043 とっても楽しい道化市③

 ……´とっておき´。

 そのたった一つの言葉に、今まで以上の物が見れるのかとざわめき立つ観客達。


「では…………そこのお嬢さん。どうぞこちらに」


 一度周囲を見回すも、最初からそう決めていたかのように男性は最前列で特別な人達にはさまれて座っている、一人の少女を指名する。


「む……」

「ちょっと、すごいすごい! 今日はリリーの日なのかぁ〜?」

「ええ、そうかもしれませんね。ほら……リリー? 行っておいで?」


 お嬢さんと呼ばれた事に若干じゃっかんほおふくらませつつ、両隣りょうどなりに座る若いシスターと向日葵ひまわりの女性によってその背中を押され……少女はクマのぬいぐるみを胸に抱きしめたまま席を立ち、舞台ぶたいの上へ。


 同じ容姿をした二人の男性にうながされるまま、その間に立って観客席側に振り返る小さな少女。そこに、四方八方しほうはっぽうからの視線が集まる。

 好奇こうき。期待。羨望せんぼう

 自分に向けられる様々な感覚に体をちぢこめて身を固くする少女だったが、それを見た二人の男性のうちの一人がそっとしゃがみ込むと、優しげに微笑ほほえみ……何かを耳元でささやいた。


「━━━━」


 目を丸くさせて男性の言葉に耳をかたむけていた少女は、となりで立ったまま静かにひかえている無口むくちな男性の方をチラリ。そちらからも同様の微笑ほほえみが返ってきたことで、しゃがんでいる男性へと向き直り……少女の頭は´こくん´と小さく上下する。


 それを確認した男性が自分と同じ姿であるもう一人の無口むくちな男性に何らかの目配めくばせを送ると、その場で立ち上がって大きく手をたたいた。


〈パンッ━━パンッ━━〉


 観客達のざわめきを打ち消す目的の二つの音。

 薄手うすでの手袋しにたたかれたはずのその音は、不思議と舞台ぶたいおおっている天幕てんまく内にとてもよくひびいた気がした。


「━━お待たせ致しました。それでは皆様、今からわたくしどもの´とっておき´。こちらの少女が胸にいだいている大切なお友達……この子に、命を吹き込んでみせましょう……!」


 そう言うが早いか、すぐさまと打ち鳴らされる男性の指先。


〈カシャリ━━〉


 ´あの音´が、天幕てんまくの中にひびく。

 続いて、無口むくちな男性はいつの間にか取り出していたあのガラスびんのコルクを抜き、中でれている黒いインクへやはり薄手うすでの手袋ごと人差し指をひたし。


 さらさら。さらさら。


 黒くまった指先をびんから引き抜き、まるで観客達全員に見せるかのように体を大きく動かしながらその指をちゅうに走らせれば……

 以前と同様、白い羽根のような物が天幕てんまく内に舞い踊る。


〈…………〉

〈…………〉


 静まりかえる観客席。息をむ、観客達。

 そこへ、男性の言葉を合図あいずとして戻ってくる、様々な事象じしょう事柄ことがら


「皆様、ここからはまばたきをしんでご覧下さい! ……さあ、挨拶あいさつをしてごらん?」


 観客席からの注目を一身いっしんに受ける男性が、そう言って視線の矛先ほこさきを少女の腕の中にいる黒いクマのぬいぐるみへと移し替える。


「…………」

「(……大丈夫だよ、ロッコ。みんなの前でも、一緒にお話が出来るようになるんだって)」


 一点いってん見据みすえたまま動こうとしないクマのぬいぐるみに、少女は顔を近づけて小さくポソリ。


 どうしたどうなったと野次やじを飛ばそうとする一部の観客を舞台上ぶたいじょうの二人の男性が´お静かに´や、´耳をまして´といったジェスチャーでなだめつつ。

 やがて少しのを開けると、色々と考えをめぐらせていた様子のクマのぬいぐるみは自身をいだく少女の腕をポンポンとたたいた。


「(……ロッコ?)」

「(わかったわかった、まかせとけって)」


 その言葉と共にゆるめられた少女の腕の中からヒョイと舞台ぶたいの上に飛び降り、よいしょと片腕かたうでをついて立ち上がり。


「…………や、やあ」


 そしてやや緊張気味ぎみに声を出して、観客達の前でずかしそうに両腕を振ってみせると……一瞬いっしゅん静寂せいじゃくのち、大きな大きな歓声かんせいが巻き起こった。


〈おお、すごい!〉

〈本当に動いた!!〉


 歓声かんせいの中心で深めのお辞儀じぎをしてみせる二人の男性に合わせるように少女は´ぺこり´と軽く頭を下げると、気分が乗ってきたのか目の前でしげもなく観客達に愛嬌あいきょうを振りいているクマのぬいぐるみを抱き上げ、若いシスター達の待つ最前列の自席じせきへと歩いていく。


 まない歓声かんせい……終わらない喝采かっさい……

 舞台ぶたいの奥に消える二人の男性と入れ違いとなる形で、始まりの挨拶あいさつの時と同様に派手はでな服、派手はでなシルクハットに身を包んだ男性がステッキを片手でくるくると回しながらにやって来ては……舞台ぶたいの中央に立ち、めの口上こうじょうべ始める。


〈……カシャリ〉


 天幕てんまく上部にもうけられた無数むすうの窓が徐々じょじょに開き、少しずつと全体の明るさを増していく舞台ぶたいと観客席。


 特別な´ひととき´の余韻よいんを楽しみつつ、早速さっそくと帰り支度じたくを始める観客達に向けて。

 再び、ややひかえめに鳴らされたその音は……特段とくだん誰かに気が付かれる事もなく、そのまま、静かにざわめきの中へと溶けていった。


「━━ほえ〜、ロッコ……ほえ〜……」


 巨大な天幕てんまくを出てすぐ。いまだ興奮冷めやらぬといった様子の少女が、先程さきほど舞台ぶたいに出てきた動物達の事を一生懸命に話しているとなりで……

 若いシスターは、少女の腕にいだかれさながら有名人のように周囲の人々へ手を振り返している、よくよくと見慣れた黒いクマのぬいぐるみを´まじまじ´と見つめる。


「う〜ん、どうやって動いてるんだろ……気になる〜! ドールみたいな感じなのかなあ? ……ねえ、リリー。少しロッコを触ってみてもいい?」

「ん……ちょっとだけなら、いいよ?」

「ようし! それでは……!」


 すっかりとチヤホヤされる事にご満悦まんえつで、そちらへの注意がおろそかとなっているクマのぬいぐるみ。そこへ、´わきわき´と動かしながらに近づく……若いシスターの二つの魔手ましゅ


「なあリリー、見てみろよ! みんながこっちを見て手を━━」


 そう言ってクマのぬいぐるみが顔を上げた時には、´それ´はもう目と鼻の先であった。


「な、なんだなんだ!?」

「(さわさわ)……ほほお……」

「お、おい……! なんなんだよ……!」

「これはこれは……(さわさわ)……ふむふむ……(さわさわ)」

「ちょ……へ、変なとこ触るなって……!」

「(さわさわ)……ん? ここは……」

「あは、あはは……っ。や、やめ……やめて…………」


 なおも顔を近付けて自分の体をまさぐる若いシスターに、クマのぬいぐるみは少女に抱かれたまま高々たかだかと両腕を天にかかげると……


「や・め・ろ!!」

「ごふっ……!」


 そう言って渾身こんしんの力を込めて振り下ろされた一撃は、目の前の忌々いまいましい頭にクリーンヒットし……若いシスターはその場で見るも無惨むざんくずれ落ちた。


「うぐぐ……そ、その´やわらかぼでぃ´のどこにそんなチカラが……」

「だからちょっとだけ、って言ったのに……」


 ´ぷんすこ´と腕の中でおこっているクマのぬいぐるみをなだめながらも、少女の視線の先では若いシスターが地面にうずくまって頭をかかえる。

 しばしその体勢のままうめき声を上げていた若いシスターだったが、頭をさすりながらに立ち上がるとかぶっていたヴェールを脱ぎ、側にいた向日葵ひまわりの女性へとすり寄っては泣きそうな顔でその頭をかたむけた。

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