第148話 アンジェラ

 テッドは忙しい。天使降臨の後始末がある。1万5千人もの群衆が押し掛けたのだ。ほぼ殺さずに、かえって旅費とお土産を持たせて帰した。しかしタダではない。ちゃんと元は取っている。


 武器とスキルを奪った。武器はろくなものはなかったが、それでもリペアして、新品にすれば使えるし、鉄に戻して打ち直してもいい。それよりもスキルだ。記憶にないだろうがカリクガルに、過酷な訓練をさせられていて、彼等は何らかの武技スキルを追加で持たされていた。


 盗賊や傭兵は奴隷として売った。これは奴隷商の店頭では最低100万チコリになる。宝くじやメダルや旅費、ただで提供した食事、冒険者への報酬、経験値の買取費用。それらのかかった費用は収入から考えて雀の涙だ。

 テッドとアンジェラの夫婦の会話である。


「テッド、いくら儲かった?」


「まだ儲かってはいないが、数億チコリは固いな」


「まさか独占はしないでしょうね」


「うちが取るのは、1億チコリかな、ジェビック商会、索敵隊とエルザたち、ヴェイユ家のダレンも同じくらい、あとは地元業者で分ける。それに人と金が動くと、いろんなところが儲かる」


 例えば旅費として与えた一人3万チコリは、ヴェイユ家の支配地域でほとんど使われた。市場、屋台、乗合馬車、食堂、宿屋などはもうかったのである。それがいろんなところに波及して、富は何倍にもなるのだ。


 損をしたのは農家だ。畑が踏み荒らされ収穫は例年の半分と言われている。ヴェイユ家は秋の農民への税の免除を発表している。同時に魔法使いを使って、畑にヒールをかけて、収穫の回復を図っている。


 しかしどうしようもない畑もある。手の打ちようがないのだ。そこで余った労働力を活用する、救貧対策の公共事業を始めた。ヴェイユ家の負担である。サエカからピュリス近郊のプリムスまでは河川交通が整備されている。このアピルガ川は、川港プリムスで南北に分流し、南の本流はアビルガ湖という大きい湖につながっている。


 アビルガ湖からテルマ村をつなぐ水運を作ろうという計画である。計画自体は数年前からある。運河の設計図はもうできている。資金と労働力が不足していた。それが両方そろったから、アデルとアンジェラがそう決断したらしい。


 施工はサエカとハルミナ間の道路工事を成功させたテッドに任されたのである。


「ワイズ。運河を作りたいんだけど、また地下の状態を調査してくれないか」


「え、どの辺ですか」


「アビルガ湖からテルマ村まで」


 ワイズはすでにこの地域の地表も地下も調査済みだった。アビルガ湖とテルマ近郊を流れるイートミ川の間には、地下に水流があり、地表の運河はこの水流の上を掘ればいい。来春までには運河が完成しそうである。その縄張りはワイズが一晩でしてくれた。


 この運河ができればサエカ・プリムス(ピュリス)・テルマの3カ所が、安い水運で結ばれる。ピュリスから王都アリアスへの交通路も、一部だが経済的な水運でを利用できる。航路の延長だから、新たに水運業者を作る必要もない。


 実はもう一つ河川を利用した水運計画がある。ハルミナと琥珀が採れるサヴァタン山の間である。ここにはウーバル川が流れている。琥珀や人、物資の交通には道路がないので川を利用するしkないのである。しかもその中間にニコラス・ポリスという新しい都市が突然生まれている。人々は既に川を利用して、この都市に移住をしていた。


 ヴェイユ家に関わるのはウーバル川の上流にフィリス村という、ヴェイユ領の南端の村があることである。ハルミナとサヴァタン山の水運が始まるなら、フィリス村にまでその航路を延長してほしい。ヴェイユ家嫡男ダレンはそう思っていた。


 フィリス村はアリアスへ至る街道の、テルマの次の二つ目の宿場町である。テルマには畜産業があるが、フィリスには特に産業もなく、近隣の農村への商業と宿場の町であった。この村がサヴァタン山の物資の供給場所になると、ヴェイユ家の税収はかなり増えるのである。


 ダレンの水運計画の夢は広がる。将来は網の目のような運河が各地を結び東部大経済圏が生まれるかもしれない。少なくとも来春は2つの新運河が実現するのだ。


 ダレンの都市計画はもう一つ大きなものがある。プリムスの工業都市化である。すでにリングルのボルニット家との間に、紙工場の誘致の話は進んでいる。ここも年末には稼働し始めるだろう。先日の定期航路の最初の船で工場の資材は運び込まれている。これにもテッドは一枚噛んでいる。


 ダレンは紙工場だけではなく、様々な工場を先進地リングルから誘致しようと考えている。そしてリングルやン・ガイラ帝国のドンザヒから工業製品を輸入し、木材などの原料を輸出する貿易構造を変えたいと思っていた。


 テッドやアンジェラも相談にあずかってヴェイユ家の領地で何が産業化できるかいろいろ検討している。ダレンは何人かのドワーフの名工を招致していた。将来への布石である。その夢を実現するにはピュリスのヴェイユ家とハルミナのフラウンド家、つまりはダレンと二コラの同盟が不可欠なのだ。


 テッドは商会勤めの最後がこんな忙しいことになるとは思っていなかった。半分以上引退するつもりで故郷ピュリスに帰ってきたのである。帰ってきた当初はピュリスもハルミナも眠ったような都市だった。テッドは言い知れぬ安らぎを感じたものだった。


 休日にはピュリス近郊の遺跡の廃墟を尋ね歩いた。妻のアンジェラはそんな覇気のないテッドに呆れ気味だった。実はアンジェラはゾルビデム商会会長の娘である。そして過激な民主主義者なのだ。


 ゾルビデム会長がン・ガイラ帝国の宰相になった12年ほど前、テッドは会長の秘書として辣腕をふるっていた。それには前宰相でドンザヒの領主だったルアイオロを倒す戦争も含まれていた。


 その戦争に勝った時、次にドンザヒ、リングルの連合軍でカナス辺境伯を倒すことはもう決まっていた。エルフやドワーフ、獣人王国、砂漠の小勢力など多くの同盟国が盟約に加わっていた。単なる勢力争いではなくて、民主主義革命である。


 アンジェラはゾルビデム商会・キース銀行・ジェビック商会の関係者の中で最も好戦的なグループのアイドルだった。開戦予定の10年目が近づいた時、諸事情で数年開戦を伸ばそうということになった。


 その時激しく反対したのがアンジェラのグループだった。派閥抗争が起きて、アンジェラは敗れ、妻を亡くしていた、テッドに預けられたのである。テッドは三商会連合の中核から外れ、いくつかの街で働いた。そして近く起こる戦争から最も離れたセバートン王国の西端の眠れる都市、ピュリスに赴任した。


 愛のない結婚ではない。しかし純粋な恋愛でもない。ある程度以上の富裕層では、結婚すると女性は自由に恋愛できるようになる。そいう風習に従っている夫婦である。


 テッドはこんなことになるとは思いもしなかった。今アンジェラは夢中である。東部地域がカナス辺境伯と戦いを決断したら、セバートン王国全体がこっちの勢力下に入るとアンジェラは思っている。そうなったら次期皇帝であるアンジェラの甥は、貴族制度、皇帝制度をすべて廃止することになっている。


 貴族制度が最も根底から突き崩されるのである。しかしまだ早いとアンジェラ自身が思っている。あと数年必要だ。ヴェイユ家とハルミナのフラウンド家に力をつけて、カシム辺境伯と戦わせるには、もうしばらくかかる。


 アンジェラは数年後戦争を仕掛けるだろう。いやテッドも賛成なのだ。戦争は嫌いじゃないし。ただテッドはこういう形になるとは全く思っていなかった。

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