第181話 3人の夜

 一真は小次郎を自分の代わりに道場に置いて、身体を離れた。今日はケリーの身体に帰りたかった。6年くらいは自分でもあった馴染んだ場所へ。


 ケリーはやっぱりそこにいた。ピュリスの東の森。リリエスと最初に夜を過ごした巨樹の洞だ。木はその枝と根の全体で球形の世界を作り、その球の中心の洞、まるで子宮のような場所に7歳の少年を宿していた。


 ケリーは膝を抱え、その膝に顔を埋めていた。まるで子宮の中の胎児のようだ。泣いてはいない。涙は心の中にあるリリエスの思い出を洗い流すような気がしていた。だからケリーは泣かないと決めていた。


 一真の魂が自分に憑依したのが分かる。リリエスは一真にとっても大事な存在だった。サエカで両親を惨殺されたあの夜から、奴隷商に売られ、十日死線を共にさまよったのだ。


 一真がいなかったら、ケリーは生き延びることはできなかった。ケリーを支えたのは一真だ。一真も何もできず、できたのはカシムのくれた、食事ともいえない餌をむさぼることだけだった。ケリーだけだったなら、あの餌を食べることなく死んでいただろう。


 その辛い日々も明日には殺されて終わるという時に、リリエスが現れた。ケリーと一真は一つの魂としてあの日を思い返していた。


 リリエスは冒険者ギルドへ行って、無理やり冒険者登録をした。その時の受付嬢がエルザだった。彼女ももうどこかに行ってしまった。


 そして広場でやった痛み取りの仕事。最初にお客になってくれたおばあさんは、穴のあいた鍋をくれた。その次が歯の痛いお爺さんだった。お爺さんは現金で500チコリ払ってくれた。


 集めたガラクタはリリエスがリペアで新品にした。それを持って行った店はテッドのゾルビデム商会ピュリス支店だった。テッドも転勤でピュリスからはいなくなった。テッドはガラクタだったものを高い値で買ってくれた。


 市場で買い物をして、その後最初のゴミ漁りをしたんだった。木のスプーンと皿だった。ゴミを新品にするリリエスが頼もしかった。東の森でゴブリンを狩って、ようやくこの木の洞にたどり着いた。


「そのまま休ませてはくれなかったね。リリエスは。一真覚えてる?」


「確かアリアが出てきて、むき出しのおっぱい見せられた」


「アラクネだけど怖くなかった。一緒にモンスター狩りをしたんだっけ。10体倒すまでかえってくるなって言われて」


「それでアリアの乳を飲まされた。エクスタシーというやつ。ケリーはあれ好きだったよな」


「飲むと元気が出て、モンスター倒す勇気が出た」


「あの時リリエスは昼寝をしていた」


「でも帰ったら焚火が燃えていたよ」


「あの時食べた兎の串焼きはうまかった。それまでもう死ぬんだと思っていた。食べた時まだ生きられるって思ったんだ。前世で食べたごちそうよりも、何倍もうまかった」


 ワイズが転移してやってきた。一真もいるのを感じ取っている。


「私の魔導書、取りに行って、それが最後の仕事になったの」


 ケリーが答える。


「ワイズ。いい魔導書が2冊取れたんだよ。僕とリリエスで取った。最後なんか竜を殺して取ったんだ」


 ワイズは木の洞に入ってきて、ケリーの隣に座る。大きくなる前の6歳くらいの時の姿になっている。


 一真が言う。


「ワイズ。俺たち泣かない約束しよう。泣いたら気持ちいいけど、泣かないで、我慢した方がいいと思う。うまく説明できないけど」


「いいわ。私も泣かない」


「僕ね。リリエスに指輪あげようと思っていたんだ。赤い珊瑚のやつ」


「あげたの」


「モンスターにきれいな宝石のやつがいて、宝石甲虫っていうんだ。それが良すぎて、珊瑚のやつは渡せなかった」


「ケリー、あんた馬鹿よ。それに私に意地悪して、泣かせようとしているんじゃないの」


「そんなつもりじゃ」


「俺ね、リリエスが30倍の呪縛解けた時、泣いて頼んだんだ。リリエス、行かないでって」


 ケリーが言う。


「あの時僕は何も知らないで寝ていた」


「白い部屋で、5歳に戻って泣き叫んだ。帰って来てって」


 ワイズが言う。


「一真が泣くとは思っていなかった。泣ける人なんだなって、私、安心したの。あの時」


 一真が言う。


「でも今度はリリエスは泣いちゃだめって言っているような気がする」


 ワイズ。


「冒険者はたいていモンスターに殺されて死ぬ。10人のうち9人がそうよ。リリエスも殺されて死ぬ覚悟はあったはずよ。それが47歳まで生きて、最後の日に竜を殺して仕事を成し遂げて死んだ。偉業だと思う」


 ケリーが言う。


「最後の仕事がワイズの魔導書だったから、リリエスが満足した理由だった。焼き肉が美味しかったし、リリエスが満足していたのは僕が知っている」


 一真。


「それにケリーが自立して、安心したんだと思う。今回の仕事はケリーに対する試験だったんだよ」


「僕が試験に合格したから、リリエスは死んだんだ」


一真。


「もし不合格だったら、リリエスはこの世に残った。サーラとショウのように、ネクロマンサーと死霊としてね」


ワイズ。


「でもリリエスはそんなこと望んではいなかったわよ。ケリーが自立してくれて満足して輪廻に帰ったのよ」


ケリー。


「僕はリリエスがだれにも頼らないで生きている人だったと思う。ケリーも誰かに頼って生きちゃいけない。そう言われているような気がしていた」


「たしかにケリーは、もうリリエスに頼らなくても生きていける男になったんだと思う」


ワイズが言う。


「シャナビスをひとりで倒したし」


一真。


「あれでもう復讐は成し遂げたんじゃないのか。ケリー、最後までやる必要はあるのか」


「僕はもう復讐のために戦っているじゃない。でも闘うことは止めない。リリエスなら僕の気持ちが分かると思う。僕はリリエスみたくなりたいんだ」

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