第89話 カナス
早朝4時。町が最も静かになる時間だ。西の町カナス。転移した同盟ダンジョンの入口から、だれもいない町へ、サイスは足音もなく入り込む。町の寂れたほうへ、直観が指し示す方へ。
思った通りスラムが姿を現す。
「キャー。あっち行って」
静かな町に女の子のかぼそい、必死の悲鳴が聞こえた。サイスが走って近寄ると、少女が3頭の野犬の群れに襲われている。サイスは飛び出し、剣を抜いて、犬と女の子の間に入る。
犬はボスのもとに統率されている。犬は痩せてはいない。人を食ったのだろう。正面の一番でかいのがボスだ。サイスは威圧のスキルを使う。動かなくなった3頭を難なく剣で殺す。
「ありがとう。お兄ちゃん」
「名前と年齢を言って」
「レニー。8歳。お兄ちゃん、私を売るの?」
真偽判定のスキルを使う。嘘は言っていない。この街にいる間、ずっとこのスキルを使う。
「僕はハンスだ。しばらくこの街を案内してもらいたいんだ。売るかどうかはその後決める」
「命を助けられたんだから、好きにして」
100チコリとパンを半分やる。犬はマジックバッグにしまう。レニーの案内で、まず市場だ。早朝が忙しいはずだ。海のある町だから、魚の仕入れがある。予想通り、市場の周辺にだけ、賑わいがあった。
レニーと二人で市場のゴミを拾う。とてもよそ者の少年や貧しい少女が商いに立ち入れる雰囲気ではない。売り物にならない小魚や、クズ野菜が無造作に捨てられている。それを拾って海辺の誰もいない所へ行く。乾いた流木を集め、小さな火を起こす。温かい。
野犬を1頭解体し、血抜きをする。マジックバッグから小さな鍋を出し、大麦をゆで、犬肉と小魚や野菜を加えて朝飯にする。
「良く今まで一人で生きてこれたね。レニー」
「昨日まではお父ちゃんが生きていた」
「この街に孤児院はないの」
「5歳までなの。あとは奴隷になるしかないのよ」
「僕がいい奴隷商知っている。用事が終わったら、そこに売ってあげる」
レニーに孤児院に連れて行ってもらう。アズル教の教会がやっている孤児院で、子供たちはやせ細っている。獣人が多い。交渉したが、5歳以上は扱っていないと断られた。心の底の冷たさが顔に出ている女性だった。
サイスは自分の育った孤児院と比較していた。シスターナージャを思い出していた。彼女に育てられた自分は幸運だったのだ。領主の違いなのか。そうではないだろう。ナージャが来る前には、孤児院自体がいったん放棄されたのだ。神に仕える人々によって。自分が幸運だったのは、ナージャ個人のおかげだとサイスは思う。
レニーの案内で、町を見て回る。カナスは西の端の町だ。ン・ガイラ帝国と無人地帯を間に挟んで隣り合っている。帝国とは戦争もしたことがある。今も2千人以上の兵士が駐屯しているはずだ。軍事の要衝だった。
立派な港に、大きな貿易船が並んでいた。ン・ガイラ帝国と貿易をしている。一方で、軍船もたくさんある。外側には小さいみすぼらしい漁船があった。もう一度市場に行って、魚や海産物を見る。新鮮で安い。しかし思ったほど量がない。干し魚に加工されているのだろうか。
クルトに言われた通り、市場で塩を買う。金を見せると、しぶしぶだが売ってくれた。ピュリスの半値以下で売られている。びっくりして店の人に聞く。
「ずいぶん安いんだね」
「昔はもっと安かったんだがな。露天掘りだったから。今は坑道を掘って、深い場所で掘っているから高くなった」
「お前さん余計なこと言うんじゃないよ。子供だけど他所もんだよ」
この町は閉鎖的で外部から来る人にやさしくない。でも嘘は言っていない。真偽判定スキルでわかる。
露店で肉の串焼きを買って、レニーと二人で食べる。さてレニーを売りに行くか。この街にもジェビック商会の支店があずだ。レニーにまずゾルビデム商会の場所を聞く。
ゾルビデム商会は、町一番の大きな店だった。レニーは外で待たせる。この後ジェビック商会でレニーを売ると言ってあるから、逃げるかもしれない。それでも構わない。
「スキルスクロール見せてください」
「子供に手の出るもんじゃないよ」
「お金は持っています」
「ここにあるのが全部だ」
目当てのリテラシーのスクロールもある。
「40万チコリ」
若い店員が言う。真偽判定が嘘だと言っていた。
「リテラシーシのスクロール、40万チコリですか。他所より高いんですね。特別なスクロールなんですか」
大きい声で他の人に聞こえるように言ってみる。世界一のゾルビデム商会だ。こんな店員だけではないはずだ。
「お客さん。大声はお控えください」
テッドに似た雰囲気の、40歳くらいの商人が出てきた。店員に事情を聴いている。
「失礼しました。店員が値段を間違えたようです。25万チコリでどうでしょう」
「買います」
「この店は初めてですか」
「客の情報を聞いてどうするのかな」
「失礼しました」
通常より安く買えたと思う。レニーは待っていてくれた。来る途中でジェビック商会の場所は見つけていた。奴隷だけでなく、輸入品全般を扱っているから、こちらも大きい店だ。
奴隷部門は入り口が別になっている。ドアを開けて中に入ると、さらに奴隷購入は地下1階。買取は地下2階になっていた。レニーの意思をもう一度確認する。
カウンターで売りたいと伝えると、簡素な部屋に通された。そこで待つように言われ、レニーだけ連れていかれる。しばらく待っていると、奴隷服に着替えさせられてレニーが連れて来られる。
「5万チコリだ」
「いいです」
ぶっきらぼうだが、嘘はついていない。サイスは5万チコリでレニーを売った。レニーは10万チコリぐらいの債務奴隷として誰かに買われる。安い方がいいのだ。別れる時にリテラシのスクロールを読ませ、識字のスキルを付与した。
「私はピュリスのアンジェラの配下のものです。数か月以内にもう一度来ますので、この奴隷の売られた先を教えてもらいたいのですが」
アンジェラの名前を出すのは危険だった。身元を知られるかもしれない。でも今はやむを得ない。義勇軍に加盟したから、アンジェラの配下というのも嘘とは言えない。
「それは規則でできないことになっている」
1万チコリを渡す。
「教えられないが、ヒントはあげられる。その時にもう1万もらえたらな。おれはカンシス」
「僕はハンスです」
ごく普通の宿をとる。まだ時間がある。闇の情報屋を訪ねる。
路地裏の普通のバーだった。合言葉を言って最初に1万チコリ払う。地図を買おうとして、そんなものはないと断られた。図書館の場所を聞いたが、それもないと言われた。情報代として、もう1万チコリ払う。金だけとられて、闇の情報屋を出る。いろんなことが分かった1日だった。
その後の2日。分かったことを確認できた。この街はよそ者の子供に優しくはない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます