第5ー5話 「もっと近づいてほしい」

 床の上に倒れこむ千国の腕を掴み、乗りかかるような体勢になってしまった俺は酷く後悔していた。


 結局下着を見て興奮したことを白状するのであれば、最初から素直に白状しておけばよかったと。

 そうしていれば今こうしてとんでもない体勢になることはなかったのだから。


「あ、あの……」

「ど、どうした?」

「とりあえずどいてもらってもいいかな……?」


 人間追いつめられると動けなくなってしまうらしく、俺は千国に乗りかかったまま固まっていた。 


「すまん!!」


 焦って千国から離れようとすると、ガクッという衝撃と共に再び千国の方へと引き寄せられた。


「ちょ、千国!?」


 先程乗りかかっていた時よりも更に近距離に千国の顔が位置しており、息が俺の顔にかかる。

 その息はかなりの熱を帯びており、その熱に何かしらの意味を探してしまう。


 そして俺の視線は自然と唇へ。


 リップを塗って艶めいている唇はあまりにも魅力的で、理性で自我を保とうとするよりも先に吸い込まれてしまいそうだ。


「ごめん。どいて……っていうの、嘘。もっと近づいてほしい」

「な、何言ってんだよ今日なんかおかしいぞ!?」

「おかしくないよ。いつも通り」


 そりゃできることなら俺だってもっと近づきたいけど・・・・・・ってそうじゃなくて!!


 もっと近づいてほしいって何言ってんだよこいつ。普通なら早くどいてと言って突き飛ばされてもおかしくないような状況だぞ。


「おかしいって。おい、離せ」

「もっと近づいて……」

「ちょ、おまっ、本当に……」


 少しずつ千国と俺の距離が近づいていく。


 ダメだ、耐えろ俺。


 ここで我慢できなかったらせっかくこれまで築いてきた関係が一瞬にして崩れ去ってしまう。

 目付きが悪いことを気にせず関わりを持ってくれた唯一の友人なのだから、今後も仲良くしたい。


 でも、そうだとしてもこんなの……。


 --これ以上のことをしたって俺は悪くない。


 遂に俺の自制心は消え去ってしまった。


「あ、やっぱり目尻にまつ毛ついてる」

「--は? まつ毛?」


 そう言いながら千国は俺の目尻に手を伸ばし、まつ毛を取り終えて顔から手が離れて行き、「よし、取れた」と言いながらニコッと微笑んだ。


 千国が俺に近づいてほしいと言った理由はどうやら俺の顔に付いていたまつ毛を取るためだったらしい。


「いや、さっきほしくんの顔が近づいた時にチラッとまつ毛が見えてさ。一回びっくりしてどいてって言っちゃったんだけどやっぱり気になっちゃって」


 先程まで頭の中で葛藤を繰り広げていた俺とは打って変わって緊張感のない声で話す千国に思わず溜息を吐いた。


「そんなの別に今取る必要なかっただろ……」

「駄目だよ!! 今取らないと目に入ったらすっごく痛いんだよ!?」


 まつ毛が目に入るよりも今俺の心は痛みを感じてるよ……。

 こっちの気も知らないでニコニコしやがって……。


「そりゃそうかもしれないけどな……。それならあんな紛らわしい言い方はやめてくれ」

「ん? 何か紛らわしかった?」

「い、いや、何でもないぞ!? 今日はもう帰るわ‼︎ それじゃ!!」

「え? ちょっとほしくん!? 急にどうしたの⁉︎」


 千国は自分の言動が男子にとって非常に紛らわしいものであったことに全く気付いていない様子で、俺が頭の中で葛藤を繰り広げていたことにも全く気付いていないようだった。


 これ以上問い詰められるとボロが出てしまい、俺の自制心が既に消え去っていたことに気付かれてしまうかもしれないと感じた俺は足早に千国の家を後にした。

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