第四話 ネコ舌シチューと下界の中心

 暖かな淡い炎の音で目を覚ました。


「う……」


 ふと横を見れば錆び付いた五徳が、焚き火の光をキラキラと纏っている。

 天井からぶら下がる温かい白熱球の明かりに照らされ、空間には生活感が灯る。なんだか落ち着く場所だった。身体はくたくたな茣蓙のようなものに寝かされていて、アカゲは


「ああ……」


 と声を漏らす。

 カタリと何かを置く音が聞こえて、ジャリ、地面を擦る音もした。


「……お、げほっごほっごほっ」


 何か喋りかけて咳き込む娘の声。


「長火鉢、ツキ……」


 アカゲは目を閉じたまま彼女の名を呼んだ。


「……おはよ、覚えてるじゃん」


「そりゃまあ、えっと───」


 仰向けのまま額に手の甲を当てて、少しまた目を開く。


「色々あったもんで……」


「どこまで覚えてる?」


 右手を顎に移動して、髭をジョリジョリと触り、考えるようにした。


「前回のあらすじ。上界にいた頃の一切の記憶を失ってしまった冬崎アカゲ。右も左も分からぬまま炭化人間と呼ばれる怪物に襲われかけるが、長火鉢ツキという下界人の娘に命を救われる」

「そしてどうやらオレは殺人の罪で下界に落とされたらしいが、オレを救出に来た空飛ぶ警察から“えー、君は、実は犯罪者じゃなかったよ!”と衝撃の事実を聞かされる。そこで何故かお前と一緒に逃げることを選んだ冬崎アカゲは気付けば薄暗いボロ屋で目覚め、自分の選択に今、とても反省している……というところかな」


「一回外で寝てみるか?」


「や、冗談ですって。後悔は全然してないんで……一ミリも……」


「あっそ。言っとくけど布団は一枚しかないから。私が眠くなってお前を外に放り出さないうちに起きとくのをオススメするぞ」


「ええもう今すぐ……あいたたた……」


 後頭部をさすりながらゆっくり上体を起こすアカゲ。

 ……そういえば!と思い出した。


「なんか、あり得ねータイミングでアンタに殴られましたよね!完全に感動の場面だったでしょ!いきなりなんすか、ええマジで」


「くだらね〜〜〜!何か重要なこと思い出したのかと思った私がバカだった。別に感動の場面でもないし」


「確かに“暴力バカ娘”には分からないかもですね、情緒っつーもんが」


「誰が暴力バカ娘だオラ、“変人キモ男”が」


 あー?と互いに睨め付け合う二人。

 不意に


「……あ、ちょっと待って」


 とツキが制止する。まな板のような木片に置かれたL字の金属棒を、そのまま手に取る。

 箸を持つようにクルリと回して手を伸ばした。

 焚き火の上に跨った五徳に乗っかる何かの缶詰。パッケージにはSTEWの文字。

 コトコトと煮える中身を雑にカタカタと掻き回す。


「なんすかそれ」


「シチュー。混ぜないと焦げる」


「ふうん」


 カタカタ。


「……」


「……」


 カタカタ。


「……邪魔、だった」


「オレが?」


「そう。暴れられたらちゃんと投げれない」

「お前のふざけた頭で予想外のことされるとスゲー困る」


「それで勢い余ってぶん殴ったと……」


 うーん、ツキは少し手を止めて頭を捻った。


「あと、子ども扱いされてウザかった」


「……」


「……ムカついた」


 笑っている!背後でアカゲは笑いを堪えている……!


「……ウ……お前、いくつよ」


「19だ、教えただろ!」


「19ね、大人の歯とかもう生えてます?」


 ギュッと後ろを振り返る!


「テメー、もう一発いっとくか?ああ?」


「シチュー焦げますよ」


「おっとおっと……」


───────────────────


 一息ついてシチューを分け合う二人。

 ツキとアカゲ、横に並んで座っている。


「お前、先飲め」


 手が熱くならないように粗末な麻の布で包まれた湯気の立つ缶詰を、ツキはグイッと差し出した。


「いやいや、オレはいいよ」


 譲ろうとするアカゲに、ツキは控えめに首を振る。


「私、ネコ舌だから……」


「……。そりゃどーも」


 あざすと一言、受け取った。

 ゆっくりと一口飲む。

 温かなシチューが少し形を残した具材と一緒に流れ込んできて、沁みる。


「ああ、これ、美味え……」


「フフン、そーだろそーだろ!」


 少しばかり輝いた眼をして身を乗り出す娘。


「でもやっぱ……お米が欲しくなるよなあ、シチューには」


「あー?文句言うなら飲むな、返せ」


「嘘です嘘です!単体でもうすご〜く美味しい!」


 と言って二口目に入った。ゴクリ、ゴクリ……。

 ───これは、二口目と呼ぶには余りにも多過ぎる!

 アカゲは横から滲み感じる“圧”を辿ってツキを見た。

 眼を見開いて唖然とした表情のツキ……!

 ……なんだか気まずくなって、アカゲは半分だけ残ったシチューを差し出す。


 焚き火の温度をジワジワと肌で感じながら、シチューの温度で身体の芯を温めながら。ゆらゆらと光が照らしていた。


「アンタ、ここに住んでるのか」


「うん。なかなかいいでしょ」


 建物の瓦礫とトタン、バス停の残骸などを組み合わせて成る小屋のようなシェルターのような、そんな家だった。人二人が少し歩き回れる程度の広さはある。

 所々によくわからない収拾物が雑多に置かれ、子どもが夢見る秘密基地にも似た雰囲気だ。錆びついた鉄柵の肌を撫でながらツキは言う。

 

「よし、早速教えてもらおうかアカゲ」


「なんでしょう」


「上界への行き方」


「知りませんよ、そんなの。検索エンジンじゃねーんだわ」


「検索エンジンって何」


 深くため息をつくアカゲ。頭をぶんぶんと振って白髪をワサワサ揺らした。


「ココに落ちてくる前の記憶がないって、さっき言ったでしょうが」

「……で、上へ行ってどうすんのよ」


 質問に、ツキは天井を仰ぎ見、身体を奇妙にゆらゆらさせながら答える。


「……旅行とか。美味しいもの食べるとか、かな?」


「はぐらかし方に無理があるぞ……」


「……」


「話したくないなら、構わないですけどね。別の質問に変えますから」

「───そうだな。例えば、アンタの身体の事とか」


「な、なんだよ……」


 ツキはズザ、と後退りした。


「……アンタ」

「足の速さも、跳躍力も、怪物を一刀両断するパワーだって、映画なんかのスーパーヒーロー並みでしたよね!……下界人ってもしかして、みんなアンタみたいに特別な力を持ってたりする感じ……?」


「いや、身体が丈夫なのも力が強いのも、私だけ。私みたいに動けるヤツは、まあ、いないと思っていいぞ」


「なるほどね。要するにオレは、安心安全に守られてるってワケですか」


「どうかな?お前の態度次第だと思うけど」


 ツキは側に置いてある刃を持ち上げ、ギラリと脅してみせた。

 出会った時、彼女が右手に包帯で縛り上げていた物だ。


「あ、アハハ……。ってあれ」

「ソレ、さっきは暗くて見えなかったけど、“定規”だったんだな……」


 アカゲの言う通り、金属の角張った刃にはメモリがびっしりと刻まれている。

 キラリと素晴らしく鋭利な刃が、武器としての実力を物語っていた。


「この定規は……私の大切な物だ」

「失くさないように、いつも結んでる」


 ツキは静かにそう言った。

 彼女はたぶん包帯マニアだ。包帯で刃を握り、包帯で髪を束ね、包帯で右眼を覆っている。

 というか、なぜ右眼を……?

 ……気になるアカゲはツキの眼を見つめる。


「な、なに……」


 少し恥ずかしがってツキは顔を背けた。

 場合によってはデリケートな質問かもしれないから、アカゲは慎重に尋ねる。


「───その眼の包帯、もしかして怪我ですか」


「あ、ああ。これ?」

「これ気になるか?」


 意外にも、あっけらかんとしたツキの表情。

 しかし油断はできない。こういうヤツほど、いきなりグロい傷を見せてくるかもしれない。というか、ツキが負傷する程の敵って相当ヤバくないか?傷であって欲しくない。“ものもらい”とかであって欲しい。……アカゲは聞くべきじゃないことを聞いてしまったのかもしれない、様々な考えが頭の中を駆け巡る。


「これはね……」


 勿体ぶってツキが言う。少しニヤニヤしている。

 ……ゴクリ。


「“魔眼”だね。封印してる」


「中二病じゃねーか」


 珍しく、ひひひと笑う長火鉢ツキ。

 呆れた様子で手をひらひらさせるアカゲ。

 ツキは案外、ノリが良いのかもしれない───。

 ……とその時、不意に“赤い光”がキラリと廃材の屋根を照らすのをツキは見る。そして立ち上がって、言った。


「アカゲ、外出るぞ」


「え、何すか急にちょっと」


 アカゲの右手首をパシッと掴んで、引っ張った。立ち上がりながらおわっとよろける。まさか今から放り出されてしまうのだろうか?

 アカゲはグイグイ引っ張られて、玄関と思しき戸の錠をツキは外す。


「上界人のお前に紹介してやる」


 ギイ、と戸が開け放たれる───!

 オレンジ色の光がぶわっと境界を越え差し込んでくる。一気に室内は染まり、アカゲは眩しくて咄嗟に目を瞑る。


「これが“画鋲”の下、下界の中心。地名はハコネガサキ」


「う……」


 ゆっくりと目を開け、光に慣れていく。順応する。

 大きく広がる天井、空は暗く、だがその縁の部分から強く光が刺す。

 オレンジ色に光を放つ美しい地平線。


「夜の地とも呼ばれる、ほとんどの時間は陽の光が届かないから」


 空を覆い尽くす巨大な円盤の中心からは、街一つ分くらいある太さのタワーが上空から地上まで深く地面に突き刺さり、影は光をバッと垂直に遮っていた。


「陽が差し込むのは、夜明けと日没の一瞬」


「今は……後者だな」


「……わかるの?」


「朝焼けと夕焼けじゃ赤さが違うんです」


 赤く照らされたアカゲの横顔を、ツキは見上げた。

 この奇妙な男、見ていると、なんだか不思議な胸騒ぎがするのだ。


「空気中の塵や水分が……」


 アカゲを遮って、ツキはおもむろに語りかけた。


「ねえアカゲ」


 なんですか、と見下ろし言う。


「アカゲは、なんでここに残ったの」


 うーん、と頭を抱えて答えた。

 思い返すのは二人の出会いの情景。


「正直、明確な理由があるワケじゃないんですがね、あの時何だかここに残らないといけないような気がして……」

「───そう、声だ。女の子の声が頭の中で聞こえて……」


「声?」


「ツキが、どうとかって……」


「あーそういやお前、なんで私の名前知ってるんだ?」


「名前は知りませんよ、ただ声が聞こえただけで」


 ツキは腕を組み、こちらを見た。


「うん、つまり偶然だな。よし、今から警察行って上へ引き渡そう。まだ遅くないだろ」


「……下界ジョーク?」


「いや?」


 あの時心の中に響いた声、アレは何だったのだろう。

『───ツ……キ……を』

 見知らぬ“少女の声”が妙に忘れられない。

 記憶のカケラのようなモノだろうか。


「オレは、運命に選ばれたのかもしれません」

「───あの声を、無視しちゃいけない気がする」


 そう静かに呟くアカゲ。


「まさかそういう方向で頭のおかしいヤツだとは思わなかったなぁ」


「“封印されし魔眼”は人のこと言えないでしょうが」


 お互い軽く睨み合って、ちょっと笑う。


「危ないから、そろそろ戻りますよ。日が暮れたら活発になったりするんじゃないの、その“炭化人間”たちは」


 お、と振り向くツキ。


「ご明察。なんで知ってんの?」


「ゾンビとか大体そうだから」


「ゾンビ?」


 ご自慢の武器も置いてきてるでしょうよ、とアカゲは小屋の中に戻っていく。


「ねえゾンビってなに?」


「それは後でな」


「ゾンビ……」

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