第144話 贈り物
アデルの男爵叙爵は話題に富むものだった。波紋はまだ広がっている。エルフからサエカのアデルに貴重なエリクサーが贈られた。アデルはエリクサーをセバートン王家に献上した。王国の誰もがそれを望んでいた。
王女のライラ姫が呪いで肌に鱗が生えていたからである。民衆の残酷な命名は蛇姫様。ライラはエリクサーを飲んで美しい皮膚を取り戻した。久しぶりに人々の前に姿を現し、見事なダンスを披露した。前より美しくなって、まるで天使のようだったというのが民衆の噂である。
アデルがサエカ宣言と称した、人類の平等宣言は貴族には不評だった。獣人やエルフ、ドワーフたちには静かに、だが熱く波紋を広げていた。現実には差別は続いていた。前と違うのは、差別されるものたちの目の奥に光が宿ったことである。それはアデルからの贈り物なのかもしれない。
アデルの1週間後、ハルミナの二コラへの子爵の叙爵も行われた。こちらも民衆だけでなく。世界的に注目されている。500人の重要人物と一人の聖女が消えた。突然の失踪は神の御業としか思えなかった。
この失踪によって利益を得たのは二コラだった。だから二コラの関与も疑われた。何しろ領主一族も、二コラ以外すべていなくなったのだ。二コラにとって都合がよすぎる。
国王の使いが二コラを問いただす。彼は真偽判定のスキル持ちだ。嘘はつけない。
「あなたは今回の501名の失踪をあらかじめ知っていましたか」
二コラは堂々と答える。
「いいえ。全く知りませんでした」
「何をしていましたか」
「カナスを攻撃していた者たちを討伐していました」
「なぜあなたは深夜にそんな場所にいたのですか」
「ピュリスに天使が降りてくるという噂を聞いて、ピュリスに向かう途中でした」
二コラは嘘はついていなかった。サエカのアデルも二コラの話を裏付けた。王の使いはそれも真実だと判断した。疑いの晴れた二コラを子爵にするしかなかった。カナス辺境伯は二コラと血縁がなく、不満だったがどうしようもなかった。二コラより遠い血縁には、カナス辺境伯の宿敵もいるのだ。それよりはましだった。
噂ではハルミナの聖女、二コラの姉が、この失踪を予言してたことになっている。その噂のもとは隠れたる神の教会と、王都の極道カシム組だった。この2つにはまったく接点がない。完全に相いれない組織である。背職者と極道なのだ。だがどちらも聖女の手紙で16日にはハルミナに呼ばれていた。
奇跡の7月15日の噂は錯綜して世間に広まっていた。ピュリスでの天使降臨。その翌日、集まった無数の群衆に天使からのプレゼントがあった。ピュリスから帰った人は熱心にそう語り、天使のメダルを見せびらかすのだった。プレゼントで1千万チコリもらったのはカナスの人間だったとか、真偽不明の話もつけて。
奇跡の7月15日、サエカは何者かに襲撃された。住民は地下に逃げて闇慰酒場に集ったらしい。襲撃者は矢を放ったが、家は土に守られて火はつかなかったそうだ。時々酔っぱらって外を偵察していたが、何とドラゴンがサエカを守っていたというのだ。嘘ではないが、住民はドラゴンを見慣れているはずだ。誰かが話を盛っている。
同じ時刻にカナスで死神が現れたことも、徐々に民衆に広がり始めていた。先代のカナス辺境伯の首が、死神に砕かれたことは本当だ。しかし広場で無気味な魔女が大きな口を開けて笑っていたというのは、ルミエが聞いたら怒るだろう。微笑んでいただけなのだから。血まみれで。
だから同じ時にハルミナで501人の人がいなくなっても、なんの不思議もないと民衆は語り合う。全部、神様の仕業だ。その証拠に、真新しい都市が、ハルミナにプレゼントされた。誰も住んでいない都市だ。それもサエカそっくりの魔獣も出ない、土でできた都市だ。今ならだれでも住めるらしい。畑もあるらしい。
まだあれから3週間。噂が一つの方向を向くには時間が足りない。だがヴェイユ家に悪い方には向かないだろう。
王都アリアスでは、スタンピードをテーマとした演劇がまだ大人気なのだ。プリム(俳優だが)のビキニアーマーは良かったとか、動くステンドグラスにびっくりしたとか、ゴーレムの女王はいい女だとか。そして未だに酒場ではダレンとアデルはどっちがすごいかが話されている。
スノウ・ホワイトの話題も耳に新しい。彼女にどんな罰がふさわしいかが今の話題である。そしてピュリスの劇場に降臨した天使と、今回降臨した天使は同じで、スノウ・ホワイトを捕まえようと、ベガス村に出現した天使とも同じだというものも出た。
カナス辺境伯側では、ピュリス大虐殺の噂を広めるために多くの諜報員を準備していた。もし大虐殺が起きれば、酒場で話されるのはピュリスの悪評になっていたはずだ。サエカが襲われて住民が死んでも、神の罰だとされていただろう。悪評はヴェイユ家討つべしという世論を作っていたはずだ。
情報戦はヴェイユ家側の完全勝利になっている。カナス側が隠したかったのは、ハルミナ攻撃したのは、ザッツハルト傭兵団で、ジル隊の美少年プリンス・ミンガスが隊を率いていたという話だった。噂はまだミンガスの死にまでは届いていなかった。
ヴェイユ家側の話はみな本当だから強い。そして民衆は大きな物語を求めていた。すべてを説明できるような。カナス側はその流れが獣人やエルフの平等という流れになることを怖れていた。もしそうなったら、武力の行使を断行する予定である。
ヴェイユ家の長男ダレンは王都アリアスの二コラの祝いの宴に出席していた。その後で、二コラと二人で話す時間を持ってもらった。琥珀鉱山の売却の話である。利益の1割を毎年納める条件でこの話は成立した。両家の秘密同盟が結ばれたのである。
この同盟は隠しては置けないだろう。長男のダレンはそう思っていた。むしろ広まった方がいい。ダレンはビビっていたのだ。本当にカナスと戦争になったら、ピュリスは負ける。その前に何とかして同盟者を増やし、カナス辺境伯を牽制
ダレンが違和感を持ったのは、二コラのオーラである。静かに座っているだけで威圧される。琥珀鉱山の話も、どれだけ喜ぶかと思ったし、媚びてくるかとも思ったが、淡々としたものだった。もしかしたら大器かもしれないとダレンは思う。
ハルミナでは神が与えた新都市はニコラス・ポリスと名付けられた。移住希望者先着1万人には、格安の価格で新都市の住居が与えられた。カナスに似た城壁一体型の都市で、周辺には農地が切り開かれ、種まきを待つばかりになっている。秋巻小麦の種まきの時期なのである。
移住希望者はセバートン王国の各都市からやってきた。瞬く間に1万人の枠は埋まった。いなくなった聖女が、ハルミナのために贈ってくれた都市だ。神の祝福が与えられた都市だと宣伝された。
二コラは冥界の女兵士を人の目には触れさせなかった。都市の建設が終わったら一人を秘書に残し、後はハルミナと周辺の農村のモンスターからの防衛にあてた。この秋、ハルミナはかつてない豊かな収穫を得るのである。
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