第1章 眠れる死体
《1》再会
じっとりと肌が湿る、この季節特有の感覚を味わうのは久しぶりだ。服が張りつくような感触が疎ましく、同時に懐かしくも思う。
機内から足を踏み出した途端に鼻孔を擽ったのは、梅雨の――故郷の匂いだ。それを当然のごとく受け入れ、匂いという概念を感じ取らないまま生きていた頃もあった。この匂いがしない街もあると知ったのは成人してからだ。
外は雨模様らしい。いわれてみれば、東京から乗り換えた後の飛行機はだいぶ揺れていた。
とはいえ、長旅というほどの道程でもなかった。しばらく生活の拠点としていた北国から、実家のある街に戻ってきただけだ。
『本人はまだ戻ってないのだけど、滞りなく』
葬儀は終わったという。身内のみでひっそり済ませた、と。
電話越しに聞こえてくる疲れ気味の声を思い出す。子を喪ったばかりの親――それも多少なりとも見知った相手だ。かける言葉が見つからず、そうですか、とあの日の私は愚にもつかない返事をしてしまった。
苦い記憶が蘇ったせいで気分が沈む。重い内心を引きずりながら、強引に足を動かした。
空港内でビニール傘を購入する。安っぽいそれを片手に、私はこれからどうしたものかと首をひねった。
今夜の宿は、あらかじめこの近くに予約を取ってある。
『
先日の通話相手の声が不意に頭を過ぎり、ずきりと胸が痛んだ。もう少し落ち着いてから訪ねることにしたほうが良かったかもしれないと、いまさら後悔を覚えてしまう。
なぜ私に声をかけたのかとは思わない。しかし、直接連絡が入るとも思っていなかった。知った直後に顔を出すほどの間柄かと問われれば返事に詰まる。実際、相手とは成人して以降一度も顔を合わせていない。だが。
夜を迎えた空港は、不気味なまでに静まり返っている。
出入り口側のガラス張りの壁から覗く外はすでに真っ暗だ。誰かしらの迎えに訪れているらしき車の、前触れなくつけられるヘッドライトが、ときおり鋭く目を焼く。
……疲れた。
刺すような痛みが目の奥を襲い、思わずこめかみを押さえる。荷物を片手に、私は気紛れに空港内のカフェへ足を運ぶことにした。
店内に客は見当たらず、前を通りかかった時点で気後れしてしまったが、ここまで来て素通りするのも怪しい。半ば諦め気味に入り口へ足を踏み入れた矢先、店内で流れているテレビの音声が耳に届いた。
『……市の山中で、一部白骨化した遺体が発見された事件の続報です。調べによりますと、遺体は三十代から四十代の女性と見られ……』
……聞きたくなかった。誰かが命を落としたニュースなんて、今だけは。
足が止まる。引き返したいと強く思う。不審に思われるかもしれないが、滅多に来る場所ではないのだ、多少不自然な行動になっても構いやしない……割りきって踵を返そうとした、そのときだった。
「お久しぶりです、
背後から唐突に声をかけられ、私は堪らず息を呑んだ。
男の声。聞き覚えのある――いや、聞き間違えるわけがない。昔よりも低くなった気がする。同時に、まったく変わっていない気もする。どちらだろうと考え、しかし次の瞬間にはどうでも良くなった。
余計に重くなった気分を持て余しながら、私は静かに後方へ向き直る。
「……
「知ってますよ。三年ぶりでしたっけ」
「四年ぶりだろ」
「へぇ、よく覚えてますねぇ」
飄々とした態度も減らず口も相変わらずだ。向き直った先には、かつてごく近しい場所でともに過ごした男の姿があった。
声もさることながら、風貌もまた記憶にある姿とほとんど変わらない。無造作に伸びた黒髪には、相も変わらず派手な寝癖が散っている。スニーカーの踵は雑に潰され、もはやスリッパ状態だ。やわらかな素材の服を着崩すさまは、垢抜けた印象がどうこうというより、私の目にはとにかくだらしなく映ってしまう。
……癇に障る。
露骨に顔をしかめると、男は大股で私の傍まで歩みを寄せ、手元の鞄を軽々と取り上げてしまった。
「おかえりなさい。先輩」
「……お前に言われる筋合いはないよ」
「つれないなぁ。迎えにきてあげたじゃないですか、こうやって」
「頼んでない。だいたい、なんで分かった? 私が今日ここに来ること」
最後の質問は目を逸らして放った。男は返事をしない。ふふ、と吐息で笑うだけだ。
帰省の予定も日時も、どの便を使うかも、私はなにひとつ連絡を入れていない。それなのに、この男はここに現れた。互いの連絡先さえ知らない状態で、どうやって私の帰省について知ったのか。
否、それそのものの答えは知っている。
「嫌な手口だ。相変わらず」
「光栄です」
「褒めてない」
咄嗟に返した否定の言葉にも、まるで動じた素振りを見せない。
穏やかそうな笑みを浮かべたきりの男をうんざりと一瞥した後、私は深い溜息を落とした。
この男――
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