第174話 一真(一美)の思い

 一美(一真)はジンメルの道場で日本(東洋)文化を学んでいる。坐禅・茶道・華道・古武術・忍術・居合術・兵法。


 今、一美(一真)が一番興味を惹かれているのは孫子の兵法だ。


「彼を知りて己を知れば、百戦して殆(あや)うからず」


 一番有名なのはこの言葉か。それとも風林火山だろう。この言葉は逆に言えば、敵を知らず、味方の情報が敵に漏れていれば、必ず負けるということだ。


 深いなと思う。自分とその仲間を知る事だって難しい。一美(一真)はいろいろ思うのである。何しろネストにできるだけ籠ることにしている。ネストで5年過ごせば。また進化の実を使ってもらえて、能力値が1,5倍になる。


 チームというけれど、それはリリエスが奴隷のケリーを買ったところから始まる。複雑なのはリリエスもケリーも単純じゃなかったからだ。


 ケリーの心には転生した一真が同居していた。転生者一真が遠慮して、転生先の赤ん坊の魂を食い殺さなかった。並列思考のスキルを使って、本来の魂(ケリー)と併存していたのだ。そして今は、ワイズの分裂した身体に憑依して一美(一真)という、心身ともに完全な別個体になっている。


 リリエスにはアリアが同居していた。リリエスはアリアという神獣を同盟者として得たが、アリアはアラクネだったので、虫嫌いのリリエスは自分の肌に封印して多分忘れていたのだ。リリエスとアリアは正反対の性格だ。


 二人が同居していた30年間、リリエスの魅力は奔放にして、内省的なところ、一つの身体に矛盾する二つの魂が同居したことにあった。陶酔しようとするアリアと、直向きであろうとするリリエス。近くにいたものは理解しがたいリリエスに神秘的なものを感じていたに違いない。


 リリエスとアリアは今は分離しているけれど、いまでも互いを無視しあって、直接口を利くことはまずない。憎み合っているわけでもなくて、リリエスの危機には、アリアは助けようと全力を出していた。


 複合人格同士が出会う偶然など、起こるはずもない。しかし、アリアの右目にはの幸運のスキルがある。アリアならそんな奇跡も起こせるのだ。チームはこの奇跡の上に成り立っている。


 我を知ることも難しいが、敵を知ることも難しい。ジルについての情報は、死んだ3人が魔導書の中に残してくれた。この情報をもたらしてくれたのはエルフのルミエだ。ジルの持つ呪われたスキル名は「鎮静」である。別名は「絶望」である。


 このスキルは精神にも物質にも効果がある。精神からは意欲を奪い、運動からは力を奪う。人やモンスターにかけると、敵対心や倒そうという意欲が無くなり、精神的に無力化してしまう。


 これを物にかけた場合、自分に向って来る攻撃の、運動を成り立たせる力が失われ、途中で動かなくなり地表に落ちて消える。剣や矢の物理的攻撃、ファイアーボールのような魔法的攻撃、運動するものならなんにでも効果がある。


 ジルに敵対するものは何もできず、絶望してそれだけで放置しても死ぬのだが、嗜虐的なジルは必ず近寄る。表情を観察し、絶望している相手を殺すのだ。一美(一真)はこういうやつを許せない。前世のシオンを追い詰めたやつとそっくりなのだ。


 戦っても勝てなそうな強力なスキルだ。1対1の正面からの対決では倒すのは無理だろう。しかし不意打ちして、一瞬で倒せば勝ち目はある。一美(一真)は自分一人でもジルには勝てると思っている。


 問題はただ殺せばいいわけじゃないことだ。ジル隊の4人のうち3人はもう死んでいる。スノウ・ホワイトは向こうから飛び込んできて、知らずに戦った。彼女への夢魔の刑を考えれば、彼女への復讐はもう良いと一美(一真)は思う。死んでないとしたら、異世界でまだ苦しんでいるはずだ。


 ミンガスはいつの間にか死んでいた。物足りないが仕方ない。シャナビスは、偶然サーチで見つけたケリーが一人で倒した。こっちの世界の両親を弔うことができて、一美(一真)にも良かった。


 ジル隊はあと一人しか残っていない。ジル隊の直接の被害者はケリーとルミエと一真だ。3人の復讐の物語を完成しなければならない。結果として彼らが死ねばいいだけじゃないのだ。


 ただルミエはカリクガルまで止めないだろう。彼女とこのことを話していないが、なんとなくわかる。一真もジルでは止めない。前世の情けない自分にけじめをつけるには、カリクガルまでやらなけりゃならないと思っている。だから一美(一真)はケリーの物語を完結させてやりたい。


 ジルを倒したところで、チームはいったん解散だなと一美(一真)は思う。そしてカリクガルと戦うチームを再結成する。一真とルミエ、そしてアリアとサチュロス。一真がやるならワイズも付いてくるかもしれない。


 問題はリビーだ。カリクガルに家族を全員奪われて、リビーはジルの後も止めないかもしれない。だとしたら受け入れるしかないな。戦力にもなる。


 サイスは復讐というより、獣人や亜人の平等を求めて、ジルを倒す戦いの次の段階、カナス辺境伯との戦争にまで参加するかもしれない。一美(一真)は、カリクガルの後の戦争にまでは付き合う気はない。アリアもそうだと思う。戦争はダレンやリオトがやればいい。


 あとは新しく加わったドライアドのベルベルか。彼はカリクガルを倒した後も、ドライアドの解放を求めて、次の段階のカナス辺境伯との戦争や、その次の教皇国との戦争までやる気なのかもしれない。それはそれぞれの自由だ。


 レニーやケリーなど小さい子たちのことを考えると、ジルとの戦いは3年後ではなくて、前倒しして、早めにケリをつけたいと一美(一真)は思った。早く終わらせて、楽しく幸福な子供時代を送らせてやりたくなった。小さい子はまだ間に合う。


 ジルを倒す方法はなんとなくわかる。問題はカリクガルだ。彼女の情報はほとんどない。とても上手に隠蔽されている。


 だが天使降臨の時にカリクガルは姿を見せた。その配下の女魔導士と、その幻像も。そこを手がかりに何とか情報を得たい。


 カリクガルについては、能力の平均値が1000を超えているだろうということ。おそらく物理攻撃は無効で、魔法攻撃も無効。そしてリンクによって事実上不死だということだけだ。しかも情報は全部推測だ。


 こちらのアドバンテージは、カリクガルに対して情報が秘匿されていることだ。カリクガルは自分を狙うチームがあることを知らない。そして一真の持っている異世界の日本の知識がある。物理無効なら、あっちの世界には、化学兵器や生物兵器がある。


 魔法が無効なら、呪術がある。呪術は変形された魔法らしいし、むしろカリクガルの得意分野かもしれない。しかしカリクガルの知らない変形方法を採用すれば、初見では対応できないはずだ。


 あと3年か。ケリーが10歳になり、リリエスが50歳になる。こっちの世界の平均寿命は50歳らしいから、リリエスの寿命との競争なのだ。長いようで短いかもしれない。


 今は勝ち筋が全く見えない。闇雲に各自が好きなように強くなろうとする。それだけでは勝てないだろう。だがどうすればいいのか。一美(一真)にはまだ道は見えてこない。

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