020 清風、遥かに

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 眼下がんかのぞむは浩蕩こうとうたる草原。

 木々はまばらで身を寄せ合うように林となり、森となり。

 小川の近くには人々のいとなみが、小高い丘の上ではだいだい色をした花が無数に咲き乱れる。


〈サーーッ……〉


 時折ときおり枝葉えだはらしつつ吹き抜けていく優しくおだやかな風。

 この場所は風がよく通り、とても心地ここちがいい。

 高い場所から見下ろす世界は……いつもの見上げてばかりな世界とは違い、私を少しだけ大人になった気分にさせてくれる。


 いつもより、ちょっぴり近くに見える空。

 いつもより、ちょっぴり暖かく感じる太陽。


「おっ、お嬢様! そそそんな所に立たれて何かあっては……!」


 本当にいい風……

 目を閉じ、腕を広げて、からだ全体で受け止めれば……意識は風と共にはるか空の━━


「あっ……ああっ……! お嬢様ぁ!」


 い、意識は風と共にはるか空の彼方かなたへと飛び去り……鳥たちと━━


「いけません、いけません! 危険ですので今すぐおりになって下さい!」


 鳥たちと……鳥たちと……ええっと…………


「お願いします、お嬢様ぁ……。お嬢様に何かあっては旦那だんな様に顔向けが出来ません……」

「…………んもう! 何を考えてたか忘れちゃったわっ!」


 声がする方へくるりと振り返れば、そこには私を心配そうに見上げる白髪はくはつの男性。

 あんじょうオロオロとした表情を見せながらも……胸元にまで上げられたその両手には、私が言いつけた通りにこちらへ顔を向かせる形で人形が座る。

 誕生日プレゼントとしてお父様にもらってから、ずっと一緒にいる私のお気に入りの人形だ。


 確かに……今、私が立っているのは屋敷やしきを取り囲むへいの上だけど?

 まあ、大人に見上げられるくらいだから……´多少たしょう´は高いとは思うけれど?


 庭にある大きな木が、へいの上へうつれそうなくらいにまで枝を伸ばしてるほうが悪いの。

 そんなの……登りたくなるに決まってるじゃない? 私は何も悪くないわっ。


「ほら見て、全然平気よ? 心配しすぎ━━」


 下方かほうから聞こえてくる心許こころもとなげな声をともなったままへいの上を歩き、そう言いながら再び振り返ろうとした時……


〈ぶわっ〉


 突然、正面から強い風が吹き付けた。


「あっ……」


 ……ぐらり。

 バランスをくずし、背中側から敷地の外へと落ちていく体。


「!?!?」


 不思議とゆっくり流れる時間……視界には青空がいっぱいに広がり、へいの向こう側からは声にならないさけびが聞こえた様な気がした。


〈どさっ━━〉


 その音と共に現れた衝撃しょうげきで、咄嗟とっさに目を強くつぶる。


「…………!」


 しかし、それを確かに感じはしたものの……後に続いたのはお尻のじんじんとした痛みくらいなもので、他は特になんともない。


「……あ、あれ?」


 ゆっくりと目を開ければ、あたりには無数にらばる干し草が。

 お尻の下では、大人がかかえるほどの干し草のたば幾重いくえにも積まれ……むすびがゆるかったのか上部にあるいくつものたばほどけて飛びったために、それがクッションとなって落ちた時の衝撃しょうげきを吸収してくれていたようだった。


「いい´働き´だったわ。あなた達、うちへいらっしゃい!」


 背中からお尻までをすっぽりとつつむ干し草の山からなんとか抜け出し、手足のむずがゆさに耐えつつも偶々たまたまそこに置いてあった干し草のたば数々かずかずへ、パシパシと叩きながらお父様の見様見真似みようみまねで言葉を送っていると……

 私が預けた人形を胸元で持ったあの姿勢のまま、遠くに見えるへいの曲がりかどから白髪はくはつの男性がこちらに向かって走ってくるのが見えた。


「……お嬢様ぁ!」


 入口の方からへいをぐるりと一周ひとまわりしてきたのだろう。

 ヨタヨタと左右にれながらもどうにかしてこちらまでたどり着き、持っていた人形を私へと手渡すと……その場でガックリと両膝りょうひざに手をつき、肩で息を繰り返す。


「ぜぇ……はぁ…………おじょ……さま……お、お怪我けがは…………」

「大丈夫、どこにもないわ。それより、貴方あなたの方がつらそうよ?」

「さ、流石さすがに……今のは生きた心地ここちがしませんでしたぞ……はぁ、はぁ…………ふう。

 ささ、はやくお屋敷へ戻りましょう。今夜は旦那だんな様が早くにお帰りになられますゆえ、おし物も━━」


~~~~~~~~~~


「━━そろそろ戻ろう、ロッコ?」


 大聖堂の入口を正面に、そのまま敷地内を左へと歩いていけば……やがて見えてくる、緑にあふれた公園。

 朝夕あさゆうわずいつも楽しげな声が響き、その声がさらに新たな声をもたらす様子は……まさに、子供達にとっての社交場しゃこうばである。


 そんなにぎやかさからは距離を置くようにして、少し離れた位置に並べられたいくつかのベンチ。そのうちの一つからあかね色にまり始めた公園を遠巻とおまきにながめていた少女は、自身の腕の中に収まるクマのぬいぐるみへそう声をかけた。


「……んっ。あ、ああ……そうだな」


 じきに、街のいたる所からただよい始める夕食の気配けはい

 母親と思わしき女性や、父親らしき男性、またはそれにじゅんずる誰かがやってくるたび……それに気付いた子供達はみな笑顔でけ寄っては、一人、また一人と手を引かれながらに公園を去っていく。


「…………」


 徐々じょじょにぎやかさから静けさへとうつりゆくなかで、パラパラと残った子供達からの注目をびる一つの影。

 丸太で組まれた遊具の一番の高所こうしょで立ち、得意げにバランスを取り続ける小さき影は……夕焼けにらされ、周囲の喝采かっさいと共に長く長くその色を地面へとつたわらせる。 


「ほら、俺達も行こうぜ?」

「……うん」


 ベンチから立ち上がったまま何も言わず、遊具の上で手を振っている一つの影をじっと見つめていた少女は小さく答え……腕の中でモゾモゾと動くクマのぬいぐるみの頭をでた。


 それは、何かを思うように優しく……誰かを想うように何度も。

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