050 その向日葵は黄金に移ろう③

 ……ビクリ。


 私は体をふるわせ、音のする方向を凝視ぎょうしした。

 やがて本棚の影から姿を現す……一人の少女。

 その小さな体には似つかわしくないほどの分厚ぶあつく大きな本を両手で抱きしめ、前が見えていないのか、それとも本が重いのか。

 右へ左へ、少女はフラフラとしながらもこちらに向かってあゆみを進める。


「…………」


 しかしながらも、あんじょう

 ふとした拍子ひょうしにその足の一つがもつれ、あれよあれよと少女の体勢たいせいは前のめり。


「あっ」


 そしてそのまま、私が見ている前で音を立てて転んでしまう。


〈どてっ━━〉


 ……しくも、目が合ってしまった。


 起き上がろうとして顔を上げた少女は目をまんまるとさせ、少しの間こちらをジッと見つめていたが……

 私が座っている椅子いすに気付くなり、それを指差して声をあげた。


「だめよ、そこはリリーの場所なの。今から、この……ん…………しょ。今から、この図鑑をそこで見るんだから」


 パタパタと自身の衣服をはたき、床に落としてしまった大きな本を重そうに持ち上げた少女が……そう言って、あらためてこちらに足を向けた時だった。


「━━━━」


 やや離れた場所からだが、確かに聞こえてくる。

 先程さきほどまで一緒に居た、私をこの街へと連れてきた修道服の女性の声だ。


「━━━━!」


 どうやらこちらを探している様子で、その声は段々だんだんと近くなってくるのが分かる。


 ああ、もう終わりだ……

 またどこかに閉じ込められてしまう……

 どうして、こんな事に……

 私は……私はただ…………


「う……ぁ……」


 私はすぐそばにいるはずの少女の事などおかまいなしに、椅子いすに座ったままで頭をガクリと落とし……体を小さくちぢこませては、目をきつく強くつぶり……ただただ、ふるえている事しか出来なかった。

 なおも近づき、確実に大きくなってくる私を探す修道服の女性の声……


 ……その時。

 私の頭に、何か、やわらかな感触かんしょくがあった。


「大丈夫、もう一人じゃないよ」


 少女の声だった。


 少女は項垂うなだれた私の頭をかかえるようにその小さな胸で抱きめ、ほおを私の頭へとそっと押し当てる。

 ……大丈夫。その言葉と、少女のあたたかなぬくもり。

 そして、そんな少女が私の頭を優しくでてくれるだけで……私の全てを支配していた漠然ばくぜんとした恐怖は何処いずこかへと消え。気付けば、カタカタと椅子いすを鳴らしていたこの体のふるえも……いつしか、その姿を見せなくなっていた。


「…………」


 おそおそる、ゆっくりと顔をあげ、周囲の様子をうかがう。

 それを見た少女が、ふわりと微笑ほほえむ。


 ……そこで初めて、安堵あんどという物をた気がした。


「━━ああ、ようやく見つけました。ここに居たのね、急に居なくなってしまうから……何かあったのではと、とても心配しましたよ?」


 いきなりと聞こえた呼び声に、おどろあわてた私が後ろを振り向けば……あちこちを探し回ったのかハァハァと息を切らせながらも、こちらに向かって歩いてくる修道服の女性の姿が。

 思わず席を立とうとする私。しかしそれよりも早く、その少女は両手を腰に当てつつ私達の間へと割って入った。


「だめっ! こっちに来ないでっ」

「リ、リリー? 彼女は来たばかりで、まだ手続きが……」

「´この子´……とても怖がっているの。だから、慣れるまではリリーと一緒。あなたは近付いちゃダメ」

「ですが、ここの案内もまだ━━」

「決めたのっ!」


 まだ何か言いたげな様子の修道服の女性ではあったが……梃子てこでも動かないといった表情をする少女を見て軽く息をくとその場にしゃがみ、小さな頭をでて微笑ほほえんだ。


「ふぅ…………分かりました。彼女の事はまかせましたよ、リリー?」

「うんっ!」


 そう大きくうなづき、手続きのために戻るという修道服の女性を少女は見送ると……こちらに振り返り、こう言った。


「みんな最初は同じなの。だから大丈夫よ? それに……」


 何故なぜか私のひざの上に乗り、机に置いていた大きな本を開き始める少女。


「ここはいい所。だから、大丈夫」

「う……?」


 戸惑とまどう私を気にもめず、ペラペラと本のページをめくっては、楽しそうにみをこぼし……


「すぐに´お話´も出来るようになるから平気よ。リリーは何でも知ってるから、何でも聞いてね」


 そうして少女は目の前にある図鑑の中へと、その意識をかたむけた。


 自身のひざから伝わってくる、初めての重さ。初めてのあたたかさ。初めての感覚。

 そんな初めてだらけにわずかな困惑こんわくを覚えながらも…………私の心は不思議と、悪くはない気分になっていたのであった。


~~~~~~~~~~


「……ありがとう、リリー」


 向日葵ひまわりの女性の姿は黄金こがねに包まれ、すでにその表情でさえもうかがい知る事は出来なくなっていた。


「今までずっと助けてもらってばかりだったけれど……助けてくれた、支えてくれたのが…………リリー、あなたで良かった……」

「……うん」


 少女は机の上で静かに座っていたクマのぬいぐるみを持ち上げ、ぎゅっと抱きしめ、光に包まれた向日葵ひまわりの女性を見つめる。


「……やっと、願いがかなったの。……いつか…………リリー……も……」


 かかえていたクマのぬいぐるみを左手に、あの時と同じように少女がその場所にそっとれようとした時。

 向日葵ひまわりの女性を包んでいた光が大きく、強くまたたき…………少女が伸ばしたその手は、ただ、くうを切った。

 黄金色こがねいろに輝く光のつぶが天へとのぼり、霧散むさんする。


 彼女が座っていたその椅子いすには……


 長年ながねん愛用されていたのであろう、所々ところどころが日に焼け、色が変わってしまった……向日葵ひまわりの絵がえがかれる、一枚の´しおり´が。そこには、残されていた。


「…………」

「…………」


 クマのぬいぐるみをひたすらに強く抱きしめる少女。

 少女に強く抱きしめられるクマのぬいぐるみ。

 言葉はわさず、あわはかなげに光る一枚の´しおり´に残された消えゆく輝きを……どこまでも、そう見つめていた。


〈━━ドサドサッ〉


 幾分いくぶんもしないうち、やや離れた場所から響いた何かの音。

 見れば床にらばった本や書類のかたわらで、若いシスターがこちらを見ながら呆然ぼうぜんと立ちくしていた。


「あ……の…………わ、私っ、お師匠様に言われてっ! 本を返しに……し、書類も届けないと……

 でも、二階から光が見えたから……その……え、えっと……

 あ、あれれ? 私ったら、ここに何しに来たんだっけ…………あ……あはは……

 ごめんね? リリーにこんな事言っても、困っちゃうよね? ……ごめんね?」


 若いシスターはおのれおもいが顔に出てしまうのを隠すかの様に、そう矢継やつばやしゃべってはその場でしゃがみ込み……自身のかわいた笑いと共に、落としてしまった本や書類の数々を両手を使って寄せ集め始める。

 そっと顔を見合わせる少女とクマのぬいぐるみが、何も言わず、それに続く。


「……ほら、向こうにも落ちてたぞ?」

「あ、ありがとロッコ! 助かる……ます!」


 張り付いたような、若いシスターのニコニコとした笑顔。


「リリーもロッコも……なんかごめんね〜? あははは!」

「……大丈夫?」


 無理やりと明るく振るっている若いシスターに、集めた書類を手渡す少女から言葉がかかる。


「えっ? ……な、何が? お姉さんは元気いっぱいよ! ……ほら見て!」


 ´今にも´な表情で、そう元気をアピールする若いシスター。

 しかし、それも長くは持たず……


「……んもう、手伝ってくれるなんてリリー大好きっ!」


 そう言葉を変えると、若いシスターは目の前にいる少女をぎゅっと抱きしめた。


「ふんふんふ〜ん」

「……いなくなっちゃったわけじゃないよ」


 鼻歌はなうたじりで体を左右にらしている若いシスターに、抱きしめられたままの少女がボソリとつぶやく。

 それを聞いて、動きと鼻歌はなうたが止まる。


「ちゃんとそこにいるよ」

「うん」

「お話は出来ないかもしれないけど、ちゃんと聞いてるよ」

「……うん」

「今までの事はずっと覚えてるし、ずっと忘れないよ」

「…………うん」

「だから……」

「…………」


 少女が、自分を抱きしめている若いシスターの腕の中から……その顔を上げる。


「……だから、泣かないで?」

「…………う゛ん゛っ」


 少女のほおに落ちてくる、大粒おおつぶの涙。

 若いシスターは少女を抱きしめたまま、大きく声をあげ、目を赤くらし、泣き続けた。


 ……その日は雨だった。


 昨晩さくばんから降りしきる強い雨が、街を。大地を。幾度いくどとなくらし続け……

 少しだけ薄暗うすぐらく、普段よりも閑散かんさんとした雰囲気ふんいきの大図書館の中にいて、その屋根や窓に打ち付ける無数の雨音が。

 人目もはばかららず子供のように泣きじゃくる若いシスターの、言葉にならない声や小さな嗚咽おえつを……の者からおおい隠すかのように、´ざあざざあざあ´といつまでも鳴り響いていた。

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ドール・リコレクト ななくさ @nanakusa-nazuna

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