第212話 ディオニソス
アリアの幻像がサチュロスである。下半身が巨大な山羊、上半身は人間の獣人型のモンスターである。進化の実はこれを獣人と誤認して能力値を1・5倍にしてくれる。
アリアは1体だけ特別に能力値を上げている。それがキングサチュロスだ。幻像の能力は、本体の能力の7割と決まっている。進化の実で強引に能力を上げて7割を超えてしまうと、本体がそれに引っ張られて、幻像の1.4倍の能力に修正されてしまう。
サイスとその幻像のファントムとの間で起きた出来事だった。進化の実のバグである。アリアはそれを利用して、キングサチュロスを強化し、進化の実を利用して、自分の能力値を上げようとしていた。
アリアはキングサチュロスを急がせていた。急ぐ事情ができた。経験値の分配を1対99にして、キングサチュロスをパワーレベリングしていた。キングサチュロスの能力値平均を500にするのが目標だ。そうすればアリアの能力値はカリクガルを越える。
パワーレベリングは14時間。それ以外の時間は死に戻りダンジョンで3倍速を使って戦わせる。体感時間が長くなり、スクロールによる5%アップを通常より2回多く受けさせていた。木の瞑想も忘れさせない。魔石食いも1日200個食べさせていた。サチュロスは人間より丈夫なのでそれが可能だ。
予定の半分の時間で、キングサチュロスの能力値平均は500を超えた。この時点で、進化の実を食べさせる。キングサチュロスの能力値は750以上に、アリアの能力値は1000を超えた。キングサチュロスの目は赤く血走っている。限界なのだろう。
ワイズの神の乳ブースターで、能力値は24時間の間、3%上がる。あらかじめ準備してあった魔道具や杖で、無理やり能力値をさらに上げた。そこまでしてアリアはサエカに出かけた。
サエカではハリハとディオンの彫像がもう出来上がっていた。その広場の隅に隠れて、アリアはひたすら待っていた。神の乳のブースターが切れたらすぐ補充して、能力値の上昇を切らさない。
数日後みすぼらしい小さなガーゴイルが現れた。アリアが待ち続けたディオニソスである。本来は古代神の1体であり、ピュリスの神殿のたくましい主神である。
死の谷のダンジョンで、かいま見た以来である。あの時ディオニソスは、ジンウエモンに連れられていた。30年以上前だ。アリアの心にこみ上げるものがあった。みすぼらしくされた姿は見たくなかった。
アリアにはやらねばならないことがあった。そのためにルミエから解呪の方法を詳しく聞いていた。何回も何回も練習した。
もしリッチのジンウエモンからかけられた魅了なら、解呪できないかもしれなかった。カリクガルがかけた魅了なら解呪できるはずだ。そのためにキングサチュロスを、死の寸前まで追いつめて能力値を上げさせた。
サチュロスたちも解放するつもりである。それよりもまず辛い運命に翻弄されたディオニソスを、先に楽にしてやりたかった。
古代帝国は凡庸なアズル教に敗北した。古代神の主神の1体であるディオニソスは、アズル教の神によって無力化された。誇りある地位を失うのはしかたがない。
その時アリアは美の女神であることを否定された。そして醜いアラクネにされ、永遠の生命を屈辱と共に生きてきた。
ディオニソスは卑しいガーゴイルにされ、神の谷のダンジョンの、深い地下に封印されたのだ。
それだけならまだいい。敗北した者の受け入れなければならない屈辱だから。しかしジンウエモンは、自らの古代魔法の威力を高めるために、封印されていたディオニソスを拉致したのだ。
古代魔法は言霊であり、言葉がそのまま現実になる。古代魔法と古代魔法が互角の力でぶつかり合った時が問題である。矛盾しあったままでは世界が破たんする。それを避けるために、勝敗を決する裁決者が必要になる。
裁決者こそ古代神の最高位で、ディオニソスこそ至高の裁決者だった。カリクガルとマリアガルの対決の時、男性の声で
「これこそ真言でである」
と古代語で宣言したのがディオニソスである。
マリアガルの記憶の映像の中でこの声を聴いた時、アリアは自分の生きてきた役割を悟った。ディオニソスを殺してあげる。幸い神を殺すアイテムはセバスの倉庫にあった。
アリアは声を振り絞る。ここで失敗するともう方法がない。ディオニソスを解放できないだけでなく、チームはカリクガルの古代魔法に勝つことはできない。
「ディオニソス。魅了を解呪する」
「・・・・」
目が見開かれた。ガーゴイルの惨めな姿なのに、美しい目をしている。その目にアリアは語りかける。
「本来の姿に戻れ」
やせ衰えたディオニソスがアリアの前に現れた。アリアは抱き締めた。
かつての逞しさはない。だが体幹の奥の骨格が同じだ。何回抱き締めあっただろうか。懐かしさが胸を浸す。
「アリアか。よく生きていてくれた」
「会いたかったよ。ディオニソス。ここで待っていたら来てくれると思っていた」
「吟遊詩人が歌うのをどこかで聞いてね。ぼんやりした頭の中でここへ行かなければならないと思ったんだ」
「私もあんたに来てほしいと祈った。そして信じた」
「ああ、この一瞬の輝く時間。これで永遠の苦しみも耐えられる」
「この一瞬の陶酔のために私は生きてきた」
「でも俺たちは神だったから、楽になることは許されていない。俺はまたあの女の奴隷に戻らなくてはならない。醜いガーゴイルとして」
「大丈夫私が準備しているよ。二人で輪廻に帰ろう」
アリアが取り出したのは、小さな赤い二つ粒の宝石だった。リリエスとケリーがダンジョンの宝箱から見つけたサンサーラの宝石である。
「私の言うとおりに言うのよ。すべてをブラウニーに捧げる」
「すべてをブラウニーに捧げる」
アリアは二粒の宝石を口に含み、ディオニソスにキスをして舌でディオニソスの口に押しやる。飲み込んだのを確認して、アリアも赤い宝石を飲み下す。
アリアはガカドに頼んで走馬灯を特注してあった。二人の共通の思い出をスライドショーにしてもらっている。思い出は一瞬で過ぎ去る。
「いろいろあったな」
「そうね」
もう言うべきことは何もない。
ディオニソスとアリアの身体は、朝のブラウニーダンジョンに静かに消えて行った。見送るものは一人もいない。いくつかの遺品はブラウニーのもとに残った。
続いて12体のサチュロスたちが、エロスの大弓を持ったまま現れ、同じく静かに消えていく。弓はブラウニーのもとに残された。
アリアはディオニソスが捕らわれている限り、カリクガルには勝てないことを悟った。そしてディオニソスという誇り高い神を輪廻に送ってやりたかった。
彼一人を送ることもできた。だがディオニソスのいない世界で、カリクガルを倒す気力がもうなかった。アリアも限界までやり抜いたのだ。
遺品の行き先は、指定されていた。ディオニソスの真言のスキルは消すこと。古代魔法を卑小な権力のために悪用されてはならなかった。宝物庫の鍵は一真に。糸の指輪を持つ者には新しい糸を。エロスの弓は全部ベルベルに。それ以外は、サチュロスたちの能力値も含めて、広く民衆に配るようにと。
アリアの忘れているものが一つだけある。真言のスキルを消したのは良いが、アリアは真言の魔法陣の存在を知らなかった。『魔法陣創造』という本の中にその魔法陣があった。ブラウニーはその本をジュリアスへ贈ることになる。
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