第五話 ミナグロ病と中二病

 ガンガンガンガン!


「うわ!」


 柄にもなくアカゲは驚く声を出した。

 何者かによって戸が叩かれたのだ。


「オイ、ツキ。なんか来てるぞ……」


「あー」


 ガンガンガンガン!ガンガンガンガン!


「炭化人間だろ……すげえ叩いてるよ……」


「食糧を持ってきてくれる、お客さんだよ」


「客……?」


 ツキはよっこいしょと腰を上げ、右手で定規を拾い上げた。

 チャキンと固く持ち直して、あくびをしながら玄関へ向かう。


「ふわぁ……はーい、どちら様ですか」


 ガンガンガンガン!


「うるせーな」


 そう言って左手を振り払い錠をパキッと外す!

 ドン!戸が開いた。


「ガア……」


 顔を出したのは異様に痩せ細った浅黒い身体。背は2メートルぐらいで、その身をかがめてこちらを覗いていた。

 まさしく、炭化人間である。


「バケモンじゃねーか!」


「らしくねーぞアカゲ、お前コイツ好きだろ」


「いい、いい、いい、閉めて閉めて閉めて」


 ツキを見た炭化人間はガパッと大顎を開け戸をくぐり彼女の頭に喰らい付く、その瞬間!

 ザキュン!刃を振るって大きな頸を刎ねた。


「はい、一丁あがり」


 ゴトリ、アカゲの真横に頭は転がる。

 ドサ。

 残された首から下は、グタリと力を失って、ゆっくりと地面へ倒れた。

 血は流れず、炭を切ったような断面である。


「ハイ、質問」


「なにかな」


「コレのどこがお客さんなんだ」


「あのなあ、“コレ”とか呼んじゃ失礼だろ。“ミナグロ病”に罹ればお前だってこうなっちゃうんだからな」


 ミナグロ病……。心のどこにも引っかからない響きだ。

 ツキは定規をまた地面に置く。


「……まさか、ミナグロ病も覚えてないの?」


「いやあ、お恥ずかしながら……」


 炭化人間の首無し胴体を運び終え、手をパンパンと払って、アカゲを見る。


「イチから教えなきゃいけないのか、お前ホントめんどくせーな」


「アンタが殴った時にすっぽ抜けたっつー可能性も考えて欲しいな」


 うーむと首を捻って、ツキは言う。


「───たまに“黒い雨”が降る。それに一滴でも触れると感染するんだ」


「黒い雨?それが病原か」


「そう。でも雨の成分自体に害はなくて、雨水が地面に落ちる前に触れるとミナグロ病になる」


 しばらく考え込むアカゲ。


「雨は何十年もの間、定期的に降ってる。この“傘”の外に出れば、アカゲもわかるよ」


 そう言って天井越しに上空を指差した。


「黒い雨以外は?」


「いつもはちゃんと普通の雨が降るよ、黒い雨は二ヶ月に一回くらい」


「なるほどねえ」


 アカゲは顎に手を当てて、胡座をかいた膝に左肘を乗せ、なんとも言えない顔をした。


「で、こうなると」


 そう呟きながら、アカゲは側にあった炭化人間の頭を両手で持ち上げる。なかなか思っていたよりも軽い。

 ツキはひょいと近くに座り込んで、しばらく黙り込み、思い出すようにしてアカゲに語り始めた。


「ミナグロ病に感染すると、記憶が飛んだり、意識を失ったり、錯乱するんだ」

「それから段々、人間に対して異常な食欲を覚えるようになってくる。特に“脳”が好みらしい」

「末期になると、徐々に体の内側から“炭化”し始める。身体が完全に炭化し終わると、そいつの生体機能が止まる」

「でもな、身体が死んでるのにヤツらは動き続ける。しかもな、みるみるうちに骨格と筋肉が変形していくんだ」


 アカゲは顎の短い髭を触りながら聞いていた。


「で、こうなる」


 そう言ってアカゲが持っている炭化人間の首に目を合わせ、手をひらひらとさせた。


「病気とかいう言葉で括っていいレベルじゃないな……」

「というか、随分詳しいんですね」


「父が医者だ」


「どうりでね」


 アカゲは少し考えてから言った。


「うーんと、今の話を聞く限りじゃ、ヤツらの正体は……」


「正体は」


「───ゾンビだな」


「でた!ゾンビ!」


───────────────────


 ゾンビについて詳しく語るアカゲ。

 興味深々に聞くツキの姿があった。


「ふむふむ」


「……で、頭や頸を狙って無力化しなきゃなんない。じゃないといくらでも起き上がってしぶといぞ」


「炭化人間も同じ」


「じゃゾンビだ」


「ゾンビだったんだ……!」


 目を輝かすツキ。


「昔の物語にはソイツらが沢山出てきてな。一匹の力はあまり強くないんだが、群れで来るのがこれまた厄介で───」


「そこは違うな。炭化人間は一匹でも強いぞ。アカゲが相手したらフツーに死ぬ」


「のをアンタはバターみたいにスライスしていきますけどね……」


 アカゲはそう言ってツキと炭化人間の首とを交互に見た。


「───ツキ、お前一体、何者なんだ」


「んー。少し丈夫なだけの、普通の人間だよ」


「いやいやいやいや……」


 ありえねー、と頭を抱えるアカゲ。

 よいしょ、ツキはおもむろに立ち上がる。ふわぁ、とあくびをした。


「……眠い、寝る。なんかあったら起こして」


 そう言い残し彼女は、のそのそと歩いて行ってくたくたな茣蓙に寝転び、暖かそうな毛布を手で引き寄せて被った。

 もそもそと深く毛布に潜ってごそごそ蠢いている。

 もぞっと手が突き出て、ぐちゃぐちゃに丸めた包帯を側に投げ捨てる。

 そのまま手を引っ込め頭をずぼっと出し、向こうを側を向いてそのまま寝た。

 と思ったら。


「おやすみ」


 顔の見えないままツキは言う。

 よく見ると長いポニーテールは解けていた。


「ああ、おやすみ」


 アカゲは返す。


───────────────────


 10分後。


「ぐぁっ」


 ツキが鳴いた。どうやらすっかり眠りに入ったらしい。


「ぐう……」


 そういえば、彼女は寝に付く前、包帯を外していた。

 覗き込めば、右眼の正体が分かるかもしれない。

 気丈に振る舞ってはいるが、グロい傷がそこにあってもおかしくはない。

 感染症か何かで赤く腫れていてもおかしくはない。

 これは彼女の心を救う為でもあるし、アカゲの好奇心を満たす為でもある。

 そう、好奇心に駆られたアカゲを止めることは誰にも出来ないのだ。


「魔眼の秘密を暴いてやるぜ」


 ずいっと身を乗り出して、ツキの閉じた右眼を見ようとする。

 かなりの緊張感だ。怪我か、病気か。

 心臓は毎秒驚きながら、アカゲはゴクリと近寄った。

 ツキの右眼が……

 見え…………


 た!!



 そこにあったのは、至って健康的に閉じた瞼だった。もう片方と見比べたところで、傷痕があったり、腫れてる様子は特にない。

 ……そう、ツキは病気だったのだ。


「中二病か……」


 そういえば、大昔の海賊達がこぞって片目に眼帯をつけていたのは、夜中に接敵した際に眼帯を左右で付け替え、即座に夜目を効かせるためだという。

 ツキも海賊なのだろうか?海賊でなければ中二病だ。中二病なのか?


 元の位置にゆっくりと腰を下ろす。

 ふと横を見ると、アカゲのカメラが置いてあるのが目に入った。腕を伸ばしてカメラを掴み、両手で持って観察する。

 カチリとダイヤルを回して電源を入れると、どうやらバッテリーは残っているみたいだ。


「記憶喪失、か」


 画像フォルダを開いたが、写真のデータは一枚も残っていなかった。

 何か思い出す手がかりになるかと思ったが、拍子抜けだ。

 幸い、壊れている感じはない。撮影は可能なようだが……。


 記憶もなく、生き抜く力もない。

 ツキの手助けをしてやりたいが、彼女にとってアカゲはただの疫病神。

 ただのお荷物ならまだしも、上界からの追手にも注意しなければならない。

 ……危険を冒してまで守るだけの価値は、アカゲには無い。仮に記憶が戻ったとしても、それがツキにとって有益なものである可能性は限りなく低い。


「……」


 どのような記憶が戻ればツキを救える?上界に続く秘密の通路?警備を掻い潜るためのパスワード?

 誰がそんなものを知っているというのだろうか。

 

「───オレはアンタが思ってるほど、重要な存在じゃないと思うんですよね」

「ただの、普通の……冬崎アカゲです」

「それだけです」


「う〜んむにゃむにゃ……」


 夜は更ける。

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