18話 真相究明

(……あれ、俺は何をしようとしていた? )


 蜂屋さんの声で俺は夢見ていたベッドから引きずり出されたような感覚だった。もう少し夢の中にいたいような気もした。

 蜂屋さんともつれて地面に横たわっていた自分の身体をゆっくりと起こす。同じようなタイミングで蜂屋さんも身体を起こした。彼女はまだメガネを飛ばしたままだった。蜂屋さんの裸眼姿は新鮮で魅力的ではあったが、それでは彼女自身が不便だろうと思い、俺は彼女のメガネに手を伸ばした。


「……あの!大丈夫ですから!……」


 蜂屋さんはあたふたと自分でメガネを拾うと慌てて掛け直した。いつもの彼女らしからぬ仕草に思えた。

 そしてその傍らに尻餅を付いて、呆けたような表情を浮かべている少年が目に入った。久世くぜアキラだった。


(そっか、俺コイツとケンカになっちゃったんだっけ……)

 

 俺は徐々に光景を思い出してきた。

 散々挑発した俺をアキラが突き飛ばしてケンカが始まったこと、思っていたよりも俺の戦略がハマり想定通りの展開に進んだこと、ジャブで突き放し、強引に突っ込んできたアキラをステップでかわし、右ストレートでダウンさせたこと、そして……


「……お前、ヤバいな……」


 アキラの振り絞ったような声が聞こえた。その声は震えていた。

 いつも大きな笑い声を周囲に振りまいているヤツからそんな声を出てくるとは意外だった。


「……陰キャのガリ勉なんてウソだろ、お前……。俺は何回もケンカしてきたけど、倒れた相手の顔面を思いっきり蹴れるヤツなんてそうそういないぜ……」


 そうだった。今やっとその光景が浮かんできた。倒れたアキラの頭を俺はサッカーボールに見立てて思いっ切り蹴ろうとしていた。

 だがそれが自分でやったことだという実感はまるでなかった。何か違う人間に心地良く操られていたような感覚だった。ボレーシュートを打つような気持ち良さだけを想像していた。


「……あの、久世さん……。海堂のび太さんの件、知っていることを全部話してもらえませんか? 」


 ああ、蜂屋さんはこんな時でも冷静だな。

 眼前で殴り合いのケンカを見たのなんて初めてだろうし、俺の異変にも動揺していただろうに、当初の目的をきちんと果たそうとしている。

 本当に強いのは彼女のような人なのかもしれないと思った。






「……俺たちが1年から強引にカンパを募っている時に、お前ら3人が止めに入った時があったよな……」


 床に胡坐あぐらをかき背中を転落防止用の鉄網のフェンスに付けながら、アキラはポツリポツリと語り始めた。

 俺と蜂屋さんは2メートルほど離れてそれを聞いていた。大事な話だから一言一句聞き逃すまいと思いつつも、俺はまだどこか夢見心地というか興奮してふわふわしていた。さっきまでの自分が自分じゃないような感覚だった。


「やはり、あの時でしたか……」


 蜂屋さんも俺と同様の感想を抱いたようだ。


「……実はあの時キレていたのはな、直接カツアゲを邪魔された俺と飯山よりも允生みつおだったんだよ。『俺たちみたいなモンはな、パンピーに舐められたら終わりなんだぞ!死んでもメンツだけは守れ、味わった屈辱は倍にして返せ! 』ってな。……そんなわけで、お前らにリベンジすることが決まったんだがな……俺たちもどうするか少し迷ったんだよ」


「……迷った、と言いますと? 」


 蜂屋さんの問いにアキラは俺の方をチラッと見るとせせら笑った。


「は……そこにいる九条九郎だよ。我が校きっての成績優秀な生徒は当然センセイ方も目を掛けているだろう。復讐するのはいいが、万が一俺たちの仕業だとバレた際の追求はキツイものになるんじゃねえのかってことだ。……蜂屋。俺たちに直接因縁を付けてきたお前が最初のターゲットに選ばれなかったのも、九条がいつも近くにいたからだ。お前が違うクラスだったら当然お前が最初のターゲットに選ばれていたさ」


「……おい、待て。お前は何を言っているんだ?単なるモブキャラである俺のような人間はターゲットにするに値しない。イジメるメリットも快感もモブキャラ相手ではまるでない。……だからモブキャラの俺ではなく海堂のび太をターゲットに選んだんじゃないのか? 」


「はあ?お前はモブキャラってガラじゃねえだろ?少なくとも俺たちはお前のことをモブキャラだなんて思ったことないぞ」


「…………」


 俺は返事の言葉が思い付かなかった。……俺が高校入学以来必死に遂行してきたモブキャラ計画はコイツらにはまるで通用していなかったということだ……。

 ショックの俺を尻目にアキラは説明を続けた。


「とにかくそういうわけで……のび太だっけ?アイツを最初のターゲットにすることになったんだよ。今までもずっと俺たちに盾突いてきたヤツらはこうやって追い込みを掛けてきたからな。まあ、ターゲットに決まってからはいつもの通りよ。……呼び出しては軽くボコる。金を持ってこさせる。松栄の暴走族ゾクのバイクの前に立たせたこともあったな……」


「……おい、何を他人事みたいに言っている……」


 コイツも喜んでのび太をイジメていたに違いないのに、まるで自分の意志ではなかったかのような物言いに腹が立った。さっきみたいにまた地面に這いつくばらせてやろうか、という気持ちが一瞬で再燃してくる。


「九条君?……少し静かにしていて下さい」


 そんな俺を蜂屋さんがたしなめた。


「……とりあえず今は、何があったかをはっきりさせた方が良いのではないでしょうか? 」


 もちろん彼女の言うことが圧倒的に正論だ。一時の感情に任せてロクなことにはならない。


「……別に、これ以上は何もねぇよ。のび太をマトにし続けてたら、いつの間にか学校に来なくなった。センセイから学校を辞めたって聞いた時は俺たちも少々ビビったよ。……何もそこまでするつもりだったわけじゃねえ。俺たちを舐めてたから少し脅しを掛けるつもりだっただけだ。……本当だぜ」


「おい、そんな言い訳はのび太の前で言えよ! 」


 何がそこまでするつもりはなかっただ。イジメている方とイジメられている方とではやはり大きな認識の違いがあるものなのだろう。


「……九条。お前はこれからどうするつもりなんだよ? 」


 だがアキラは俺の言葉に直接は応えず、関係ないことを尋ねてきた。


「……」


 そう尋ねられると俺は答えに窮した。

 アキラの言ったことは大まかには事実なのだろう。今さらここでヤツが隠し事をしているとは思えなかった。のび太が学校に来なくった理由に関してある程度は究明出来たとみていいだろう。

 だが、その後のことは考えていなかった。ケンカになるかもしれないという想定はしていたが、まさか自分が勝った後のことは想像もしていなかった。


「……あの、私はまた3人でお昼ご飯を食べれたら、それ以上は何もいらないと思います……」


 蜂屋さんの言う通りに思えた。

 ささやかな日常の幸せはそれが崩れ去ってから気付くものだ。だからそれを取り戻さねばならない。……でもそれは果たして可能なのだろうか?のび太はすでに菫坂高校すみれざかを辞めてしまったのだ。退学した生徒が復学するなんて有り得るのだろうか?


 何も答えが出て来なかった。俺は何をすれば良いのだろうか?

 何も答えない俺を見てアキラが少し顔を歪めた。


「……とりあえず俺はもうお前とはやらない。俺はそう決めた。お前がどうするかはお前が決めろ」


 最後の言葉を残してアキラは屋上から去って行った。その肩は今までよりも下に落ち、足取りも力ないトボトボとしたものだった。



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