第16話 道化女が姿を見せない
アリアはケリーと別れると、人化して町に向かう。もちろん服は着ている。わざとみすぼらしい服だ。急ぐこともない。城門は通らない。アラクネに戻って人目のない所から超えるだけだ。街並みに紛れたらもうだいぶ暗くなっている。夜間の照明が油だけだから、町は暗い。
暗いのは照明のせいだけではない。ピュリスの街に30年、毎日話題を提供していた道化女がいなくなったせいもある。もし金がなくて死にたくなったら、知り合いからできるだけ金を借りて、リリエスと賭けをすると良い。リリエスは必ず負けるから、大金が手に入る。ピュリスの街で誰でも知っている話だ。そして真実でもある。どれだけの人がそれで救われたか。
もしあんたが男で、恋人も妻もいない、寂しい若者だったら、どうしようもないときはリリエスを訪ねると良い。リリエスはどんな不細工な男でも構わず寝てくれる。もしあんたが女で、あんたの夫や恋人がリリエスに夢中になっても、心配することはない。3日もしないうちに帰って来るから。どれだけの自分に自信を持てない若者が、リリエスによって一人前の男にしてもらえたか。
もしあんたが、楽しく酒を飲みたかったら、リリエスのいる酒場を探し当てると良い。美しい女がいい声で歌を歌い、陽気でエロチックなダンスを踊ってくれる。その酒場では初めて会う人々が、旧知のように語り合い、笑いあえる。リリエスがいれば陽気になれる。
30年毎日、ピュリスの街を楽しませてくれた、美しい道化女がもう3日も町に現れない。町は静まり返り、不安になった人々が、あちこちでささやき合っている。
カシムも何となく不安に夜の街を歩いていた。奴隷商カシム。オークのようなゲスな顔立ちと、怪力で少年のころから周りに怖れられた。今は裏の世界で、なかなか勢力のあるボスの一人だ。愛人も3人いる。そんなカシムも初めての女はリリエスだった。喧嘩だけは強いが、劣等感の塊だったカシムを、一人前の男にしてくれた。
俺だけがリリエスがどうして町に出てこないか知っている。話したいが誰もそばに寄ってこない。カシムが恐ろしいのだ。
「お兄さん。お酒一杯奢ってよ」
カシムの知らない女だった。よそ者だろう。30歳くらいか。顔は平凡だが、身体は良さそうだった。
「すきなだけ飲みな。今日は俺もとことん飲みたいんだ」
「ありがとう。色男のお兄さん」
「この辺の女じゃないな」
「15年ぶりに故郷を訪ねてきたんだけど」
「この町の生まれかい」
「近くの海辺の村」
「どこ」
「サエカ村」
「もう行ってきたのか」
「何もなかった。誰もいなかった」
「あそこは傭兵崩れの奴隷狩りにやられたんだ」
「私には妹がいたはずなの。まだ結婚前の」
「もし生きているとしたら、王都のアリアスだろうな」
「奴隷にされているのね」
「やつらこの町に売り物にならない奴だけ置いて行ったのさ。女と間違えて生かした5歳の男の子」
「その子はもう死んだ?」
「いや生きている。リリエスという女のとこで」
「会えるかな」
「毎朝広場で痛み取りしているから、行けば会える。それよりリリエスという女の話、聞きたくないか」
アリアには傭兵団の名前は漏らさなかったカシム。だがアリアスを拠点にしている傭兵団は10に満たない。調べればわかるとアリアは思った。酔っぱらったカシムを置いてアリアは消えた。
アリアの帰り道。今夜はケリーの服を1セット、下着も含めて仕立ててやろう。布はたくさんあったから、もう一着はきちんと染めて、刺繍もしてあげよう。アテナの女神に勝った私の腕を見せてあげる。まあ勝ってしまったせいで、私は蜘蛛にされたんだけどね。でもディオニスの神に拾われて、面白おかしく生きているから、いいんだけど。
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