第193話 ケンタウロス祖霊との訓練
半人半馬の獣人がケンタウロスだ。ン・ガイラ帝国の南の海上に6つの大きな島があり、そこに6種の獣人が小王国を築いている。六星王国だ。帝国の西端ドンザヒの近くの島には、ケンタウロスがケルザップ王国を築いている。
もともとは大陸の草原を自由に走り回っていたが、今は多くがケルザップの島に集住している。下半身が馬体になっているものはもう1割程度しかいなくなっている。ヒューマンとの混血が長い間に進んでいるのだ。
リビーがケンタウロスの祖霊から招かれたのは5カ月ほど前だ。家族全部がいなくなった直後だった。その頃のリビーの心は凍結していた。今から思い返しても記憶が曖昧だった。
世話をしてくれたのはリエリアという30代のケンタウロスの女性だった。立派な馬体を持っている。普段はドンザヒ近郊の半砂漠地帯で、メシュトという夫と牧場をやっているという。
案内された場所は郊外の広い平原で、高さ10メートルくらいの石塔が立っている。その周辺に平屋の小さな家が20棟くらいある。ここはケンタウロスの祖霊の神殿で、訓練場でもあるとリエリアは言う。
着いた翌日から訓練が始まった。朝3時に起床である。リエリアがリビーに与えられた家に向ってくる。その気配だけで目が覚めた。ケンタウロスは馬に似ているところがあって、ショートスリーパーだ。3時間睡眠でも眠くはない。そして気配に敏感だ。
「おはよう。リエリア」
「6時に朝食になるので、それまで慣れた方法で瞑想していて、2時間くらい。その後は体をほぐしておくといいわね。午前中走るから」
慣れた瞑想方法と言ってもリビーが知っている瞑想方法は、その頃は魔力操作しかなかった。丹田が馬体のどこにあるかは不明だった。人体と馬体のつなぎ目の奥に丹田を発見して、やっと一安心できた。
大食堂には14人いた。この神殿では沈黙が掟なので、だれとも話はしなくていい。他の訓練者も静かだ。
廃魔石を大量に準備してもらって、朝食は魔石と雑穀、豆というメニュー。大量の筋肉をつけなければならないので、魔石喰いのスキルを導入している。この体を維持し鍛えるためには大量に食べなくてはならない。
朝食後は走る。初日だけ、リエリアが付き添ってくれる。走行訓練は5時間。ペースはリエリアが教えてくれる。リエリアは念話ができるが、無駄な会話はしない。リビーも心が凍ったままだ。話したくなかったのでちょうど良かった。
1時間走って都市部を抜けたところで、魔法発動の指令。氷魔法と火魔法を交互に5分おきに発動する。周りに人などいないので問題ない。
2時間半走って、反転し2時間半で帰る。120キロ走ったので、時速で20キロ。休憩しないのできつい。常時自分をヒールするように指導される。
馬体に慣れていないので、いろいろきつい。明日からは槍を持ち、鎧を装備して同じことを繰り返す。コースやペースは自由。
朝食と同じような昼食。13時からは工房が用意されていて、ガラス工芸をやる。と言っても初日は道具と素材の確認だけだ。沈黙の掟はさほど厳しくない。リエリアと少し話をして、12年前まで闘技場で闘士だった話を聞く。その後奴隷落ちして、奴隷主に恨まれて、両腕を切られ、種馬の相手をさせられていたという。
ドンザヒ領主だったその奴隷主。ルアイオロというらしい。そいつはきっちり殺して仕返しをしたと言っていた。腕はサーラという人に直してもらったそうだ。
心はまだ凍結していて動かされなかったが、仕返しという言葉だけが心に刺さった。リビーの場合も、復讐しなければ前に進めないという気がしていた。祖霊に招かれた6か月は自分の心を試す時間だった。5カ月たって、今はシンプルに強くなると決めている。それだけだ。そして凍結した心の表面はとけた。
夕食は大食堂で豪勢だった。まず量が多い。食べないと筋肉がつかないと大量に食べさせられた。リビーは心が死んでいる自分が、こんなに食べられることに驚いた。
夕食後3時間。リエリアと実戦形式の訓練。リエリアは怖ろしい強弓の使い手だった。敏捷性が高く、近接戦に持ち込むことができない。一方的に攻撃されるままだった。
戦闘モードを変える。リビーは氷槍のスキルで氷の槍を生み出し、リエリアに向けて打った。すべてかわされ、当たりそうになったものは、大弓の先端で破壊された。アイスボールも打ったが結果は同じ。
リエリアの矢は早いし、数が多い。かわせない矢もかなりあった。鏃は丸められていたので、怪我はしな。しかし実戦だったら殺されていた。
夜の戦闘訓練は、ケンタウロスの手練れと日替わりで戦った。槍、メイス、大斧、大剣と盾、双剣。すべてを忘れて戦える時間はリビーには快適だった。5か月後の今、彼等と少しは戦える。
22時から夜の瞑想。初日、心中に祖霊が訪れた。リビーは聞く。
「ケンタウロスの祖霊ですか。なぜ私を招いてくれたのですか」
「先祖がえりをした強い者が現れたら、祖霊はその者を鍛えるのが掟となっている」
「私は純粋なケンタウロスではなくて、リザードマンとのミックスですがいいのでしょうか」
「リザードマンの祖霊からも招かれているのだろうが、先にこっちに来てくれて感謝する。事情は分かっている」
「対価として何を支払えば」
「もう受け取っている。お前の存在自体が対価だ。これ以上は何もいらない。できれば私たちの与えるものを十全に受け取ってくれればという願いはあるがな」
「精一杯やってみます」
「ケンタウロスの瞑想を学んでほしい。他の瞑想と違うのは、見ることに特化した瞑想ということだ」
「瞑想。見る瞑想ですね」
「走ることがケンタウロスの本質だが、良いケンタウロスは、走りながら見ることができなくてはならない。それじゃやってみるか」
走ることと見ることは両立しがたい行動である。走る時も見ているが、それは目標地点を見ているだけだ。世界の中にいる自分の姿を見ること。それが祖霊が要求することだった。
訓練を初めて5カ月。やっとその言葉が何を意味するか分かってきたところだ。走りながら、走っている自分と世界を見る。
リビーの瞑想は3種類ある。魔力操作の瞑想がある。これは魔力の体内循環だ。木の瞑想を導入した。これは体内と自然世界との重ね合わせだ。ケンタウロスの瞑想は走りながら、自分と世界を重ねる。達人になると走る時だけでなく、すべての動作で「見る」ことができるそうだ。
安息日には通常の訓練はない。それでもリビーは朝には魔力操作の瞑想、木の瞑想、夜にはケンタウロスの瞑想をする。朝食が済むとリエリアが海へ誘ってくれる。
牧場の人たちが湖に船を浮かべ、その船で海まで出るのだ。広い運河が海につながっていた。季節は秋から冬にかけてだ。でもこの身体なら、冷たい海で泳いでも平気だった。午後はダンジョンでモンスターを倒し、夜はその肉で宴をする。火を囲み、歌い、踊り。酒を飲む。そしてまた静かな生活に戻る。
宴でリエリアとメシュトの子供たちにも会った。メシュトはケルザップ王の八男だった。そしてこの牧場で育てている馬はピュリスやハルミナにも送られているのだった。
メシュトは言う。
「近いうちに戦争があるのは知っているよね。ケンタウロスはその戦いに賭ける。ピュリスやハルミナは味方になるはずだ。だからいい馬を売っているんだ」
戦争のことは、リエリアにはピンとこない。他人ごとだった。今はただ強くなりたかった。
それから5カ月。ケンタウロス祖霊の訓練はあと1か月だ。リビーには戦争のことはまだ分からない。
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