第162話 水を探す旅

 エリクサーを作る。簡単なことじゃない。長命のエルフが何代もかけて作り出した英知の結晶だ。私みたいな駆け出しの薬師が作れていいわけがないのだ。


 それでも3年以内にエリクサーを作らなくてはならない。ワイズ(ワイド)はそう考えている。ワイズは今40代の、おっさんドワーフの外見になっている。人化は性別や年齢を自由に設定できるので、それが可能だ。


 ここは神聖クロエッシエル教皇国の首都ルシアット。大都市の片隅に新規開店した薬屋である。見習いを一人雇っている。ワイドとして薬師ギルドに登録して、冒険者としてもFランクで新たに登録している。


 職人は技術がすべてだ。質の良いポーションさえ作れれば、だれも文句を言えない。教皇国は獣人や亜人への差別が激しい。カナスもひどいがそれ以上だ。ドワーフの外見をしていると差別を感じることも多いが、薬師としての腕でそれを跳ね返すつもりだ。


 ワイズ(ワイド)は『薬師の魔導書』で基礎から学び直していた。今ぶち当たっている限界を突破するには、基礎に帰るしかない。魔導書はすべてのポーションの基本は水であると言っていた。


 店で売るポーションや様々な薬を大量生産して、ワイズ(ワイド)は水を求める旅に出かけることにした。ドライアドの同盟ダンジョンはルシアットにもある。そこで「大竜骨山脈」と念じて転移してみた。


 転移した場所は、山脈の中腹だ。雪に覆われていて、深いところは氷のようだ。ジュリアスの作った下着を着ていれば寒くはない。しかし風が顔に冷たい。


 遠くにドラゴンが群れている。急いで穴を掘ると、深いところは少し青みがかっている。雪を大きなガラスのコンテナに入れると純白である。スノウ・ホワイトって本当はこういうものだよねとワイズ(ワイド)は思う。


 「山脈の下、水のあるところ」と念じて、ドライアドのダンジョン転移を利用した。今度転移したのは、ワイズのマップデータでは空白地帯だ。さっきの山脈の直下らしい。川が流れていた。川の水は冷たい。この水もコンテナに収納してマジックバッグへ。


 ワイズは川のほとりを歩く。このまま進めば砂漠にぶつかるはずだ。飛翔で飛んでみた。遠くで川は砂漠に飲み込まれている。飛んでそこまで行ってみた。歩くよりはだいぶ早い。


 果てしなくタナルゴ砂漠が続いていて、その端で川が砂に飲み込まれている。ワイズ(ワイド)は地中活動のスキルを使う。水は砂の下の粘土の地層の上を流れていた。砂漠の地下を歩いて渡ることはできるだろう。だが10日以上の時間が必要だ。


 ワイズ(ワイド)は「この川にオアシスがあるならそのほとりへ」と念じる」ワイズ(ワイド)が転移したのはオアシスのほとりにある小さな村のダンジョン入り口だった。ダンジョンには入らず、村へ向かう。何の警戒もしていない静かな村だ。


 畑にエルフの男性が作物の様子を見ている。20代初めくらいか。ドワーフ姿のおっさんのワイドが話しかける。


「水を探しています。水を探す旅をして、大竜骨山脈からここまで来ました。ここの水をもらいたい。いえ、買いたいです」


 男は困った顔をして、何かを伝えようとした。手振りでちょっと待てと言いたいのが分かる。イスを持って来て、水筒から冷たいお茶を出してくれた。ワイズ(ワイド)の知らない美味しいお茶だった。 


 女の人が小走りでやってきて、ワイド(ワイズ)に話しかける。


「何か御用ですか。めったに人のこない場所なので、びっくりしました」


「私はワイドというルシアットの薬師でして。いい薬を作りたいのですが、壁にぶつかっています。それで基本に帰っていい水探しから始めました」


「確かに砂漠のオアシスの水は美味しいですよ。ゼラリス先生、この方に水差し上げてもいいですよね」


 急にワイド(ワイズ)の脳内に念話の声が響いた。


「僕の声が聞こえるかな」


「聞こえます。念話できるんですね」


 女性は二人が念話で話していることを理解したのか、作業場のようなところに帰って行った。忙しいのだろう。


「僕はゼラリス。この作業場のリーダーのようなことをしている」


「あのう、工場長とか村長さんのようなものですか」


「僕はエルフなんで、縦関係は理解できないんだ。一時的な道案内のようなものと思って」


「わかりました」


「それで君に協力してあげよう。水はあげる。もちろんタダでいいさ」


「ありがとうございます」


「ただここの水には3種類ある。オアシスの水以外に2種類の水があるんだ。全部ほしいだろう」


「もちろん。いただけるなら」


「夕方に雨が降ることになっている」


「わかるんですか。雨が降るって」


「海で発生した低気圧を、風魔法でここまで持って来ているんだ」


「すいません。理解できないんですが」


「まあ人工的に雨を降らせる魔法だと思って。もう一種類の水は、日の出前の時間に1時間、雨女の木が雨を降らせる」


ワイド(ワイズ)は戸惑う。


「えっと、俺の頭が悪くて、知らないだけなのかもしれなせんが」


「いや普通の人は知らないから。ドライアドの木の中に雨女の木というタイプがほんの少しいて、早朝に雨を降らしてくれる。その水も欲しいかと思ってね」


「もちろんです。このお礼はポーションでいいですか」


「お礼はいらない。砂漠ではお客からお礼はもらわない」


「それじゃ俺はどうっやって、恩を返したらいいんです?」


「いい薬ができたら、僕たちにも分けてほしい。本当はこんなお願いも砂漠のルール違反なんだけど、僕たちは教皇国と仲良しというわけじゃなくて、いろいろ複雑なんだ」


「ええいいですよ。実は俺は本当はピュリスの人間で、一時的にルシアットに住んでいるだけなんです」


「良かった。ドライアドのダンジョン転移を使って来たから、仲間だとは思っていたんだけどね」


「他人と対立するのは嫌ですけれど、それなりに腹を決めている人間です」


「こういう時代は早く終わってほしいね。今日は泊まっていくことになる。ここは研修施設で、簡素なホテルもあるので、時間になったら呼びに行くから、部屋で休んでいて」


 夕方の砂漠は美しい。そこに本当に青い雨雲がやってくる。乾いた砂漠に雨が降ると土が匂う。空気が洗われる。風が潤いを含んで肌が気持ち良いと言っている。


 そう言ったら、さっきの女性職員の方が、まじまじとワイド(ワイズ)の顔を覗き込んだ。


「あのう、私と同じ感覚です。おじさまって、繊細ですね」


 おっさん姿で、初めてモテた。女性は


「水は冷たいのを飲んじゃ本当の味が分かりませんよ。人肌の白湯にすると本当の姿を現すんです。白湯はきれいな少女みたいなもんですよ。おじさまならわかりますよね」


 そう言って去って行った。ほのぼのしながら寝た。早朝、念話でゼラリスが起こしてくれた。低い丘に小規模な林があった。


「雨女の木が降らす雨は霧雨なんだ」


「本当ですね。朝露ができるのを支援しているような、優しい雨です」


「根から吸収するよりも、葉から吸収される水分が多いかもしれない」


「朝日の中にきらめく宝石です」


 朝露が、植物の葉にたわわについていた。ゼラリスが言う。


「僕のひいひいおばあさんが、錬金術師でね。ついこないまで生きていたんだ」


「エルフは長命だと聞いています」


「ポーションも良く作っていた。ポーション作るときに、いい水は岩の成分を引き出すって言っていたのを、今思い出した。なんかヒントになれば」


「エリクサーは植物の成分だけではできないのかもしれないですね」


「君はエリクサーを作ろうとしているんだ。頑張って。ひいひいおばあさんはエリクサーも作っていたから。それでこの先なんだけどね、下流にもう一つ、オアシスがあって、そこではブドウの果樹園がある。このオアシスはけっこう大きくて、図書館や孤児院もあるんだ。そこで川が途切れて、砂漠の南端でまた地表に噴き出す。そこは牧場になっていて、ケンタウロスたちが馬なんかを育てているんだ」


「今回は一旦これで帰ります。いろいろ試したいことができてしまって」


「また来てください。君なら、普通のドライアドのダンジョン転移で、ここに来られるようにしてあげよう。特別だよ」


「感謝します。ゼラリス先生」

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