030 沸き立つ街並み

〈ドドン……ドン…………ドンドン……〉


 朝日が街にいろどりをもたらし、そのいろどりがにぎやかさとなってゆたかにあふれ始める頃……連続した大きな音が、街全体へと響き渡った。


「ねえ、ロッコ! 今の聞いた?」

「ああ、ばっちり聞こえたぜ。とうとう来たんだな……この日が!」


 ……大聖堂二階。担当のシスターがすでに部屋をあとにした、宿直しゅくちょく室の窓際まどぎわにて。


 やや大きく見える大人用の椅子いすに座り、両手を使った頬杖ほおづえの先からいつもと変わらぬ街並みをながめていた少女だったが……窓枠まどわくの上で腰を落ち着けるクマのぬいぐるみにそれをたずねるやいなや、目をかがやかせながらに立ち上がる。

 そしてそのまま、こちらに手を伸ばすクマのぬいぐるみを自身の胸へといざなうと……とびらを閉める事も忘れ、急いで部屋から飛び出した。


 廊下を抜け……階段をくだり……小さな足音と共に、食堂内にけ込む少女。


った! ったの! 聞こえた? ……ったの!」


 朝食の準備に取り掛かっていたシスター達の服裾ふくすそを、引っ張っては離し、引っ張っては離し。

 普段とは違い、どこか興奮した様子でくだんの音を伝えて回っている少女の頭へ……食堂準備室から出てきたシスタースズシロの手が、そっと優しげにれる。


「……ええ、私達にも聞こえたわ。昼のお祈りが終わったら、みんなを集めてお話をしましょうね?」


 何日も前から始まった道化市どうけいち設営せつえい

 シスター達の事前的な説明により、開催かいさい当日にはそれを知らせる大きな音が早朝に響くと教えられていたこともあってか、ここ最近の少女のトレンドは朝の窓際まどぎわ待機となっていた。

 何故なぜそのような場所にいるのかといういに対し、少女から返ってきた答えは少しでも早くその音が聞こえるように。……なんとも、可愛かわいらしい考え方である。


「お祈りはいつ始まるの? ……終わったらすぐ行くの?」

「ふふっ……お祈りの時間はいつもと同じですよ。楽しみなのね、リリー?」


 シスタースズシロからそうは言われても、壁に備え付けられた時計は少女の目の前でカチコチと音を立てるばかりで……一向いっこうに長い針を急がせようとはしてくれない。

 どうにもこうにも待ちきれず、椅子いすに座るとソワソワ。立ち上がるとウロウロ。

 そのうち、大聖堂の正面入口が開放される時間となった事で、少女の足は自然とそちらへ向かって歩き出していた。


 ワイワイ、ガヤガヤ……何時いつにも増した人の流れ。

 入口脇にもうけられたベンチに腰を下ろし、いつものように少女は通りを雑踏ざっとうに目や耳をかたむける。


 ガチャガチャと音を立て、何体かでまとまった行動を取っている街の警備用ドール……

 荷車にぐるまを引く馬が急に立ち止まってしまい、通りの真ん中で頭をかかえてしまう商人……

 仲睦なかむつまじく手を取り合う老夫婦に、走り出した我が子をあわてて追いかける母親……


 様々な者達が、様々な想いを胸にその歩みを進め、それらはみな同じ場所……みな同じ、一つの当て所あてどをひた目指す。


「━━はやくはやくー!」


 ふと……雑踏ざっとうき分け、耳に届いたおさなき声。

 感覚をたよりに視線をうつせば、いつか見たような家族連れがそこにはあって。先導せんどうつとめる小さな女の子が両親と見られる若い男女の手を引き、嬉しそうな様子で通りを歩く。


「ふたりとも、おそいとおいてっちゃうのー!」

「ハハハ。そんなに急がなくても、お祭りはいなくなったりしないさ」

「ほら……ちゃんと前を向いて歩かないと、転んで怪我けがを━━」


 そんな道行みちゆく三人のやり取りを他人事ひとごととして、ただただ´ぼう´と見つめながらも……少女の両腕は強く、その胸にクマのぬいぐるみを抱きしめていた。


「…………」

「やあ、おはようリリー」


 不意ふいけられた言葉。

 驚いた少女が顔を上げると、ベンチの横では気付かぬうちに一人の男性が立っている。目深まぶかにかぶった帽子、肩から下げた大振りなかばん……普段と変わらぬ、制服姿の青年だ。


「あっ…………。配達さん、あなたもここで待ちたいの?」

「ん……待つ? ……ああ、道化市どうけいちの事かい? それなら残念だけど……今のところ、見に行く予定は無いかな」

「どうして? たくさんの動物が来るのよ? いろんな芸を見せてくれて、大きなクマだって見れるかもしれないの。……ね、ロッコ?」


 青年にそう返した少女はかかえていたクマのぬいぐるみを持ち直し、ひざの上からこちらを見上げる黒く´まあるい´顔を見つめ楽しげに笑う。


「ごめんごめん。もちろんリリーと同じで、僕も興味はあるんだよ? だけど、道化市どうけいち開催かいさいで街には人があふれてしまっているからね……そりゃあもう、朝から晩まで´ひっぱりだこ´なのさ」

「ふうん……」

「それに誰もがこぞって道化どうけと呼ぶ、素性すじょうも知れないあの者達の事が僕はどうにも好きにはなれなくてね。客層きゃくそうに合わせて化粧けしょうや服装で自分を変える…………まるで、どこかの誰かさんみたいだ」

「……配達さんは、その誰かさんの事がキライなの?」


 クマのぬいぐるみの手を取り、フリフリと動かして遊び始める少女。

 そのとなりで青年は少しの間、目元を隠した帽子のおくに難しい表情をかべていたが……

 帽子を深々ふかぶかとかぶり直したことで何かを振り払い、静かに口を開いた。


「…………。好き……ではないかな」

「うーん……でも、ずっと誰かさんのままじゃ……誰かさんもかわいそう。リリーが名前をつけてあげようかな?」

「……!」


 いつも飄々ひょうひょうとした雰囲気ふんいきまとっている青年の顔に、今一度いまいちど変容へんようおとずれる。


 それは、どこか戸惑とまどいに近く……

 それは、どこかあこがれにも似た……


「そうか……名前…………」

「うん! いっぱいいっぱい、考えておくね!」


 そうして少女がクマのぬいぐるみから青年へ、その視線を戻した時には。

 つかみどころのない、よくよく見知みしった表情が……小さく、微笑ほほえんでいたのであった。


「……それはいいね、喜ぶと思うよ。でも、僕が次にリリーと会えるのは……もう少しだけ、先になりそうなんだ」

「えっ……」


 少女の顔が、わずかにくもる。


じつは、この街を離れないといけない理由が出来てしまってね……。だからこうやって、リリーとお話をしに来たんだよ?」

「どうしても…………行かないとダメなの?」


 ベンチに座ったまま消え入りそうな声でうつむいてしまう少女の前で……青年はひざを折り、優しくさとす。


「ああ。僕は……どうしても、行かないとダメなんだ」

「…………」

「そんな顔をしないで、リリー……ほら、僕の顔を見てごらん? ……笑っているだろう? 街のみんなだって笑ってる。昔、教えた通りさ。楽しいことにいそがしいから、みんなの顔は笑っているんだ。

 だから、リリーもたくさん笑って……初めての道化市どうけいちで、たくさんの´楽しい´を見つけてほしい。……ね?」

「…………。うん……」

「大丈夫、しばらくしたら戻ってくるよ。なんて言ったって僕は、リリーから楽しかった道化市どうけいちのお話を……たっくさん、聞かないといけないんだからね?」


 そう言ってニコリと笑った青年は、少女のほおかすかな笑顔がともったのを見届けると……手を軽く振りながら、目の前の通りに向かって歩いていく。

 そして、少女が目を離したすきにはもう……その姿は、雑踏ざっとうの中へと消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る