に食わんし、手に入れたら迷わず売るじゃろうな」


「そうですか」


 ツキが飲ませてくれた温かいシチュー。

 それを思い出す。


「高級品ね……」


 焦げ付かないようゆっくり混ぜながら焚き火で加熱する彼女の姿を、思い出した。

 ツキなりの、“歓迎の証”だったのかもしれない。あのシチューは。


「何じゃ呆けた顔をして。ほれ、新しい肉じゃ」


 サガミはそう言って、追加のビーフジャーキーを差し出した。モグモグ。

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