036 お揃いの服、お揃いな顔③

「それじゃあ、始めてもいいかな?」


 少女が用意された席に着いたことで、目の前に座る男性はピシリと身形みなりととのえてからそうたずね。

 無口むくちな男性は定位置なのか、彼にいながらも一歩引くよう後ろに立つ。


「まずは━━」


 準備も何もしていない、太陽きらめく大空の下だ。

 披露ひろうされる奇術きじゅつの数々は主にコイン等を使用する比較的簡単かんたんなものとはなったのだが、結果は少女の顔を見るにあきらか。

 目と鼻の先で次々と生まれてくる不思議に、胸にたずさえていたクマのぬいぐるみもそっちのけでグイグイと前のめりになっては……少女はキラキラと、りょうひとみかがやかせる。


「どこから出てきたの? 穴があいてるのかな……?」


 たとえ奇術きじゅつ最中さいちゅうであったとしても、気にせず男性の手にれ。深々とのぞきこみ。

 少女が頭にかべる疑問は処無どなく、おろそかとなった胸元からはクマのぬいぐるみが´ぽてり´。

 転がり落ちたまま、ひっくり返ったまま、少女のとなりでそこはかとなくかなしみをにじませている黒く小さな背中に……正面に座る男性は目を向け、言葉を向けた。


「その子には近くで見せてあげなくてもいいのかい? なんだか、大変そうな姿勢しせいに見えるけれど……」

「え……? …………」


 ピクリ。体をふるわせる両名りょうめい

 すぐにき上げ、ひざの上で座らせたクマのぬいぐるみを見ながら押しだまる少女に男性は続ける。


「もしかして、緊張きんちょうしているのかな? それとも……」


 しんが入っていない様に´くたり´とかたむいては、動かぬぬいぐるみとしての姿を初めのうちは静かにえんじていたのだが。

 男性がはっする言葉の羅列られつが耳に入ってくるたび、それはやがてプルプルと小刻こきざみにれ始め……


「ああ、分かった! ずかしがり屋━━」


 これ以上の心外しんがいきわまりない言葉のパレードを終わりとするべく阻止そしすべく、クマのぬいぐるみは少女のひざの上で´すっく´と立ち。

 丸みをびた自身の小さな腕を男性へと突き出し、語気ごき高々と言いはなった。


「お、俺はずかしがり屋なんかじゃない! ぬいぐるみの´ふり´をしてるだけだし! それに´その子´じゃなくて、俺の名前はロッコだっ!!」


 …………。


 いきどおりによってか、´ふんすふんす´と鼻息はないきあららげているクマのぬいぐるみ。

 そこから刹那せつなしじまて、少女の口からは言葉がれる。


「ロ、ロッコ……」

「ん? なんだよリリー…………って、あっ!」


 あわててクマのぬいぐるみが口元くちもとを押さえるも、一度口から出てしまったものはどうあがいても飲み込めない。


 みんなには内緒ないしょにしてたのに……

 折角せっかく頑張がんばっていたのに……


 心配、焦燥しょうそう後悔こうかい

 少女の頭の中では様々な感情がざり合い、円となって回り出す。


「…………」


 しかし、そんな少女の思案しあんとは裏腹うらはらに……目の前の男性から返ってきた言葉は予想外にも平然で、静穏せいおんとしたものであった。


「おや……? 君にも素敵すてきな名前があったんだね、これはこれは失礼を。何か難しい事を考えていたみたいだけれど、大丈夫。僕達には見聞きした事を誰かに言いふらすなんて趣味しゅみはないし、だからといってどうのこうのするつもりもないよ。

 ただ少し…………めずらしくて、ね」

「……ふ、ふん! そんな話はどうだかなっ!」


 何を言われるのかと身構みがまえていた手前てまえ、そこに若干じゃっかん拍子抜ひょうしぬけを感じながらもクマのぬいぐるみはそう言って男性に視線と腕とを差し向け……そのまま、少女の胸元へと体をせる。


「なあリリー、そろそろ戻ろうぜ! 向こうで二人が探してるかもしれないぞっ」

「うーん……僕は何か、気にさわるような事でも言ってしまったのだろうか……」


 そして、自分をき上げようとする少女に体を預け、その腕の中から男性の事をキッと一瞥いちべつすると……


「別にっ! おこってないしっ!」


 言葉のそこかしこに不機嫌ふきげんさをちりばめては、´ふいっ´と顔をそむけてしまうのだった。


「どうやら、ご機嫌きげんななめのようだ……はは……」


 ばつが悪そうに苦笑にがわらう男性と、肩に手を置いてなぐさめるように微笑ほほえ無口むくちな男性。


 全く同じ顔なのに、違っても見える二人の顔。

 片方は持ち、片方は持ちない複雑なナニカ。

 おたがいがおたがいにみとめ合い、おぎない合い……おそらくは、彼らだけにしか伝わらない特別な関係性。


 それらはきっと……少女とクマのぬいぐるみのあいだにも存在している様な、大切なつながりとなっているのであろう。


「もう……戻るのかい? じゃあ、最後に一つだけ。道化市どうけいちには色々なものがあるだろう、リリーは充分じゅうぶんに楽しめているのかな?」


 クマのぬいぐるみからはすっかりときらわれてしまった男性だが、若いシスター達といた場所に戻ろうと立ち上がる少女に最後と言い……胸にいだく、心のうちたずねる。


「…………うん」

「ん? 何やら歯切はぎれが悪いね?」

「一人で見に行こうとしたらね、おこられるの。はぐれて、迷子まいごになっちゃうからって。それに……舞台ぶたいを見たら、リリーは帰らないといけないの……」

「なるほど。それは残念だね……」


 腕の中からこちらを見上げるクマのぬいぐるみと顔を合わせ、こまったようにまゆひそめる事で質問への答えとした少女。

 すると、男性の表情はどこか真面目まじめなものとなり……


「…………もっと。……もっとたくさん、道化市どうけいちを見て回りたいかい?」


 そうげて、男性は口をざし。静かなひとみが少女を見据みすえる。


「……みたい。……でも━━」


 純粋じゅんすいな気持ちを受け取り、のちに続く言葉でその気持ちがくもってしまわぬよう男性は少女の口元くちもとにそっと手をかざすと……何度か小さくうなづき、優しく微笑ほほえみ。

 それに合わせてか、後ろでひかえていた無口むくちな男性が再び動きを見せた。


「…………」


 何も言わず、着ている燕尾服えんびふくの胸元に手を入れる無口むくちな男性。

 小さなお客様と、さらに小さなお客様からの視線に気付き……少しだけ勿体もったいを付けながらも、取り出したのはガラスで作られた四角い小瓶こびんだ。

 中には黒い……万年筆まんねんひつに使うようなインクが入っているようで、ガラスをへだてた向こう側に´ちゃぽちゃぽ´と波を立てている。


「??」


 ……´きゅぽん´。

 せんをしていたコルクを抜くと、無口むくちな男性は薄手うすでの手袋をしたままおもむろに人差し指を黒いインクが待つびんの中へ。


「あっ」


 思わず、少女からは声が上がる。

 しかし無口むくちな男性には気にする素振そぶりがなく、黒々くろぐろまった指先をびんから引き抜くと……まるで何かをえがくように、サラサラとちゅうにその指を走らせた。


 ふわり。ふわり。


 指を動かし……腕を動かし……

 度毎たびごとに、無口むくちな男性からは白い羽根はねの様なものがい上がる。


 どうしようもなく幻想的げんそうてきで、あまりにも美しいその光景こうけいを見て……心奪こころうばわれない者などいるのだろうか……?


 ふわり。ふわり。

 ふわり。ふわり。

 …………。………………。


「━━さあ、道化市どうけいちの続き。思う存分ぞんぶん……楽しんでおいで?」


 合図あいずの様な男性の言葉に、少女がハッとわれに返る。


「……あ、あれ?」


 あんなにも周囲をっていたはずの白い羽根はねはもうどこにも見えず……目の前では、こちらに小さく手を振っている二人の男性。

 そして、無口むくちな男性の手袋にあるはずのインクのあとは……何故なぜだか、綺麗きれいさっぱりと無くなっていた。

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