第175話 サイスと隠れたる神
サイスは隠れたる神からの手紙を読み返している。きっかけはファントムからの念話である。トールヤ村を訪問して、フラウンド元男爵夫婦に会った後にしてきた念話だ。夫人が会いたいと言っているという連絡の後に、この手紙をじっくり読むことを勧めてきた。
ファントムはもともと人格を持たない。サイスの幻像なのでいわば拡張されたサイスである。しかしずっと実体化して都合よく使いまわしているうちに、独自の成長をし始めたようである。
フラウンド元男爵夫人はリングルのボルニット家の出身だ。リオトの母であり、サイスにとっても無縁の人ではない。それ以上に『村の生活』という最初の教科書の著者である。サイスは『村の生活』をアレンジして『町の生活』という教科書を書いた。恩人なのである。
『隠れたる神からの手紙』は『村の生活』に載っている。しかしサイスは隠れたる神の兄弟団の影響が強くなると、ヴェイユ家からクレームが来ると考え、『町の生活』ではこの手紙の部分はカットしていた。
手紙の最初の1節である。
我は隠れたる神なり
我は異世界から来りて
主のいない砂漠を支配した
砂漠は時を置かずして
緑の沃野になる
汝らはわが最初の民なり
十日以内にもう一度
砂漠には雨が恵まれ
村にも雨が降る
我が与えしものを受けよ
この村も砂漠も
以後雨の少なさに
苦しめられることはない
この手紙はサーラが書いたと判明している。サーラは最高の錬金術師だった。長命なエルフで350歳になった時、輪廻の輪に帰ろうとした。死ぬ場所と決めていた、巨樹の近くの湖に来た。そこで日本からの転生者ショウという16歳の少年に会った。
少年のスキルはネクロマンサーだった。二人の出会いはロマンチックだったらしい。人生最後の時を死のキッスで送られたサーラは、10歳の少女として蘇り。ショウと6カ月ほどその巨樹の洞で過ごしたらしい。
ショウのために新たな国を作ろうとしてサーラが眼をつけたのがタナルゴ砂漠だった。サーラは風魔法で海から低気圧を運び、砂漠を緑にする計画を立てた。
12年後の今は、砂漠都市同盟というものがあるらしい。サイスが知っているものだけで、レイ・アシュビーの宗教都市。グーミウッドの生産都市。メシュトの牧場都市。ゼラリスの植物実験場。ドワーフの鉱山都市、そして流刑地だったトールヤ村がある。隠れたる神からの手紙は続く。
我が前に民は小さきものなり
小さきものが偉大を騙ってはならぬ
貴族も奴隷も我は許さぬ
優越した民族も劣った民族もない
男が女に優れていると考えること
女が男より優れていると考えること
我はどちらも許さぬ
これらに従わぬ民は追放する
次の一節は差別の禁止。人種の平等。男女差別の禁止である。転生者が考えたとしたら、わかりやすい。日本からの転生者ショウは、あからさまな差別にショックを受けただろうから。底辺にいるサイスにとっても、この言葉は響く。
与えられた恵みの1割を我に捧げよ
それは分かち合うために使われる
我は兵を持たぬ
民は自らを強くし
男女を問わず戦え
わが軍は国民軍なり
我は民に加護と力を与える
国民の収入の1割だけの税で、国家が成り立つかどうか。サイスに判断はできない。ただそれは分かち合うために使われるというのだから、この神を名乗るもの(実際はサーラ)は自分が贅沢をするために税を集めようとしているのではないのだろう。
「わが軍は国民軍なり。知っている?」
アンジェラは初めて会った時こう聞いてきた。ジュリアスがチーフになっていた義勇軍を、アンジェラが買い取りに来た時だ。
アンジェラはあの時何を考えていたんだろう。将来は義勇軍が国民軍になると思っていたんだろうか。たしかに今、ハルミナでも義勇軍がつくられている。サイスはどう考えていいか分からないでいる。
我は隠れたる神であるから
民は自ら治めよ
統治が民の意志に反した時は
我は統治者を滅ぼす
我は怒りの神である
神の代理人にサーラを任ずる
その指示に従え
民が自ら治めるというのは、民主主義の事だろうか。おそらくサーラも実際の政治の仕組みの構想はなかったんじゃないだろうか。
ただこの手紙を改めて読んで、サイスは何が起きているか、少し見えてきた。12年前のこの手紙で動き出した何かが、現在けっこう大きなうねりになっているのだ。
サイスは砂漠都市同盟がヴェイユ家やチームの支援を決めて。積極的に動き出したと感じていた。馬や家畜で協力してくれているメシュト。ハルミナの領主として乗り込んで来たリオト。彼はトールヤ村の村長だった。隠れたる神の兄弟団のレイ・アシュビー。みな砂漠都市同盟だ。
まだいる。プリムスに移住してきた鍛冶の名工グーミウッド。それにグリーンフィンガーのゼラリスも我々に協力してくれる。ルミエの同盟者になったドライアドのベルベル。ドライアドとエルフは一体だから、ベルベルが仲間になったのも、この動きの一環なのだろうか。戦いの時は近づいているのかもしれない。
サイスはジルとの戦いの現場に出る気は全くない。カリクガルについても同じだ。チームの参加する最初から、戦いはしないという約束だった。ただ戦闘以外で僕のできることはあるはずだとサイスは考える。
クルトがいなくなって、領主たちとの接点が無くなった。アリアやリリエスではダレンやリオトとうまく交渉できないだろう。サイスにもできないが。サイスにはファントムがいる。
それにクルトが果たして一番大きな役割は、戦略の構想だ。クルトがサイスを情報分析官として育てようとしたたのは、将来自分の後を継ぐ戦略家にするつもりではなかったのか。
一真は現場の指揮官だ。複雑な平時の駆け引きを考える立場ではない。それは自分がやらなければとサイスは思う。
それにエルザがいなくなったから、育成も自分の仕事かもしれない。育成は戦略がないとできないから。みんながばらばらに強くなろうとしてもカリクガルのような強大な敵には勝てない。
サイスはその後のカナス辺境伯との戦いにも参加する気でいた。サイスはケリーの復讐にそんなに肩入れしているわけではない。
サイスの行動原理は、社会の底辺にいる自分が成り上がることだ。他の成り上がろうとするやつらと違うのは、自分の一人ではなく、仲間と一緒に成り上がろうとしていることだ。結果として社会がひっくり返るようなことになってしまう。思想とか理想というより、それがサイスの癖なのだ。
サイスの癖。それが理想主義ならサイスはもう潰れていた。サイスは現実的すぎるくらい現実的だ。サイスは負ける喧嘩はしない。最初の殺人も確実に勝てるからやっただけだ。できないことに挑んでも潰されるだけだ。
冷静に見極め、勝てる戦いだけを積み重ねていく。暴力や殺人もいとわない。だからできないことはやらない。そのために見捨てる命もある。
レニーやリビーを見捨てたのも、自分では救えないと思ったからだ。サイスを嫌う人もいるだろう。でもそれがサイスだ。
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