《3》同乗

「ああいう連中は、僕らにとっても邪魔なだけですのでね」


 車に乗り込むや否や、川島は溜息交じりにそう零した。

 珍しく、辟易した顔を隠そうともしていない。


「……僕『ら』?」

「僕と、主に警察ですね。僕のID、見たでしょう。先輩も」


 エンジンをかけながら淡々と語る川島の横顔を眺めたきり、私は黙り込む。

 所轄の警察署名が入ったIDカード……それは今も川島の首にぶら下がっている。この男の職業を考えるなら不自然ではない、さっきもそう思った。田住というあのスーツの男性も、警察官、もしくはそれに関連する職務に就いていると考えて良いだろう。だが。


「連中からなにか言われましたか」

「……いや。県内の連続不審死がどうこう言ってたが、返事はしてない」


 隠したところでどうなるものでもないだろうと、ありのままを伝える。

 一方の川島は、ハンドルを握りながら顔をしかめた。彼のそうした仕種は、私の目にはやはり珍しく映る。


「実は、似たような事件が四件、県内で立て続けに起きてるんです。宇良みゆきさんは四人目の犠牲者でしてね」


 走り出した車の中、しばらく沈黙が続いた後で川島が口を開いた。

 犠牲者、という直接的な言葉が耳に突き刺さる。同時に、私はようやくテレビ局の連中の意図を察した。


『県内で発生しております連続不審死について取材しておりまして』


 同一県内で四件……みゆきが四人目の犠牲者。

 だから、彼らはみゆきの家の傍で取材していたのか。


「いいのか。部外者相手にそんな話を」


 額を押さえて絞り出した声に、しかし返事はなかった。

 赤信号で停車した車のエンジン音が妙に騒がしく耳に残る。信号の赤が必要以上に明るい気がして、チリチリと目の奥が痛む。

 青に変わるまで何秒かかったのか、その頃になって再び沈黙が途切れた。


「まさか先輩が被害者のご友人だったとは。知りませんでした」

「嘘をつくな。知らなかったならなんで空港まで迎えにきた? それに今日だって……」

「片方の話題は聞こえてきて、もう片方は聞こえてこない。よくあることです」

「……あっそ」


 投げやりに会話を終わらせる。

 私が空港に現れることは知っていたが、その理由が宇良みゆきの家へ線香を上げに行くためだったとは知らなかった――川島はそう言いたいのだ。


「こんな地方都市では珍しいんですがね」

「……なにが」

「こういう事件です。怪奇的な犯行である上に、犯人がまだ捕まっていない」


 ぎくりと背が強張った。

 犯行、犯人。当然のようにその言葉を選んだ川島を、ついまじまじと見つめてしまう。運転席でハンドルを握る男の顔はどこまでも無表情で、なおさら不安を煽られる。

 川島の仕事は少々特殊なものだ。その川島がためらいなく犯人という言い方を選ぶのなら、きっとそういうことなのだろう。


「さっきの人……田住さんは、この件で捜査を担当している刑事さんです。同様の不審死が何度も続いてますから、警察としてもさすがに動かざるを得なくなったそうで」

「……ふうん」

「まぁ奇妙な点が目立ちますし、それで僕に声がかかったのかなぁ」


 困っちゃいますよね、と特に困っていなそうな声をあげた後、川島は滔々と続ける。


 前触れなし。外傷なし。急死するような疾患も生活の乱れも一切なく、また日常的に酒や薬物などに溺れていたわけでもない。

 同一県内で四件、立て続けに発生している連続不審死。状況のみを見るなら限りなく他殺の要素が薄く、むしろ自殺に近いという。実際、田住をはじめとした警察側の人間は、おおよそそうした見当をつけているらしい。

 ところが、揃いも揃って直接的な死因が不明。四人とも外傷ひとつなく、眠りに就くように息を引き取っている。全員がベッドや布団の中で、睡眠中に。


 みゆきも同様だそうだ。だが、先刻のテレビ局の者のようにしつこく取材する連中が絶えないのは、妙な共通点があるからだという。

 被害者全員が女性であること。そして遺体発見時、被害者の傍に絵馬と一輪の花が置かれているということだ。

 花は種類も色もまちまちで、あるのは切り花という共通点程度だ。一方の絵馬はどれも同じ物で、縁結びの絵馬。その表面に各々の女性、すなわち被害者たちの氏名が記載され、その隣に並べるように男性と思しき名が記されている――――


「……な……」


 堪らず声が零れた。

 薄気味悪い、などと言いきってしまっていいのか判断に迷う。


「どこから情報が漏れたのか知りませんが、薄気味悪いでしょう。よりによって絵馬だなんて、オカルト好きな連中が大喜びで飛びつきそうな話ですしね」


 巡らせていた「薄気味悪い」という言葉をそのままなぞられ、ぎくりと背が強張る。

 みゆきもそうだったのだろうか。みゆきの傍に、絵馬と一輪の花……絵馬にはみゆきの名とある男性の名が刻まれている。そんなことがみゆきの身に起こったとでも。


 みゆきの母親はなにも語らなかった。とはいえ、そもそも彼女とは立ち入った話をしていない。当然だ。長く疎遠だった娘の友人に、わざわざ娘の死の詳細をこれ見よがしに語って聞かせるはずはない。

 奇怪だ。だが、友人が命を落としたその一連を事件と呼ぶことさえ躊躇してしまうのに、奇怪とか薄気味悪いとかいう言葉を使って表すことに抵抗を捨てきれない。


 そんな不可解な死が、立て続けに発生しているとは。


「もう想像ついてるでしょうけど、お声がかかってましてね。忙しくしてるんです、最近」


 運転中の川島の横顔に、なにがしかの感情が浮かんでいるようには見えなかった。

 この男は、仕事の一環で事件に携わっている。友人が被害に遭った私とは立場が違う。では、なぜ私にこうもベラベラと詳細を喋って聞かせるのか……被害者のひとりと面識があるとはいっても、私は部外者でしかない。


「忙しいなら無理に送り迎えなんてしてくれなくていい」

「それとこれとは話が別ですよ」

「……ふん」


 無表情ながらも、やり取りを繰り返す相手の声は思いのほか楽しげだ。

 川島は、探偵業じみたことをやっている。離縁や復縁、浮気調査といった依頼がときおり入る程度の零細事業だそうだが、難解な事件などが起きた際には警察から協力を求められることもあるという。まさに今、この男はそのような状況に置かれているらしい。

 こんな怪しい男を頼るとは。警察ともあろうものがと不信感を抱きそうになるが、私に口を挟める問題でもない。それに、存外そういった要請は日常的に行われているのかもしれない。一般人が知り得ないだけで。


「お前みたいな奴を頼るとは……どれだけ人手不足なんだ、警察は」

「ああ、それなんですが」


 嘲笑交じりに零した独り言への返事――続いた言葉に、私は息を呑んだ。


「絵馬に記された名前の、男性のほうも全員亡くなってるんです。それもだいぶ前に」


 目を見開き、私は隣の男を凝視する。

 絵馬などという物に加え、どこまで物騒な……そう思いつつも合点がいった。川島はその手の、いわばオカルト的な件について声をかけられやすいと聞いていたからだ。


 連続不審死。判然としない死因。一輪の花。そして、死者の名とともに被害者の名が刻まれた絵馬――今度こそ、ぞっと背が震えた。

 川島の口調には一向に変化がない。基本的には無関心そのものといった態度だが、被害者のひとりが私の知人であることに気を遣ってはいるのだろう。その証拠に、彼の表情は少々硬くなっている。だが。


「部外者にそんな話……まずいんじゃないか」


 先ほどと似たことを零しながら、遠慮がちに運転席へ視線を向ける。

 すると相手は前を向いたまま、声のトーンを上げて続けた。


「うーん。まぁ恋人だし、別にいいかなって」

「……っ、誰が恋人だ」


 反射的に言い返すと、川島はやはり呑気に笑い声をあげた。

 溜息が零れた。飄々とした態度に戻った川島と続ける、だらだらと長引くばかりの、まるで中身が伴わない応酬。これもまた懐かしかった。同時に、少し息苦しくもなる。


 私と川島は元恋人同士だ。大学在学中、たったひと月付き合ったことがあるだけの。


 私たちは同じ大学に通っていた。私は川島より学年がふたつ上だったが、彼は一年浪人しているから齢はひとつしか違わない。

 別れを切り出したのは私だ。その後、私は大学を辞め、間もなく北海道へ向かった。先日戻ってくるまでに、川島とは一度も顔を合わせていない。初めのうちは連絡を取り合うこともあったが、頻度は総じて低かった。

 気紛れの延長、あるいは気紛れそのもの。互いが互いにそんな感じだったから、数ヶ月連絡が途絶えることも珍しくなかった。だが、何度目かに連絡が途絶えたタイミングで私は端末を変え、連絡先のすべてを一掃した。


 この男と連絡の取りようさえなくなってしまったのは、つまりは私のせいだ。


 交差点に差しかかり、車が赤信号に捕まる。

 罪悪感を持て余していると、川島は私に顔を向け、目を逸らすことなく言った。


「改めまして、このたびの件、お悔やみ申し上げます」


 見つめられ、派手に調子が狂ってしまう。


「……なんだよ、急に」

「僕も大人になりましたからね。四年前よりは幾分か」


 四年前という言葉にアクセントを置いた相手の声が、忙しなく頭を駆け巡る。

 過去の記憶を巡らせていた私の内心を、すべて見抜いているかのような口ぶりだ……いや、実際に見抜いているのだろう。


「……あっそ」


 気持ち悪い――喉まで出かかったその言葉は強引に呑み込んだ。

 とはいえ、言葉にこそしなかっただけで脳裏を過ぎりはした。伝わってしまった可能性は十分にある。


 信号が青に変わり、川島は再び前に向き直った。

 それ以降、私をホテルに送り届けるまで、川島はひと言も口を利かなかった。

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