第二話 一つだけ聞かせてくれ
訝しげな顔で少女が尋ねる。
「……どういう意味だ?」
「だから、今の細っこい……ヒト?───どうして殺しちゃったんですか!せっかく会話出来そうだったのに」
「───は?何言ってんだお前」
……唖然とした。彼女には、この男の言っている言葉が理解できなかった。
「会話……?“炭化人間”と?マジ……?」
「いやさっき喋ってましたよ」
「ない。マジ、無理。コイツらは喋らない。喋ったように聞こえたのは、ただの呻き声。つか自分の状況分かってる?お前さっき喰われるとこだったろーが、マヌケか?ああ?」
「いやいやいや、言ったんだって!人間がねえ、美味いって!人殺しですよアンタは!」
「頭大丈夫か?逆に心配になってきた」
「そういや、後頭部が……」
そう言ってアカゲは頭のジンジン痛むところをさすった。
娘は後ろに回り込んでそれを見る。
「あー、お前出血してるぞ。血は止まってるみたいだけど」
「マジすか、つかどうしてオレはこんなトコに……」
アカゲは周囲をグルリと見回す。辺りは一面荒野が広がり、涼しい夜風が静かに通り抜けていた。そのまま空を見上げる。
「おお……」
空にはぼんやりと発光する雲が薄くかかり……、よく見れば色鮮やかな光が規則的に並んで明滅している。
赤、緑、青、白……満天の星だった。
「綺麗な夜空だ」
「どこがだよ、今は昼間だぞ?」
「……?」
少女の言葉に、アカゲはうむむと目を凝らしながら悩んだ。
「星はチカチカしねーだろ。あれは、何つーか。人が住んでるトコ……の、裏面?お前もあの上から来たんじゃないの」
「分かんねえ……。目が覚めたらこの場所だった」
唸りながらまた後頭部をさする。
「ほら、暗いけど向こうにデカい“支柱”が見えんだろ。“上界人”は大体あそこから降りて来る」
確かに円柱状の巨大な軸が地上から、遥か上空に向かって伸びている。平たい真円の天井と繋がっている。
空のように一面を覆うこの円盤と軸を含め、“画鋲のような形”をした“超巨大構造物”であることがわかった。円盤の傘のスケール感は“東京都一つ分の面積”。
「まるでSF映画だな……」
小さく明滅する光を順に目で追ってみる。確かに昔SF映画で見たような巨大UFOの裏面にそっくりだった。
「なー」
娘が声をかける。
「コイツ、知り合い?」
鼻無しオジサンの死体を指さす。
「いや、知らない。というか分かんねえ……」
そんな時、死体の奥に大きなリュックを見つけた。おそらくオジサンの所持品だろう。その側に“一台のカメラ”が転がっていることに気付く。
「───オレのカメラ……!」
そそくさと近寄って、ズザと両膝を地につける。カメラを持ち上げて確認する。
目立った汚れも傷もない。アカゲはホッとした。
見た目はいわゆる普通の一眼レフ、少しレトロさを感じさせる外見だ。無塗装の金属に暗いニスの塗られた、木目が輝く無骨なカメラである。
「……」
しかし、カメラをまじまじ見つめてみても、なぜ自分の物だと一目で分かったのかは謎だった。いくら思い出そうとしてもこんな見た目のカメラに覚えはないが、心の奥底に「これは自分のカメラだ」という認識が強くあるのだ。
今アカゲの記憶は、霞を掴み損ねるような白紙であった。がしかし、身体が咄嗟に動いたのだ。記憶を失う前、余程思い入れのあるカメラだったのかもしれない。
とりあえず土埃を払って、首に掛けてみる。
「ダメだな、何も思い出せねえ……」
「記憶喪失ってやつ?」
アカゲは頷いた。
「オレは今、どうしてこんな場所で目を覚ましたのか、今までどうやって生きてきたのか。全く、何も……」
娘が一つ咳払いをする。
「なら一つ、確かな情報を教えてやるよ」
「頼みます」
「───お前は犯罪者だ」
え、とアカゲが息を呑む。犯罪者……?
悪口だろうか。
「上から来る上界人は犯罪者しかいない。上界で罪を犯せば下界に落とされるんだ」
「上界……と、下界……」
アカゲは上空に広がる天井と、今自分が立っている大地とを交互に見た。
なるほど、分かりやすい構図だ。
「うーん、記憶がないってのもなかなか新鮮で面白いですね」
「やっぱお前おかしいよ……頭が」
「あれ、もしかして記憶喪失の原因はオレの犯した犯罪にある……?ホラ、下界に落とす前に上界にいた頃の記憶を消しちゃおう!みたいな」
娘が首を振る。
「それは考えすぎ」
「そんなの分からないじゃないですか、記憶消す薬とか……打たれちゃったかもしれないし」
「あるかよそんなの……。あれを見なよ」
男の死体のそばを指差した。見れば、木製のバットが転がっている。
バットの打撃部には血が滲んでおり、アカゲは自らの後頭部を再度触って、察した。これが記憶喪失の原因……。
「げ……マジすか、どんな王道展開だよ」
「でも実際、犯罪者はちゃんと記憶持ったまま降りてくる」
「ここら辺、そういうの目当ての“野盗”もたまにいるんだよな。そこの死んでる男も多分、金目の物狙いで近付いたんだろ」
「犯罪者なのに、金目の物を……?」
「……持ってねーんだったら、お前のそれは何だよ」
アカゲのカメラを顎で指した。確かに……。と納得する。
「そういう制度があるっぽくてさ、連中は色々持ってくるよ。ゴツい装備、食べ物や道具、機械にお宝……」
「最後の足掻きみたいな感じ?下界で生き残れると、バカみたいに信じてね」
「オレも、そのバカの一人ってことですか」
「どうかな、ちょっと違うと思うけど」
そう言って娘はアカゲの姿を全体的に見回した。連られて、アカゲも自らの状態を確認する。
ダークグレーのYシャツ、薄いイエローのネクタイ、ブラックのスーツジャケットを羽織り、スリムなカーゴパンツ、黒いチェルシーブーツを履いている。全体的に黒でまとまった印象だ。
首から下げたカメラ以外の荷物があるような感じはなく、カーゴパンツのポケットを適当に漁ってみる……。ゴソゴソ。
「やっぱお前、荷物少なくね?」
「ミニマリストだったのかもしれない、オレは」
……危険な世界に備え、他の上界人はたぶんヘルメットとか、防弾チョッキだとかを着込んで来るのだろうけれど。アカゲの場合は違っている。
着の身着のままという驚くべき軽装で、持ってきたのは、カメラ一台だけ……?
何か、準備をする時間もない程急いでいたのだろうか。それとも、確定した“終わり”を受け入れる為の死装束なのか。
果たしてこれは、下界の姿を撮影する為に持ち込んだカメラなのか?記録できたところで、一体どうするつもりだったのだろうか。
「……お、なんか入ってた」
そう言うと、アカゲは何かをポケットから抜き取る。
それは満タンに入った“ケチャップのチューブ”だった。メーカーが印字されたラベルをまじまじとアカゲは眺める。『カゴメ トマトケチャップ』
「腹、減ってます?」
炭化人間と呼ぶ怪物の、先程切り落とした首を持ち上げ口の奥を覗いている少女に呼びかけた。振り向いて答える。
「……ん、まあ、それなりに。てかそれ何、血液か?」
「これはですね、ケチャップといって……ええと。大まかな括りでは食べ物ですね」
「けちゃ……?」
アカゲはクイクイと手招きをする。娘は余所余所しくこちらに来て、知らん食べ物を寄越すなと文句を言いながら、そっと左手の平をぱっと差し出した。
「ああ、いや、まあいいか」
ケチャップをどうしようか迷って、彼女の指先に少し出す。
冷たい感覚に一瞬ひっと声が漏れるが、まじまじと見て、そのうちぺろりと舐めた。
「なっ───」
「どうよ」
「美味しい……!何だこれ!美味しい!すっぱ……あま……うま」
アカゲが持っていた筈のケチャップはいつの間にか彼女にぶん取られて、ぎゅっとチューブを押し潰し、そのまま口に流し込んでいる。凄い勢いだ。
オイオイ、と流石に呆れ顔をしながらアカゲはチューブが空になるのを見届ける。
「ビックリ人間かよ」
「だって美味いんだもん」
満足げな表情でニコニコする娘。なんだか小動物みたいだ。
「つか、ケチャップってそもそも何?」
「トマトを煮詰めて作るソースですよ」
え、と声を漏らす。
「待て。トマトって、あの、グジュグジュでキモい野菜か?」
「多分それだ」
ひい、と呻いた後に感嘆の声を上げる。
「ああやべえ、これならいける、食える!ケチャップ、すげーな……」
「トマトはですね、実はケチャップに加工されても栄養価が高くて、ビタミンCにビタミンE、リコピンだって摂れちゃう優れものなんです」
「特にアンタみたいな成長期の子ども達には必要な野菜ですね」
「19だ、大人だ!私は!」
「19はまだお子様だろ」
「は?ぶっ潰すぞ」
その体躯からは考えられない剛力で胸ぐらを掴まれてグイと引き寄せられるアカゲ!
「だ〜れ〜が〜お子様だって〜〜〜?もういっぺん言ってみろやオイ、ああ?」
アカゲ、焦る。
「ちょっ、強い強いストップ!ストッ──────」
その時……!!
突如として甲高いサイレン、辺り一体に響き渡る!!頭上を見上げれば、ピカピカと赤いライトを点滅させこちらへ何かの群体が近づいて来る!!
音はすぐに近く、大きくなり、一瞬のことである。事態のヤバさに気付いた時にはもう遅く、凄まじい風圧の中、2人は既に取り囲まれていた───。
警察カラーの浮上装甲車輌が15台、2人を中心に包囲する。
ビカビカのライトでバシュンと照らされ、眩しくて2人は思わず目を瞑る。
15台のジェット風圧で凄まじい音だ。
『あ……こちら、“王都警察庁”。“王都警察庁”だ』
ビリビリと空気は震え、一台だけカラーリングの違う車輌から、スピーカーで音が出る。
ハッとした娘は、胸ぐらを掴んだままアカゲの背後に回り、即座、喉元に刃を突き付けた。どうやらアカゲは、人質になってしまったようだ。
装甲車輌からは一八式レイルガンがガチャリと飛び出し、娘に照準を合わせる。アカゲは何がなんだか分からず膝立ちのまま小刻みに震えている。
『旧地残留者に告ぐ。直ちに武器を棄て、男を解放せよ』
「何だいきなり出てきやがって!」
「別にいーけど!説明をくれ!」
風が吹き荒れる中、大きな声で娘は尋ねた。
『その男は“殺人罪”により“鋲郭外追放”に処されたが、のち、司法の誤審が認められ、無罪が確定した。よって我々警察組織がその威信を持って確実に保護する。理解されたし』
「殺人……つか、冤罪なの?」
娘が尋ねる。
「ぐぬぬ……それが一体何の話かすら分かんねえのよ」
『此度の事案は司法の責任に寄るものであり、帰国手続きを済ませたのち、“下限一千万円”の賠償金が支払われることになる』
『我々は、冬崎アカゲの解放を求める。旧地残留者はどうか抵抗せず立ち去られよ』
ほう、とアカゲは呟いた。
「一千万か。なかなか魅力的かも」
「お金が貰えるんでしょ、いいことじゃん。ていうか、こんな場所いたらすぐ死ぬから早く帰れよ」
「そうしますかね」
「それがいい。ここじゃお前みたいなのは生きていけないし、私はそれを助けない」
「見るからに危なそうな世界ですもんね」
「じゃな。もう二度と来んな、私は忙しいんだ」
娘はアカゲの喉元から刃を下ろした。凄まじい風圧は2人の髪を巻き上げる。
「仮にもイノチの恩人だし、今度また菓子折りとか持ってきましょうか?あ、もちろんね、お金の心配はいりませんよ!」
「いらねーよさっさと帰れ。私は忙しいんだ、“ここでやらなきゃいけない事”があんの。……お前みたいなのに構ってる余裕ないから」
『───旧地残留者に告ぐ、直ちに冬崎アカゲを』
「解放するって言ってんだろーが!話聞け!」
「あー、えっと今行きますんでね!スンマセン……」
のっそりとアカゲは立ち上がり、灰色の髪を持つ少女に一瞥。
そのまま、眩いライトに一面照らされ、風圧を感じて歩んでいく。
気付けばアカゲは、少女の言葉を頭の中で反芻していた。
───ここでやらなきゃいけない事。やらなきゃいけない事とは?こんな場所で、少女が一人何かを成そうとしている?……そもそも彼女は何者だ?
彼女と接した短い時間、なんだか心が満たされていた。まるで、今まで生きてきたのが、この娘に会う為だったと感じてしまう程、記憶はないが……なぜだかそう思った。
なんだこの不思議な違和感は。
彼女と共にいなければいけない、そんな気がしてならない。
……けれど、怪物相手に生き残れるような力は自分にはない。
アカゲは雑念を払うように首を振る。そうだ。こんな場所で一人、たくましく生きている子どももいるんだなと感心して、今は帰ろう。
あとは帰る前に何か、やり残したことは……えっと。
───ツ……キ……を。
そう、ツキ。
……?
「……ツキ?」
困惑に満ちた表情で、アカゲはそう呟いた。今のは何だ。頭の中に響いた、“少女の声”。
「……それ、私の名前?なんで知ってるの?」
娘が後ろから呼びかけた。
アカゲは振り返り、彼女の、美しく深い赤に染まる左眼を見た。
「名前、ツキっていうのか」
ツキは、不審そうな顔をしながら頷く。
……。
「たぶん、偶然じゃない。……オレは上界人で、アンタは下界人。接点はない。ソレなのに……」
これはどういうことだろう。頭の中で必死に考える。この謎は何だ、放っておく気にはなれない。さっきの声は誰だ?何かの記憶が断片的に蘇っているのか、だとしてもなぜ彼女の名前を。彼女のことを元々知っていた……?いや、今は情報が足りない。繋ぎ合わせるためのカケラが揃わなければ、この謎は解くことができない……!
「ちょいキモいけど、まあもう会わないしな。名前、覚えて帰っていいよ」
「……」
それとも本当に、単なる気のせいか偶然なのだろうか。
……いや、そうは思えなかった。この奇妙な胸騒ぎが、徐々に強まっていくのを感じていたからだ。
自分は何者だ。目の前にいる少女、ツキとは誰だ。この世界は何だ。上界、下界、炭化人間、空をも覆う
誰かが、頭の中で、じっと自分を見ているような気がした。───ああ。
これは予想か、計算か、何かの勘が告げている。そう…………。
言わなければと。
「最後に、一つだけ聞かせてくれ」
「……?いいよ、一つだけな」
空気が一瞬静かになる。
「アンタは何を目指す」
真剣な表情をして、アカゲはそう尋ねた。
「目指す……もの」
……ツキは少し黙った後、ただ静かに、一言だけ。
「───あの、上」
空を覆い尽くす天井を見上げて、そう答える。それは、静かに燃やす……魂の声だった。
「オーケー。それなら少し、役に立てるかもしれない」
「?」
「───信じちゃくれないでしょうが、頭が回るんです、オレはね」
アカゲは帰るべき場所へと振り返った。
振り返って、鼻を鳴らした。
「……オホン。ちなみに一つお聞きするんですが!その一千万と交換ってことで、後ろのコイツを乗せてもらえることはできませんかね!」
『鋲郭外残留汚染者処置法に従い、残留汚染者……下界人の搭乗を認めることはできない。理解されたし』
汚染……?なんだ、残留汚染者って。
鋲郭っつーのがあのデカい建造物の名称だとして、それの外……つまり下界か。
下界人は残留汚染者である……。つまり、下界には何かしら汚染のリスクがある……?パッと考えて思い浮かぶのは放射線か……。炭化人間とかいう怪物の存在も、ひょっとしてその“汚染”と関わってくるんじゃないか?
頭の中で咀嚼して、次の言葉を選んだ。
ニ、と笑う。
「あー、その理屈だと、下界に落とされたオレも汚染のリスクが高いってことになりませんかね!」
『リスクはあるが、無いと判断して良い確率だ。冬崎アカゲの搭乗は認められている』
「確率ねえ……。ツキとオレに、そう大した違いがあるようには思えませんけど」
ツキはその様子を黙って後ろから見ている……。
「……特別待遇はありがたいですが、オレは既に“上界のルール”が嫌いです。なので一言言わせてください」
風が宙を蹴って吹き抜けた。
「───アンタらがどんなにオレを救いたがろうが、こんな子ども一人すら救ってやれない世界に戻る気は一切ありません」
アカゲが振り向いた。ツキは、驚いたような……軽蔑するような……安心するような。そんな、何とも言えない顔をしていた。
「初めまして。オレは、冬崎アカゲです」
アカゲは頭を掻いて自己紹介した。
「知ってる。さっき呼ばれてた」
ツキは、見えないぐらいに小さく笑う。
スポットライトの中心に2人がいて、どうしようもないくらい適当な始まり方で、風は巻き起こり、物語は回り出していた。
「……ああもう、お前やっぱおかしいって!死んでも後悔すんなよ!」
「───なあに、今始まったオレの人生、命以外に失うモノはないんでね」
「キモいセリフは後にしろ!まずは自己紹介だ」
ニコッと不敵な笑みを浮かべるツキ。
右手に縛り付けられた刃と共にあるその身を乗り出して。勢いよく地を蹴ってアカゲの元へ……!
そして跳躍した身体を捻じ曲げて、遠心力を乗せて、左の拳で───ぶん殴る!
ガツン!アカゲの側頭部にヒット!
ガハッ、と悶絶の声をあげる冬崎アカゲ。その場に倒れ込む!
娘は着地。啖呵を切ってギャンとその刃を地に振り下ろした。
口を開く。
「───私はツキ。長火鉢ツキ」
「上の名前も覚えとけ」
そう、これが彼女との出会いの一幕。
2人が最強コンビになるまでの、その、始まりの記憶。
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