第211話 貧者のグルメ

 孤児院長シスターナージャと、元娼婦で自称新興実業家ナターシャは幼馴染である。


 ナージャは市場の八百屋の娘だった。市場の子は小さいころから店を手伝う。ナージャもそうだった。


 八百屋はたくさんクズが出る。根菜の葉っぱは食べられるが、食堂では切って納品してくれという。腐ってはいないが、変色しはじめた野菜は捨てる。そんなこんなで、まだ食べられるクズが出る。


 そんなクズはゴミ箱に捨てる。それを漁りに来るスラムの子がたくさんいた。そのなかにナージャが気になる子がいた。狐獣人の女の子だった。ナージャはもったいないと思うものは、その子のためにとっておくようになった。


 その狐獣人の子がナターシャだった。名前がなんとなく似ていて、同い年だった。その子はスラムに住んでいて、ナージャより貧乏だった。10歳を過ぎるとその子は来なくなった。親に娼館に売られたからだ。


 また見かけるようになったのはナージャが結婚した後だ。八百屋で働く人を婿にした。子供生まれて幸せだったナージャであった。


 ナターシャも子供を連れていた。名前はジュリアス。二人でゴミ箱漁りを始めた。子供がいると娼館で邪魔にされ、追い出されたという。


 商売に出る時はナージャにジュリアスを預けるようになった。ジュリアスとナージャの子供も幼馴染になった。


 今ナージャが運営している孤児院はかつてアズル教がやっていた。孤児院はスラム街にあった。いつか神父がいなくなり、孤児たちは放置され飢えた。そこに市場の八百屋の女将だったナージャが現れた。


 孤児たちはナージャに命を救われた。エルザはもう孤児院を出て働いていた。サイスやサイズ(ヨアヒム)は孤児院にいてまだ小さかった。


 ナージャの子供はこの少し前に、急にいなくなった。探し回っていたナージャに、砂漠から来た男は


「あなたはもう許されている」


 と言ったのだ。最近分かったのはこの砂漠の男はレイ・アシュビーだった。ナージャはそれから孤児たちの母になり、シスターナージャと名乗るようになった。


 サイスや、2代目図書館長のサイズ(ヨアヒム)は毎月少しだけ、孤児院に寄付していた。エルザが始めた冒険者ギルドでの勉強会に参加していた孤児たちは、働くようになって、みな少しだけ孤児院に寄付をしている。


 豊かな人はほんの少しの寄付は偽善だという。真実の善人は自分が飢えても、貧しい人を助ける人だと。自分は偽善者ではないので、寄付はしないと威張る。そして人間は真実の善人にはなれないのだと考え深げにうそぶく。サイス達は偽善者らしい。


 ナージャが最近始めたのは、貧者のグルメという無料食堂である。捨てられていたものや、ごく安いものを素材にしている。


 八百屋や肉屋の捨てるものも使う。例えば血のソーセージ。魔物や動物の肉は血抜きする。その方が美味しくなるから。でもそれは貴重な塩分を捨てることだ。


 血のソーセージは、ピュリスではリリエスのソーセージとも言われている。捨てられていた血と内臓で作られている。薫製は落ちている木の枝を削ったもので燻している。これはリリエスが始めた。


 内臓と野草の炒め物もおいしい。どちらも豊かな人にはゴミだ。しかし肉なんか食べられない貧しいものには、貴重なたんぱく源である。


 ドングリを川で晒し、冬に粉にして食べるドングリ餅も美味しい。今は一真の作った分解精製の魔道具で、簡単に作ることができる。


 カエデの木は春にたくさんの樹液を出す。メイプルシロップだ。そのままでも甘いが、煮詰めるととても甘くなってほっぺが落ちる。


 春にはたくさんの山菜がとれる。どこにでも生えるイラクサの若芽は手軽な山菜だ。孤児たちはどこに何があって、どうやってとればいいのかよく知っている。山菜は野菜の代わりになるだけではない。葛や百合やカタクリの根、菱の実からは澱粉がとれる。


 夏は川で魚を獲る。柳で作った罠をかけておくと、朝には魚が入っている。ウナギやドジョウのような細い魚も取れる。そのまま焼いてもいいが、干して冬に食べても美味しい。


 秋にはブドウやコクワ、クルミをはじめ、たくさんの木の実が成る。無数のキノコも採れて、これも余ったものは干す。スープに入れると美味しい。


 貧者のグルメに最近加わったのが昆布などの海藻だ。これは地下の市場で乾燥させたものが売っている。煮物をする時に出汁を取ると美味しいのだという。その出汁を取った後の捨てられる昆布をもらうのだ。細かく刻んで塩で煮る。


 出汁を取った後の干し小魚もくれる。こちらは刻んで澱粉と混ぜて団子にする。これもスープに入れると美味しい。


 くれるのは高級レストラン海の白銀。くれるのは使用後の昆布だけではない。仕入れたが使わなかった素材は全部くれる。作ったが売れ残ったスープもくれる。鮮度が命だから、少しでも古いものは使わないのだ。


 ナターシャの経営する店は、前の森の銀狐時代から、余ったものは全部ナージャの孤児院にくれる。ナージャはナターシャに会ってもそのことでお礼を言ったことはない。そこはお互い触れない方がいいことなのだ。


 本当のグルメなら、スープが高級レストランと同じ味だと気づくだろう。しかし気がつく人は誰もいない。


 この頃はもらう量が増えすぎて、捨てるわけにもいかない。それでナージャは、貧者のグルメという無料食堂を開いた。


 ワインもある。これだけは有料である。レイ・アシュビーが砂漠のワインを安く卸してくれる。


 お金がないと、他所なら硬いパンと水ぽいスープしか食べられない。貧者のグルメなら、その金で美味しいスープとワインが飲める。物乞いをしながら暮らす貧者の楽しみだ。酔うのもいいと、ナージャは思う。


 飲んだくれる男女もいる。それで家族が悲しむこともある。そんなことは知らない。酒を飲みすぎて死にたい奴には、そうさせてやればいい。ナージャは人助けで無料食堂をやっているわけではないのだ。


 分かち合えと隠れたる神の教会は言う。人の本性は分かち合うことだ。人間が自分の本性に従うことは人助けではない。


 それは分かち合わないアズル教に対する批判になっていた。神父や司祭は貴族の次三男で、分かち合わず、自ら豊かになろうとする人々だった。レイ・アシュビーによれば彼等は自分の本性を見失った人々だ。人助けはそういう人の仕事だ。


 教会は農民から十分の一の税を取る権利があった。秋からはナージャたちも決められた村から十分の一の税を取る権利が発生してしまう。どう分かち合えばいいのか、悩むナージャであった。他の孤児院や図書館に寄附をしようか。


 ナターシャがミーシャを連れてやってきた。時々、お昼を貧者のグルメで食べていく。ここで出されたメニューは、しばしばナターシャの店の新メニューになる。


 今回はネギに似た匂いの強い山菜を気に入ったようだ。塩の液に漬け込んでしばらく放置していたものだ。これを川魚の腹に入れて、焼くそうだ。


 ナージャが聞く。


「ミーシャ。学校はどうだい」


 ミーシャが答える。


「ミーシャ、ほとんどの字を読めるようになった。私すごい?シスターナージャ」


 ミーシャは孤児たちと一緒に字を習ったり、ダンジョンに入ったりしていた。だから学校では優等生になった。ナターシャが自慢する。


「この子、図書館でアルバイトしているのよ。月3万チコリももらってるの」


 ナージャ。


「図書館長はサイスではなくて、ヨアヒムになったみたいだけど、サイスはどこに行ったのかしら」


 ミーシャ。


「サイスは砂漠の図書館にいるよ。こないだ帰ってきて、ミーシャとヨアヒムに図書館司書のスキル入れてくれた」


 ナージャ。


「へー、なんでだろ」


 ナターシャ。


「何でもヨアヒムの次の図書館長はミーシャになるんだって、ダレンが言っていたわよ」


 ナージャ。


「領主の長男がそんなことをね」


 ミーシャ。


「ヨアヒムは戦えないから、第5学校へ行かせてもらって、文官になるって。それで私は小学校卒業したら図書館長になるの」


 ナージャ。


「図書館は子供の遊び場でいいのかね」


 ミーシャ。


「大きい図書館もできるんだって」


 ナージャ。


「どこに?」


 ミーシャ。


「ピュリスの西だって」


 ナージャ。


「そこはディオニソスの神殿があるはずだけど」


 ナターシャ。彼女は諮問会議のメンバーで情報通である。


「ダレンは神殿の近くに大学の街を作りたいらしいわよ。今度その話をすることになっているの」


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