第213話 サエカにて
不治の病サンソニア病にかかると、王族であっても追放された。この病は伝染すると信じられていた。神の罰であるとも言われていたから、人間としての資格を失い、賤民身分となる。
サンソニア病にかかると、赤いフードをかぶらなくてはならない。そして町に入れる時間が日の出から1時間と制限されている。その間に町の生ゴミを漁り、それを食べて生きている。
家族は最初のうちは、食べ物を用意し早朝に渡してくれるが、1年もてば良い方で、たいていは2,3か月で忘れ去られる。忘れ去られたものは死ぬ。
15歳の少女、サマリ(マリアガル)は赤いフードをかぶり、3人で聖地巡礼の旅に出ていた。ピュリスを経て、次の目的地はサエカだ。宿には泊まれない。だが旅人と自称するエルフも、片手の狩人アミーフも、野宿には慣れている。
サマリにはそんなにつらい旅ではなかった。惨めな方が気がまぎれる。町を見物するのは早朝1時間に限られていたが、かえって人がいなくて、サマリには気持ちが良かった。
サエカの広場では、早朝でも噴水から勢いよく水が噴き出していた。ハルハとディオンの彫像は真新しく穢れがなかった。
3人はそこで奇跡を見た。みすぼらしいガーゴイルが、女神に抱きしめられた。ガーゴイルは背の高い痩せた男性に変身し、キスをした二人はそのまま消えたのだ。
旅人とアミーフは
「「サンサーラ」」
と唱えた。
サマリはそのガーゴイルを知っていた。忘れられるわけがない。彼の真言のスキルによって、カリクガルに敗北したのだった。敗北の後、目の前で息子を殺され、5年間幽閉され、屈辱を受け続けてきた。
憎きガーゴイル、裁決者ディオニソス。彼は輪廻に帰った。今ならカリクガルに勝てるかもしれない。
だがまた絶望が心に戻ってくる。もう息子はいないのだ。カリクガルに勝って何をしようというのか。もうやりたいことは何も残っていなかった。
サマリ(マリアガル)は神聖クロエッシエル教皇国の、教皇の従姉妹として生まれた。サマリの世界観では神の代理人である教皇が人間の中で最も尊く、皇族がその次に位置していた。それは今でも変わっていない。
アズル教以外の神は人間以下であり、亜人や獣人に等しい。サンソニア病の患者など、さらにその下だ。赤いフードを被ってサンソニア病の患者を偽装していると、サマリ(マリアガル)はひどく惨めになる。だがその惨めさが、絶望を癒してくれるのが不思議だ。
この街にはアズル教の教会はない。新しい街だし、それにアズル教ではなくて、隠れたる神の教会がある。隠れたる神はサマリ(マリアガル)にも「もう許されている」というのだろうか。
3人は町の外に出て、海へ向かう。塩の精製場所があり、小さな漁村があった。アミーフが一羽の鳥を射とめ、海鳥の卵を見つける。さっき市場のゴミ箱から漁った野菜のクズと合わせ、旅人がスープを作ってくれる。
小さなペレットストーブで、スープを作る。浜で拾った海藻も加えて、煮えるのを待つ。このゴミ漁り料理が美味しいのだ。サマリのささやかな幸せである。それを感じられるくらいにはサマリの心がとけてきている。
3人はそこからエルフの領地へ向かう。エルフ以外は入ることを禁止されている場所である。向こうから一人の男がやってくる。
この男はエルフの吟遊詩人でアデルのためにハリハとディオンの歌った男だ。彼の名はマジューロ。今日はハルハとディオンの彫像ができたことを祝う祭典がサエカで開かれる。そこへまた歌いに行くところである。
マジューロはヒューマンを見下している。外見が醜いだけではなく、ヒューマンは心も醜い。ハルハとディオンの物語は、ヒューマンなど海の底に沈んでしまえという呪詛の歌なのに、それに気がつかない愚かさだ。
今日は石化していない。マジューロはハイエルフの勇者だった。千日の試練は終わったのだ。サラマンダーと契約していて、それを内部召喚すれば、能力値は800以上になる。マジューロと同等の力を持つ4人。勇者パーティーならカリクガルを倒せる。
本当はこのパーティーにはもう一人聖女が参加するはずだった。その女は、ヒューマンどころか獣人まで平等だと、ユグドラシルを拒否したそうだ。マジューロは実はその女を知っている。ルミエは幼馴染だ。だがその女のことは記憶から消すつもりだ。
伝説の聖剣は、マジックバッグに入れてある。ユグドラシルは本気でカリクガルを殺すつもりで、エルフの総力を挙げるつもりだ。武器や防具も最高のものをそろえている。だがマジューロは今日は武器ではなく楽器を使う。バッグにはガアーズという、吟遊詩人の使う弦楽器も収納してある。
マジューロはやってくる3人を不審げに見つめた。赤いフードの者もいる。だが先頭の女が長い耳をした女だったので、軽く挨拶してすれ違った。見覚えはないが確かにエルフだった。
マジューロはサエカとの交渉を任されていた。今日はサエカの領主アデルと話をしなければならない。ここで揉め事をおこしたくなかった。
祭典は熱狂的だった。昼から始まった祭典の最後に、マジューロは、ハルハとディオンの歌をもう一度歌った。その後思った通りアデルからお茶に誘われた。
領主のアデル。
「マリリン。とっておきのハーブティーを淹れてくれ」
肉食系メイドのマリリンが答える。
「はい。準備できてます。マジューロさん、砂糖入れますか」
エルフの勇者は甘いお茶が好きだ。
「たっぷりお願いします」
「ハリハとディオン、何回聞いても感動するよ。良い声をしてるね」
「ありがとうございます。男爵」
「アデルと呼んでくれ」
「わかりましたアデル」
「マジューロさん、今日は彫像ではないんですね」
「ええ、私はユグドラシルから千日の試練を受けていまして、前回はその期間中でした。本当は期間中は声が出ないんですが、特別に許可得て、歌いにきていたんです。試練が終わったので、もう彫像ではないんです」
アデル。
「マジューロ、実はお願いがある。君にずっとサエカにいてほしい」
「それはできないんです。僕には特別な使命があるもんですから」
「それじゃ誰か君以外のエルフで、サエカに住んでくれる人はいないかな」
「エルフ領の端に物々交換の場所を作りませんか。エルフが売りたいものを箱に入れる。ヒューマンも箱に入れる。価値が同じとエルフの魔法で判断されたら、交換が成り立つという仕組みでどうですか」
アデル。
「手紙を送りたい時はどうすればいい?」
マジューロ。
「宛先を書いてくれれば、1週間くらいで返事が届くようにできます」
アデル。
「わかった。それで頼む」
マリリン。
「マジューロさん。私が手紙書いてもお返事してくれますか」
マジューロ。
「もちろんです。マリリン。僕たちもう友達ですから」
アデル。
「それでマジューロ。エルフの欲しいものって何だろう」
マジューロ。
「エルフが欲しいのは塩です。それに海で取れる魚とか貝なんかですね。本も欲しいですが高くてなかなか手が出ません」
アデル。
「逆にエルフが箱に入れてくれるものにはどんなものがあるの」
マジューロ。
「私たちは狩りをしているので動物の肉や加工品。エルフが作る薬。毛皮製品。干した木の実。木工品。宝石や魔晶石なんかです」
アデル。
「魔晶石というのは知らないんだが」
マジューロ。
「魔力が大きいモンスターが、死んだときに残す魔石の事です。特別な力があって価値があると言われているんですよ」
マリリン。
「宝石が採れるんですか。どんな宝石なんですか」
マジューロ。
「いろいろな鉱山があるんですけど、エルフは光るものをあまり珍重しないので、よくわからないです。女の子が若いときに気の迷いで身に着けるくらいです」
マリリン。
「私は欲しいです。エルフの宝石」
マジューロ。
「そういう時は宝石ほしいと書いて、塩を箱に入れてくれれば、魔法が何とかしてくれます」
3人の巡礼団は、エルフの里には入らない。エルフの旅人が知っている森の抜け道を通って、西へ向かう。
この道を通れば砂漠につながっている。セバートン王国の東部地区から王都アリアスを経由しない道があるのだ。
3人は急ぐ必要はないので初夏の森を楽しんでいる。
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