037 ちょっぴり不思議な道化市①

「ここに入って、ロッコ」

「へいへーい……」


 言葉にさからうことなく、ポシェットの中へと押し込まれるクマのぬいぐるみ。

 少女はそれをあらためてかかえ直すと……同じ顔をした男性達にお友達の小さな腕を使ったバイバイを披露ひろうし、笑顔を残してその場をあとにする。


 ━━舞台裏ぶたいうらの様な周囲は依然いぜんとして変わらず、とても静かだ。

 外にいるというのに鳥や虫たちの声が無く、風の音すら聞こえない。

 耳に届くものと言えば……自身が動かす足の音と、クマのぬいぐるみからの´ぼやき´くらいだろうか。


 しかし……少女の前方ぜんぽう露店ろてん屋台やたい等の店の数々かずかずが見え始めると、それらも一転いってん。近付いていくたび、自分の元に帰ってくる楽しげな音色ねいろや人々の雑踏ざっとう

 先程さきほどまでの静けさはうそだったと言わんばかりに、どこを向いても人がいる。


 ……ああ、良かった。

 安堵あんどに胸をで下ろした少女が、来た時と同様に店の間を通るせま隙間すきま足早あしばやに抜ける。……と。


「あれ? まだ……見てる?」


 視界に入ったのは、こちらに背を向けてお土産みやげ選びを楽しんでいる若いシスター達の姿。

 てっきり自分を探しており、おこられるのも覚悟していた少女はそんな様子に少し疑問をいだくも……離れていた事に気付いていないのであればさいわいと、ポシェットに収まるクマのぬいぐるみを一撫ひとなでしてからその後ろへと並び立つ。


「う~ん、お師匠様に何かプレゼントしようかなあ? 色々あって目移めうつりしちゃうなぁ……」

「……あっ。これとかどうでしょう? 色合いも素敵すてきですし、持ち返るさいにも邪魔じゃまにはなりにくいかと」


 …………。どのくらい、待っただろう。

 気がいていることを加味かみしても、それなりの時間は流れた気がする。

 舞台ぶたいが始まる時間の事もあってか、段々だんだんと不安がつのってきた少女は目の前でれる修道服のすそをグイと引っ張り……言葉を投げた。


「ねえ、舞台ぶたい……始まっちゃうよ? 行かないの?」

「う~ん、お師匠様に何かプレゼントしようかなあ? 色々あって目移めうつりしちゃうなぁ……」

「ねえ…………行かないの?」

「……あっ。これとかどうでしょう? 色合いも素敵すてきですし、持ち返るさいにも邪魔じゃまにはなりにくいかと」


 引いてみても。押してみても。

 余程よほど気になるものが並んでいるのか、少女の催促さいそくにも答えずに若いシスターの視線はお土産みやげへとそそがれたまま。

 それは、となりに立っている向日葵ひまわりの女性であっても変わることはなかった。


「リリーだけで行っちゃうよ? いいの?」


 目の前で楽しげに笑い合っている二人……しかし、そこに少女を気遣きづかうような言葉は出てこない。


「本当に行っちゃうよ? ……いいの?」


 こまった表情で近くをただウロウロとするだけだった少女も……流石さすがにこれには顔をしかめて口をとがらせ、´ぷくり´とほおふくらませると二人を置いて足音したたかに歩き出した。


 ━━パンパンにふくらんだ二つの´風船ふうせん´と共に、いま行進こうしんを続ける少女。

 ワイワイガヤガヤとにぎやかな人の波をせっせとぎ、そして辿たどり着いた、にもかくにも広い空間。

 道化市の中央にいて、その全てが一堂いちどうかいす……どこまでも続く青にそびえた、巨大な天幕てんまくの登場である。


「わ……ぁ……!」


 本の中で、何度も見直したこの光景。

 頭の中で、何度も遊びに行ったこの光景。

 調べたこと……教えてもらったこと……自分の胸をがしにがしていたものが今、少女の視界には燦然さんぜんあふれ。

 くなき関心を一手いってに引き受けてもなお、数多あまたの刺激となって世界をくしていた。


「さあさあ、もうすぐで舞台ぶたいが始まるよ! これを見なくちゃ始まらない、これを見なくちゃ終われない! さあさあ、お楽しみの舞台ぶたいが始まるよ!」


 あまりの情報の多さに笑顔のまま´ぼう´と立ち止まっていた少女を、すぐさまとかしにかる誰よりも際立きわだ大音声だいおんじょう

 白塗しろぬりの顔に独特どくとくなペイント。目にもあざやかな派手はで赤服あかふく。見れば´ずんぐりむっくり´とした丸い姿の道化どうけが、天幕てんまくから伸びる列の最後尾さいこうびから声を張り上げての呼び込みをおこなっている。


「……! ほらみて、ロッコ。急がないと始まっちゃう!」


 ……それ見たことか。

 あのまま二人を待っていたら、自分は舞台ぶたいに遅れていたかもしれない。肩から下げたポシェットのひもにぎめ、そう言ってうれしそうにけ出す少女。

 奇抜きばつな衣装に身を包んだ道化どうけ達の姿をつぶさながめ、笑いがこぼれる人々の会話には耳をそばだて……待っているだけの時間であっても、少女の胸は期待におどる。


「…………?」


 しばらくの間はニコニコとしながらポシェットにいるクマのぬいぐるみをで、心地ここちのよいひまを持てあましていた少女だったが……ふと、何かに気が付く。

 舞台ぶたいが行われる、天幕てんまくから伸びた観客の列。それが一向いっこうに進まず……また、自分の後ろに誰かが並ぶ様子もないのだ。


「みんな、見たくないのかな?」


 いつまでっても始まる気配けはいを見せない舞台ぶたい

 しかし、少女の前に並んだ人々は皆一様みないちように楽しみで仕方しかたがないといった表情で……変わらず、談笑だんしょうを続けていた。


「さあさあ、もうすぐで舞台ぶたいが始まるよ! これを見なくちゃ始まらない、これを見なくちゃ終われない! さあさあ、お楽しみの舞台ぶたいが始まるよ!」

「ねえ、まだ始まらないの?」


 少女の声も届いているのかいないのか……その場でのアピールにいそがしく、終わることを知らない道化どうけの呼び込み。


 初めての道化市どうけいち……

 よく分からないけれど、もしかしたらこれが普通なのかも。自分に言い聞かせ、並んでいた列から少しだけと離れてみる。


 …………。


 依然いぜんとして列に加わろうとする人は現れず、順番も遅れないという事を確認すると……少女はあらためて、キョロキョロと周囲を見回した。


 様々な屋台やたい、楽しげな音色ねいろ愉快ゆかい道化どうけ達。

 見る場所見る場所、少女の興味がき付けられるものばかり。それでいて、今はとなりに離れないようにとき上げる若いシスター達もいない。


「…………!」


 さまたげるものなど何一つ無い自由……自由だ!

 そう少女が思うやいなや。大地にせっした両の足は、目の前に広がる道化市どうけいち堪能たんのうすべく……颯爽さっそうと、け出していくのであった。


━━━━━━━━━━


「ん……しょ、う…………っと」


 人の林をき分けながら、さっそくと入った一番近くの人集ひとだかり。


 その中では、小さなさるを肩に乗せた一人の道化どうけが人々からの注目を一身いっしんび、深々ふかぶかとしたお辞儀じぎを見せていた。


 〈キキィ!〉


 小猿こざるき声を上げるたび、ペコペコと頭を下げながら次の準備を始めるさまは……まるで道化どうけ自身が指示を受けているようで。

 早くしろと言わんばかりに、肩の上からパシパシと道化どうけの頭を叩く小猿こざるの姿がこれまた笑いをさそい。周囲には笑顔があふれていく。

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