第91話 リングル

 朝4時。リングルの町は寝静まっていた。サイスは足音を立てないように、町に入り込む。貧しい方へ、スラムを目指して。だが勘が外れる。貧しい家々の先にスラムはないのだ。


 ゴミ捨て場はあった。だが誰もゴミを漁っていない。薄暗い中、サイス自身がゴミを漁ってみる。陶器の破片。バラバラになった本。腐った木片は家具の一部か。マジックバッグにしまう。リリエスにリペアしてもらおう。


 ここは貧しい地区ではなかった。貧しい地区に陶器などない。本もない。リングルにはスラムも、はっきりした貧しい地域もないのだ。小さな村ならそういう村もあるだろう。サイスにはこんな町は初めてだった。リングルは領主のいる城塞都市なのだ。規模はピュリスより小さいが。


 市場へ向かう。港の近くにあるはずだ。一旦城壁の外に出て、潮の匂いを頼りに海岸線へ向かう。この時間には城壁に衛兵はいなかった。治安がいいのだろう。塩田があった。ここで海水の塩分濃度を高め、それを煮詰めて塩にする。サエカにもあるからサイスも塩田を知っていた。


 市場はすぐ見つかった。陽気な話声と笑顔であふれている。カナスと比べてやけに明るく親切だ。市場の店も商売を始めていて、テッドに言われた塩を買う。ピュリスよりは安いが、カナスの倍近い値段がした。自分の町で塩を作っているのに塩が高い。


 市場の食堂がやっていて、サイスが入ると、可愛いウェイトレスがやってきて注文を聞く。定食になっていて、魚の揚げたのとパンが今日の朝食。選べるのは飲み物で、サイスは温めた牛乳を頼んだ。うまい。500チコリは安い。もう一度言うが、しかも店員が可愛い。


 絡んでくる大人もいない。カナスでは見なかった獣人たちがいる。普通に人々に交じって食べている。ピュリスでも王都でも、獣人は片隅で、遠慮しながら食べているし、カナスでは街中では見かけもしなかった。スラムや孤児院にはいたから、カナスでは獣人は隔離されているのだろう。


 しばらく港を見ていた。船はもう出入りしているが、町が動き始めるまで、まだ時間があった。昼前に戻る。この時間には城門に衛兵がいる。冒険者証を見せるだけであっさり通してくれる。緩い。


 闇の情報屋に行く。クルトの紹介だ。合言葉を言ってまず1万チコリ払う。


「地図を買いたい」


「この町じゃ、地図はどこにでも置いてある。タダでいい」


「羊皮紙じゃないんだ」


「木から紙ができる。この街ではな」


「孤児院と図書館に行きたい」


「地図に書いてある。こことここだ」


「いくらだ」


「これで金をとったら神様に怒られる」


「信じているのか」


「信じていないわけでもない。アズール教の教会とは違うがね。詳しく聞きたいか。神についての話」


 神についての話は断った。外で一人で昼飯を食べる。露天の肉の串焼きだ。値段も他と変わらず、味も似ている。


 孤児院に行った。人口3万の町に孤児は3人しかいなかった。優しそうな保母さんが教えてくれた。その3人全員を孤児院で面倒見ているそうだ。領主直営の孤児院で、老人ホームも兼ねていた。10歳まで世話をしてくれる。その後奴隷に売られることもなく、普通に町で働いているそうだ。


 サイスはどんな領主かといぶかる。セバートンにこんな貴族がいるとは信じられなかった。リングル子爵は王都アリアスで、中流地区の治安部隊を担っていた。確かボルニット家。サイスの知識はその程度しかない。でもこんな善政を行っている領主は他にいないだろう。


 普通の宿に泊まる。いやがらせされることもなく、詮索されることもなく快適に泊まれた。領主が違うとここまで領民の雰囲気も違うのか。カナスとは全く気風が違う。リングルの夜の街を散歩してみたが、娼館がないのにも驚いた。あくまで健全な町だ。


 翌日宿の人に教えられて、工場地帯を見学した。紙の工場があった。他にもいろいろなものを作る工場があったが、サイスには木から作る紙が最も興味があった。今度来たときに紙を大量に購入したい。テッドに相談するつもりだ。これは役に立つとサイスは確信していた。


 午後に図書館に行く。大きな建物ではないが、無料で誰でも本を読むことができる。置いてあるのはすべて紙の本だ。蔵書数は千冊くらい。サイスの図書館の十倍以上だ。子供向けの本だけでなく、大人向けの立派な本もある。


 『村の生活』というサイスの図書館にもある本があった。他にも子供向けの絵本がある。その中に何冊か、サイスの図書館と内容の似ている本があった。『浦島太郎』『白雪姫』とかすべてケリー(一真)が書いた本だ。


 一真は転生者だから、前世の世界でよく知られた話をパクって、本にしたのだろう。ストーリーは同じだが、語り口が違う。多分リングルにも転生者がいたのだとサイスは思う。


 図書館の人に本を買いたいというと、図書館の本は売れないが、町に本屋があるという。リングルの町には驚かされることばかりだ。さっそく本屋に行って7冊の本を買った。サイスの図書館にはない本で子供向けの本。1冊10万チコリ以上。羊皮紙の本は100万チコリ以上するから格安だ。

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