第2話 東京からやって来た清楚な馬主

 

 

 肩から、いきなり顔が生えているような猪首いくびの元ラガーマンの支局長から「おい、新人。ここへ取材に行ってくれ」と命じられたとき、正直なところ、ヤエガキ記者は気乗りしませんでした。彼にとって動物ほど縁のないものはなかったからです。


 中学校と小学校の教師をしている両親は、揃いも揃って病的なほどの潔癖症で、

「いいかい、タロウ。動物というものは恐ろしい病原菌を持っているから、うっかり触ってうつりでもしたらたいへんだろ? いいね、むやみに近づいちゃいけないよ」ことあるごとに吹きこまれて育ったので、従順な子どもの当然の結果として、動物と聞いただけで反射的に身構える、あるいは尻込みする人間が出来上がっていました。


 動物好きには信じられない話ですが、道の端を三毛猫が横ぎっただけで、もうその界隈へは行かれなくなりましたし(笑)、あれはたしか小学校3年生のときだったと思いますが、おつかいの途中で、うっかり犬連れのクラスメイトに遭遇してしまったときは、「ちょっとみんな、聞いてくれる~? こいつったらさあ、うちのチワワのモモちゃんに本気でビビッてやんの。こんな図体のくせにチョーかっちょわりいったらなかったぜ」休み明けの教室で暴露され、真っ赤になったこともありました。🐩


      *


 ところが、しぶしぶ支局の四駆を駆って現地の牧場へ行ってみて驚きました。

 そこにいたのは、艶やかな毛並み、穏やかな表情、やさしい眼差しの馬ばかりで、前情報で描いていた「姨捨おばすて牧場」のイメージとはほど遠いものだったからです。🐎


 ここの馬たちがいかに大事にされているか……それはさみどりの牧場のあちこちに咲いたとびきり大輪の向日葵のような、馬たちの晴れやかな表情が物語っています。


「生来、わたしは動物、なかでも馬という大型動物が大好きでしてねえ、一昨年まで乗馬クラブのインストラクターをしていたのですが、人間の勝手で処分されてしまう馬たちを1頭でも多く救いたくて、親から借金して、このファームを始めたんです」


 訥々とつとつと語る杉田オーナーの談話をメモしながら、あれほど動物が苦手だった新米記者は、自分の奥に眠っていた未開の土地が耕されていく実感にふるえていました。


 人が相手の仕事ですから、経験の浅い新米にも真贋しんがんの区別はつき始めています。

 記者の名刺を見せると、あの手この手で取り入って来る人たちがほとんどですが、一方に、存分に太陽を浴びた干し草のように香しい匂いを放つ高潔な人物が、ほんのわずかながらちゃんといてくれるのです、このエゴイスティックな社会にも……。

 

      ****

 

 冬を間近にした北の大地に、あたたかな秋の日がたっぷり降り注いでいます。🌞


 はるかに遠い山裾まで、ゆるやかな波を打って、やわらかそうな草が生え広がり、その上に、ドローンかなにかでチェスの駒でもばら撒いたかのように、白、茶、黒、チョコレート色の、体型も年齢もさまざまな馬たちが、のんびりと放たれています。


 みんな大の仲良しらしく、思い思いの場所で草を食んでいた馬たちは、ある瞬間、さっと身をひるがえすと中央部の広場に集合し、頬を擦りつけて睦み合っています。


 真っ青に晴れ渡った秋空には、南米の大河に棲む巨大な魚のようにダイナミックな鱗雲が何層にも連なり、こんもりした森から小鳥たちのさえずりも聞こえています。🐤


      *

 

 とそのとき、はるかに遠い街の方角から1台のタクシーが走って来ました。

 後部座席から降り立ったのは、素朴なファッションの小柄な若い女性です。


 すると、群れのなかほどにいた1頭の白馬を一閃いっせんの稲妻が奔り抜けました。

 どっと歓喜に打たれた馬は、両手を広げて走って来る女性に駆け寄ります。

 

 ――ガッツ~ン!!👩🐎💦

 

 はげしくぶつかる人と馬……。

 荒々しい人の呼吸と馬の呼吸。

 時間がピタッと停止しました。


 ややあって……。

 濡れた目を上げた女性は、白い牝馬ひんばの身体を愛し気にさすり始めました。


 やさしげな面差し、気品に満ちたたてがみ、被毛越しにも上質な筋肉がうかがわれる流線型の腹部から背中にかけての滑らかな曲線、それにすんなり伸びた四肢からひづめの先に至るまで、女性は細い指でやさしくやさしく丁寧に丁寧に撫でさすっています。


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