026 お祭りが街にやってくる④

〈━━ごつん〉


 視界を本によってさえぎられ、その重さもあってか´よたよた´と歩いていた少女が二階に立ち並ぶ本棚の間を抜けた時……自分よりも大きな何かが、不意にく手をはばんだ。


「あっ」

「おっと」


 声を聞いた少女が顔を上げれば、そこに立っていたのは制服姿の青年。


「……大丈夫だったかい、リリー? ……おや? ロッコは……あまり大丈夫じゃなさそうだね……」


 目深まぶかにかぶった帽子の´つば´を軽く押さえつつそう言ってこちらに振り返る青年に対し、本をかかえた少女はどことなく不満げである。


「だめよ、配達さん。ここはリリーがいつも使う近道ちかみちなんだから、立っていちゃだめ」


 それは申し訳ないと体をどかした青年の隣を、一度は通り抜けようとした少女だったが……ふと立ち止まり、今度は不思議そうな顔をして青年を見上げた。


「どうしてこんな所にいるの?」

「ん……どうしてだったかな? ……ああ、´かくれんぼ´をしていたんだ。うん。でもリリーに見つかっちゃったからね、大人おとなしく他の隠れ場所を探すことにするよ」


 普段とは少しだけ違う様な気がする笑顔と共に、青年は少女に向かって小さく手を振ると……そのまま、一階に続く階段の方へと歩いていく。


「……? ……へんな配達さん」


 そうこうしているうちに見えてくる、暖かな日差しが差し込むお気に入りの場所。窓際に置かれた、少女のいつもの席。

 少女がよいしょとかかえてきた本を小さめの机に置いたところで、近くにある吹き抜けを通して階下かいかからは馴染なじみのある声が流れてきた。

 ……どうやら、声のあるじはシスタースズシロの様子。


「まあ……いつこちらにいらっしゃっていたのですか? はい……はい……。おしになるのが分かっていれば、わたくしの方からお迎え致しましたのに……いえいえ、こんなご挨拶あいさつになってしまって……ええ、それでは…………」


 次第しだい遠退とおのいていく声に耳をかたむけている少女を余所よそに、その胸元からはいろいろな部分をスリムとしたクマのぬいぐるみがうのていで姿を現す……


「や、やっと終わったか……」


 そしてげんなりとして立ち上がり、おぼつかない足取りのままあらぬ方向へと歩き始めたクマのぬいぐるみを……机の上から落ちそうになったすんでところで、少女がスッと抱きめた。


「ロッコはこっちよ?」

「お、おう……ありがとな、リリー」


 向き合うように座らされた机の上に、せっしたお尻からも伝わってくる日当たりの良さ。


「ああ、もう……。ここも……こっちも……!」


 ぽかぽかとした陽光ようこうのなかで、自分の体にできた´へたり´をきらってせっせと毛繕けづくろいを始めたクマのぬいぐるみを見つつ……苦労をして運んできた本の表紙に、少女も手をかける。


〈パラ、パラ、パラ〉


 大図書館二階にある窓際の小さな席で……本をめくる静かな音だけが続く。


〈パラ、パラ、パラ〉


 ……めくるたびに目の前をおおう、無数の文字列。

 しかし、本の中にえがかれている挿絵さしえは思いのほか多く。所々に着色がなされている事もあいまってか、想像がどんどんとふくらむ少女のその手は止まることを知らない。


 長い鼻を使って、大きな旗をひるがえすように振っているゾウ。

 火がついた輪を勇猛果敢ゆうもうかかんにくぐり抜けるライオン。

 頭の上にいくつもの玉を乗せ、器用に手を叩くアシカ。


 そうしてそして。


「あっ、クマがいる! 見てロッコ、クマがいるよ?」


 少女がそう言って嬉しそうに指でしめした先には……三角の帽子をかぶり、小さな三輪車にまたがった大きなクマの姿が。


「へぇ……」


 毛繕けづくろいは一旦いったん保留ほりゅう。お呼びの掛かったクマのぬいぐるみも少女にじり、一緒になって道化市どうけいちの本をのぞき込む。


〈パラ、パラ、パラ〉


 その後もしばらくの間はどの挿絵さしえも動物達が主体ではあったのだが……本を読み進めていくうち、それらとは入れ替わる形で少しずつおかしなものがえがかれ始める……


「ねえロッコ……なんだろう、これ……」

「んー……」


 派手はでな衣装に白塗りの顔、鼻には丸い玉のようなもの……余程よほど似つかわしくない、見たことも聞いたこともないような人の姿だ。


「なあ、その絵の上にあるちっちゃい文字には何が書いてあるんだ?」

「えぇっと…………ど……う…………け?」

「どうけ……? ……ああ! もしかしたら、それがシスター達の言ってた道化どうけってやつなのかも知れないな!」


 泣いていたり笑っていたり。色々な表情を思わせる道化どうけの顔のペイントは、老若男女ろうにゃくなんにょ様々な観客達をかせるのに一役ひとやく買うのであろう。

 大掛かりな劇場や、それをおお天幕てんまく……メインとなる出し物の他にも各地からは多数の道化どうけが集まり、みがきにみがいたとっておきの芸を惜しげもなく披露ひろうする。

 小動物と共に活動する者……一人で様々な楽器を演奏する者……挿絵さしええがかれた道化どうけ達の姿はどれもこれも少女には新鮮で、期待感をつのらさずにはいられないのだった。


 一方いっぽう……本のとりことなっている少女の前では、クマのぬいぐるみの毛繕けづくろいもいよいよラストスパート。

 机の上から窓枠へと場所をうつし、お日様のチカラを利用して丹念たんねんに……そして入念にゅうねんに、時間をかけてみずからをみほぐしていく。


 徐々じょじょにふわふわとした体に戻っていく喜びをみしめながら、クマのぬいぐるみが窓の外に広がる昼下がりの街並みに目を向ければ……


 来たる道化市どうけいちに向け、かせぎ時とばかりにせわしなく動きまわる商人達。

 通りのあちらこちらで止まる、物見遊山ものみゆさんな貴族達が所有する豪華な馬車。

 人の増加にともなって次々と追加されていく、街全体にった警備用ドール。


 驚くことに宿屋のほとんどはすでに満室で、まだ道化市どうけいちが始まってすらいないというのに街はてんやわんやのよそおいだ。

 従来を知っている身からすれば、突然の事で街に対する居心地いごこちの悪さや窮屈きゅうくつさを感じてしまいそうではあるのだが……それでもなお、通りを行きう人々の顔には生気がち、みなそれぞれが楽しそうに街のにぎわいを享受きょうじゅしていた。


〈━━ぱたん〉


 少女が一冊の本を読み終える頃には、クマのぬいぐるみの体もすっかりと元通り。

 丁寧ていねい毛繕けづくろいによって細部さいぶにある毛の一本一本までもが立ち上がり、いつにも増した丸いフォルム……ふわふわとやわらかなこの体……思いえがけるだけの、理想的な自分の誕生である。


「ふふん」


 ご機嫌きげんに鼻を鳴らし、自慢げに窓枠から飛び降りるクマのぬいぐるみに……突き付けられた現実は、非情と言う他なかった。


「次の本持ってこよ。……おいで?」


 椅子いすから立ち上がった少女が、閉じた本の表紙を叩いている……


「…………??? (他に誰かいるのか?)」


 理解が追いつかず周囲をキョロキョロとしているクマのぬいぐるみを、地獄まで叩き落とすかのような少女からの最終宣告。


「ロッコ、はやく来て?」


 そこから先は……かたるにおよばず。

 机に置かれた本に自分の体を押し付けようとしている少女との隙間すきまに、一瞬見えたクマのぬいぐるみの顔は……おこりもせず、悲しみもせず……ただただ、´´であったと言う……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る