048 その向日葵は黄金に移ろう①

 ……その日は雨だった。


 昨晩さくばんから降りしきる強い雨が、街を。大地を。幾度いくどとなくらし続け……

 少しだけ薄暗うすぐらく、普段よりも閑散かんさんとした雰囲気ふんいきの大図書館の中にいて、その屋根や窓に打ち付ける無数の雨音が。

 人目もはばからず子供のように泣きじゃくる若いシスターの、言葉にならない声や小さな嗚咽おえつを……の者からおおい隠すかのように、´ざあざざあざあ´といつまでも鳴り響いていた。


━━━━━━━━━━


「━━私……決めたわ。リリー」


 バジリカの敷地内。

 大図書館二階にあるいつもの場所にて、クマのぬいぐるみと一緒に楽しげな様子で本をながめている少女へ。向かいに座っていた向日葵ひまわりの女性が話しかける。


「?」


 すぐ横にある窓の外は生憎あいにくの雨模様。

 空にかかった分厚く黒い雲が太陽をさえぎり、今居るこの場所も相応そうおうの暗さとさせている。

 そのため……向日葵ひまわりの女性の方へと顔を向けた少女にも、その表情までは確認することが出来なかった。


「なあに?」


 そう言って不思議そうな顔を見せる少女に、言葉を返したようで、ただ先程さきほどの続きをべているだけのような……


「……こっちにおいで、リリー。…………一緒に読もう?」


 そんな声色こわいろで、向日葵ひまわりの女性は持っていた一冊の絵本を目の前にある小さな机の上に置き、自分のひざをぽんぽんと軽く叩いた。

 普段からよくある事、よくある提案。


「ロッコもいい?」


 ただ、今はちょっとだけ……ちょっとだけ、雰囲気ふんいきが違って見えるだけ。


「ええ、もちろん」

「……ロッコ、あっち行こ?」

「おう」


 向日葵ひまわりの女性の言葉に´こくん´とうなづき、クマのぬいぐるみと顔を見合わせた少女はそのまま胸元へと黒いフワフワを引き寄せ、一緒にながめていた本はパタンと小さく音を立てた。


「……?」


 ふわりと頭にれられる感覚。クマのぬいぐるみと共にひざの上へ移動した少女が顔を上げれば……窓際まどぎわという薄明かりのなか、いつものように向日葵ひまわりの女性がニコリと微笑ほほえむ。

 そして、一冊の絵本の表紙は…………静かに、ゆっくりとめくられていった。


━━━━━━━━━━


 ここは深い深い森の中の、大きな大きな木の根元にある……小さな小さな一軒のお家。


 そこでは、二羽にわのウサギさん達が仲良く楽しく暮らしていました。


 まあるい眼鏡をかけた、何でも知ってる物知りなお父さんウサギ。

 その後ろにくっついて、どんな時でも離れようとはしない小さな子ウサギ。


 子ウサギが生まれた時からいつもいつでもそばにいて、子ウサギが気になる色々な事を、お父さんウサギはいつもいつでも教えてくれるのです。


「━━お父さんお父さん、これは何ですか?」


 さっそく、外を散歩していた子ウサギが前を行くお父さんウサギにたずねました。


「これはね、´花´だよ。いろんな形や色、それに香りで……それを見たみんなを、元気にしてくれるんだ」

「ふむふむ」


 少しすると、再び子ウサギはたずねます。


「お父さんお父さん、これは何ですか?」

「これはね、´川´だよ。川をどこまでも流れていく沢山たくさんの水は……みんなが生きていくうえで、なくてはならないかけがえのないものなんだ」

「ふむふむ」


 目にうつる、興味をかれる全てのものについてきることなく子ウサギがたずねても、お父さんウサギはいやな顔一つせずにいつも優しく答えてくれるのでした。


 やがて━━


━━━━━━━━━━


「やがて……」


 自身のひざの上で大好きなクマのぬいぐるみと共にこちらの声に耳をかたむけている少女に、絵本を読み聞かせていたはずの向日葵ひまわりの女性の手が……止まった。

 読み進めていくにつれて少しずつと近づく、物語の´終わり´。

 そこに……何かを心配する様な面持おももちで、少女が振り返る。


「……もう終わりにする? あとは、ロッコと読むから大丈夫だよ」

「ご、ごめんね、リリー。続き、気になる……よね?」


 少しの逡巡しゅんじゅんを見せた向日葵ひまわりの女性は、自分に言い聞かせるように目を閉じて深呼吸を一度。そして、あらためてこちらを見上げる少女へと笑顔を返す。


「……うん、大丈夫。大丈夫、大丈夫……」


━━━━━━━━━━


 やがて……周囲に夜がおとずれます。


 ぴょん、ぴょん。

 ぴょん、ぴょん。


 真っ暗になる前に、お家まで帰ってきたウサギ達。

 さっそく夜の食事の準備を始めるお父さんウサギのとなりで、子ウサギも元気にお手伝い。楽しい時間は、あっという間にぎていきます。


「さあ、ゆっくりとお休み……」


 一日も終わり、お父さんウサギはそう言って子ウサギを優しく寝かしつけようとしますが……子ウサギのほうは、まだまだ気になる事がいっぱいです。

 ふと、窓の外。遠く……遠くで輝くものを指差して、子ウサギはたずねました。


「お父さんお父さん、あれは何ですか?」

「あれはね、´お月さま´だよ。夜になって、´お日さま´が眠ってしまうと外は真っ暗になってしまうから……代わりに、みんなをらしてくれているんだ」

「ふむふむ」


━━━━━━━━━━


 再び、その動きを止める向日葵ひまわりの女性。

 どうやら次が終焉しゅうえん……物語をいろどる、最後のページのようだった。


「終わる……終わってしまう…………物語……わ、私は……」


 気が付けば言葉をはっしているそのくちびるは、絵本を開いたままににぎりしめているその両手は……かすかに、小さくふるえている。

 ひとり言のようにつぶやきを続ける口元くちもとに合わせるようにして、そのりょうまなこは必要以上にまばたきをり返す。


「……ん?」

「…………」


 目の前にある絵本の行くすえが気になり、少女の腕の中でモゾモゾとし始めるクマのぬいぐるみとは違い、前を向いたまま振り向くことをしない少女。

 だけども、小さな右手は抱きしめていたクマのぬいぐるみからは離れ……


「大丈夫、リリーもロッコもいるよ。……大丈夫」


 いつだったか、向日葵ひまわりの女性が自分にしてくれた時のように、ふるえにとらわれ絵本をにぎりしめてしまっているその手に……そっと、かさねられていた。


「あっ……」


 自身にれる小さなあたたかさに、不思議と薄れゆく不安や緊張といった感覚。

 少女の口からは、言葉が続くことはない。しかしながら、向日葵ひまわりの女性のふるえが収まるまで……そのまま、その右手はえ続けられていた。


「…………」

「…………」


 しばしの後、少女の口が開く。


「……次が最後だね」

「…………。うん。私はもう、大丈夫」


 天候てんこうのせいもあってか、自分達以外には周囲に人の気配けはいみとめられない空間の中でそう言葉は返り、絵本のページをめくる音だけがその後に続いた。


━━━━━━━━━━


「……どうだい、綺麗きれいだろう? あそこは、本当に綺麗きれいな場所なんだ」


 お父さんウサギが、´お月さま´を見ながら言いました。


「お父さんは……´お月さま´に行った事があるのですか?」

「そうだね、´お月さま´の事を考えながら眠ったら……もしかしたら、夢で行けるかもしれないね? さあ、もうお休み……」

「……はい、お休みなさいお父さん」


 知りたがりな子ウサギは優しいお父さんウサギに頭をでられながら、ゆっくりと眠りにつくと……

 夢の中でお父さんウサギと一緒に、´お月さま´の上でいっぱいいっぱい、元気いっぱいに遊び回るのでした。


━━━━━━━━━━


「おしまい」


 小さな机の上で、パタリと音を立てて閉じられる一冊の絵本。


「……どう? 面白おもしろかった?」

「うん、´お月さま´行ってみたい。気になる……ね、ロッコ?」


 向日葵ひまわりの女性のひざの上でそう答える少女は両腕を自身の前へと伸ばし、その先では持ち上げられているクマのぬいぐるみが少女を見返してウンウンとうなづく。

 そこに……


「……私ね、本当はずっと…………」


 かすかな光をび始めた向日葵ひまわりの女性の体。

 うすぼんやりとしつつも、優しげな光耀こうようあたりを包み……


「最後の最後まで、本という物をちゃんと……しっかりと……自分自身で読んでみたかったの……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る