《5》帰路
川島の車は、毒々しいほど鮮やかな青色の外車だ。スポーツカーの類ではなく、某カブトムシの名を冠した、愛らしい形の車。
舌打ちしたくなるような心境で、促されるまま助手席に座る。後部座席には座らせてくれないはずだと、腹は最初から括っていた。
時刻は午後四時の手前。特に話すこともなく、黙って自宅への到着を待つだけだ。
私のアパートの場所は知っているのだろうか。強く念じているわけでもなんでもないが、川島はなにも尋ねてこない。それでいて彼の運転はスムーズで、これは把握されているなとしか思えなかった。
溜息が零れそうになった、そのとき。
「如月、男ですからね」
赤信号で停車し、車内に響くエンジン音が控えめになったタイミングで、それまでひと言も発していなかった川島が口を開いた。
は、と間抜けな声を落としたきり、私はハンドルを握る川島の顔を呆然と眺める。あからさまな私の視線に、川島は堪えきれないといった様子で笑い出した。
「あはは、やっぱり気づいてなかったんですねぇ。まぁ仕方ないです、本人が言うにはクオリティ重視らしいですし。素だともうちょっと声が低くなるんですけど」
「う、嘘だ……そんなわけ」
無理に絞り出した声は、我ながら情けなくなってくるくらいに掠れていた。
ミニスカートから覗く如月の足を思い返す。手入れの行き届いた滑らかな膝、脛……嘘だ。呟いたばかりの言葉を、再び頭の中で叫ぶ。
いわれてみればハスキーな声ではあった。けれど、私自身も女性にしては声が低いほうで、如月のそれに違和感は特に覚えなかった。
「あれで……男?」
思わず呟いたそのとき、ふと彼女――否、彼に対する川島の雑な態度を思い出した。
あの毒舌の理由がようやく腑に落ちる。事実、私の知る川島は、女性に対して人前でああいう態度を取るタイプではない。
「それ、次に会ったときに如月に言ってあげるといいですよ。喜ぶと思います」
続く川島の声はなおも楽しげだ。ごく普通に次があることになっていて、居心地が悪くなる。沈黙を返したところで信号が青に変わり、車はまた静かに走り出した。
事務所を出てだいぶ経った。川島はまだアパートの場所を尋ねない。それでいて、アパートまでの最短距離と思しき道を、迷う素振りもなく進んでいく。間違いなく読まれている。
家の場所を知られてしまった。そもそも、この男を相手に隠しごとができるわけもない。
細道を二度曲がった後、ほどなくして車はアパートの前に到着した。
結局、川島は迷わなかったし、一度も私に道を確認しなかった。
「到着です。合ってますよね?」
「……ああ」
わざとらしく問われ、苦い気分になる。
余計な言葉を重ねたくなかった。だが、川島はふふ、と含みのある笑い声をあげ、それが私の癇を刺激してしまう。
「仕事の話だけど」
「はい?」
「これ以上、私が役に立てることはないと思う。だから今日限りにしてほしい」
声に抑揚が滲まないよう細心の注意を払う。先刻、軽々しく「次」という言葉を使った川島への意趣返しのつもりでもあった。
返事はなかなかない。五秒、六秒、七秒……いい加減痺れを切らしそうになったところで、運転席から長い腕が伸びてきた。
ぎょっと身を引いたものの、わずかに反応が遅れてしまう。男の長い指が髪に絡まり、途端に息が詰まった。
本州を離れて間もなく短くした髪は、あれから四年、今もショートのままだ。四年前の川島が知らなかった髪型をしている私を、空港で再会したとき彼はどう思っただろう。的外れなことを考えている自覚は十分すぎるほどあるのに、うまく止められない。
丁寧に髪を梳かれるその感触は、決して不快ではなかった。相手が川島だからとか、昔同じことをされたときの感覚を思い出したからとか、そういうことではないのだと思う。だが、こんなタイミングで不快ではないと思ってしまったことが、今の私には他のなにより癪だった。
真面目に話を聞けよとばかり、私は隣の川島を睨みつける。
「放せよ。馴れ馴れしい」
「うーん、残念だなぁ」
私が今日限りでアルバイトを辞退することを残念に思っているのか、それとも髪から手を放すことを残念に思っているのか、判別のつきにくい言い方をする。
しかも川島は一向に離れない。とうとう我慢比べに音を上げ、私は露骨な溜息とともに口を開いた。
「帰る。……部屋の中まで入ってくる気じゃないだろうな、さっさと行けよ」
「ああ、それもいいですね。再会の記念に仲良くセックスでもします?」
「帰れ」
今度こそ舌打ちした。冗談だと分かっていても、相手の性質の悪さに辟易してしまう。だいたい、今から出かける用事があると言っていた癖に、減らず口にもほどがある。
私の内心が読めたのか読めなかったのか、どちらにしろ川島はまったく堪えていなそうな微笑みを浮かべるばかりで、嫌気が差した。
苛立ちのまま車を降り、ドアを閉めるときに目が合った。ひらひらと手を振る相手に、わざと見えるように溜息をついて背を向ける。
送ってもらった礼も言えずに……我ながら幼稚な態度だ。川島と一緒にいるときの自分は、今も昔も意地を張る子供じみていて、情けなくなってくる。
階段を上り、部屋の前から駐車スペースを見下ろす。青い車はまだそこに停まっていて、その姿を確認したと同時に震える息が零れた。
私が部屋に入るまで去らない気らしい。そのことも、送ってもらった時点で諦めるより他ないと理解していたはずが、憂鬱な気分に拍車がかかっていく一方だ。
それ以降はもう振り返らないと決め、私は鍵を開け、滑るように玄関に踏み入った。
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