第30話【エピローグ】

【エピローグ】


 それは不思議な夢だった。

 僕の身体はふわふわと、真っ白い雲の中を漂っている。四肢がどうなっているのかは感覚がないので分からない。


 しばらくそうしていると、黒い物体が目に入った。あれは――人か? そうだ。真っ黒な翼にコンバットスーツを纏った少女だ。自分と同じくらいの年頃だと判断する。


 少女は無表情に微かな笑みを張りつけ、僕に向かって手を差し伸べた。そして明快な発音でこう言った。


「行こう、ケンイチ。そろそろ皆、心配してるから」

「ああ、そうだね、カレン」


 そうだ。彼女はカレンという名前だった。しかし、僕を包むこの白い雲が脳内にぎゅうぎゅうと押し込まれ、思考が回らない。


「さあ、手を伸ばして。あんたにはできるから」


 僕は頷いたのだろうか。よく分からなかったが、カレンは満足げに頷き返し、そっと僕の手を握ってくれた。手を動かした感覚はないのに、彼女の手の温もりはしっかりと伝わってくる。


 どのくらいそうしていただろうか。僕を包んでいた雲が一気に晴れて、視界は暗転。

 それは自分が目を閉じているからだ。そう気づく頃には、僕は今のが夢だったのだと察していた。


(……イチ、ケンイチ!)

「待てカレン、そんなに揺すっては傷に障るぞ!」


 ゆっくり瞼を開けると、夢の中とは打って変わって必死な表情のカレンがいた。というより、その顔が間近にあった。

 ピントが合ってから、僕はテレパシーで思念を送ってみた。


(カレン、君は無事かい?)

(そ、そうだけど、でもあんた、テレパシーを使ったら身体を傷めるんじゃ……)

(あ)

(あ、じゃないよ! あんたがあたしのオペレーション中に血反吐ぶちまけてぶっ倒れたって聞いたから!)

(そりゃあ、まあ)

「ケンイチ、俺からも訊かせてくれ。今テレパシーは普通に使えるのか? 大丈夫なのか?」

「ええ、恐らく。感覚的に、遠距離でも大丈夫だと思います」

「はあ……」


 大尉は汗の浮かんだ禿頭をつるりと撫でた。


「おや、ケンイチは目覚めたのかい! さっさとあたしを呼ばないか!」

「すみませんペール先生、俺からも確認したかったので」


 カレンの顔が引っ込み、反対側から先生がぎょろり、と僕を睨んでくる。

 それから僕は、瞳孔の開閉の具合や胸に巻かれた包帯の様子を確認された。


 僕が吐血した理由。それは例の注射器の副作用だと思っていたし、事実その通りだった。

 具体的には、テレパシーの遠距離使用によって身体に負荷がかかった結果、偶然脆くなっていた肋骨が折れて肺に刺さり、出血をもたらしたらしい。


「まったく、他の臓器に被害が及ばなかったのは奇跡だね」


 とは先生の言葉。

 一瞬安堵したのはいい。だが、僕にはもっと重大な懸念事項があった。目覚めてから今まで忘れていたなんて、どうかしている。


「カレン! カレンは? 無事なんですか!?」

「本人に訊いたらどうだい?」


 先生の言葉は素っ気なかったが、表情には穏やかなものが浮かんでいる。


(暴れないで、ケンイチ。あたしは平気だから)

(で、でも君はⅤ型戦闘機の機関砲に当たって……)

(ハンター・クロウの翼で防いだ。それでも膝を掠めたけどね)

(それは致命傷じゃない、のか?)

(だから掠り傷だって。開いた脇腹の傷の縫合も終わったし)


 カレンはベッドに無理やり腰掛けた。さも自分は無事だとアピールするかのように、両足をぶらぶらさせている。


(でも、あの後山林に落下したんじゃないのか?)

(アクラン二号機だけれど、パラシュートがついてたのよね。あたしが翼を貫通されて慌ててもがいてたら、勝手に展開してくれた。正直、助かった)

(そう、か)


 それからⅤ型戦闘機二機は、遅ればせながら登場したエウロビギナ空軍の精鋭部隊に呆気なく落とされたという。


 僕は今度こそ、あまりの安心感に涙腺が崩壊しかけた。それをカレンには悟られまいと、ごしごしと目を擦る。

 それを察したのか、大尉がこう言いだした。


「先生、しばらく二人きりにさせてやりましょう。我々大人がいては話しづらいこともあるでしょうから」

「何言ってんだいアラン、だったらテレパシーで話せばいいだけじゃないか」

「い、いや先生、そういう意味ではなくてですね……」

「ま、いいさね。二人共、体調に異常があったらすぐに呼ぶんだよ」


 そう先生は言い残し、大尉と共にこの医務室を出ていった。


「大人がいては話しづらいこと、か」

(どうしたの、ケンイチ?)

「いや、子供同士だったらいいのかってことだけど、そうしたらユウジのことを思い出してね」


 カレンはすっと目を細め、すぐに伏せた。落涙とは言わないまでも、彼女の瞳に光るものがあったのは事実だと思う。

 もう、ユウジと勝負することはできない。そもそも僕は相手にしないように振る舞っていたけれど、カレンを好意的に想っていたのはあいつだけじゃない。


 ユウジだって、カレンの力になろうと必死だった。その遺志を誰かが引き継がなければ、あいつも救われない。


「なあ、カレン。僕が思うに、僕たちはこれからもっと警備の厳重な基地に配属されることになると思うんだ。そこで僕は、徹底的に敵を倒していこうと思う」


 カレンが一瞬固まり、それからがばりと顔を上げた。


(あ、あんた何言ってんの? そんな大怪我してまで、また薬に頼る気?)

(まさか。ちゃんと身体を鍛えて、銃器の取り扱いも訓練するさ)


 心の奥底に届くように、僕はカレンにわざとテレパシーで答える。本来そんな必要はないのだけれど。

 だが、そんなことには頓着せずにカレンは問いを重ねてきた。


(でも、徹底的に敵を倒すだなんて……。どうしてそんなことが言えるの? あんた、そんなこと嫌いだったでしょう?)

(だからこそだよ。大人たちは僕とカレンの力をいいように使っているけれど、大尉や先生みたいに、ちゃんと面倒を見てくれる大人もいる。スルズ准将みたいなとんでもないやつもいるけど……。とにかく僕が言いたいのは、僕たちの世代でこの無益な戦争を終わらせよう、ってことだよ。今日僕たちが戦えば、明日には救われている命があるかもしれない。その事実は、そしてそのための戦いは、きっと尊いものであるはずなんだ)

(あたしたちが、戦争を体験する最後の世代?)

(少なくとも、エウロビギナ共和国とヴェルヒルブ帝国の間では、ね)


 すると全く唐突に、カレンは僕の両手を握り締めた。


(わっ! ど、どうしたんだ、いきなり?)


 すっと目を閉じるカレン。僕もそれに倣って瞼を下ろす。


(借り一つ、必ず返すから)

(あ、う、うん……)


 あまりに端的な言い方をされ、しかし僕は嬉しかった。カレンがただの戦闘狂ではなく、きちんと子供らしい部分を心のどこかに持ち合わせているということが分かって。


(守ってあげなくちゃ、な)

(ん? ケンイチ、何か伝えようとした?)

(いっ、いや? 何でもないよ?)


 あたふたと答える僕。それを見て、カレンがいつもの細目、というよりジト目に戻ってしまったのは言うまでもない。


 THE END

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月下の彼女の斬撃任務《オーヴァーキル》 岩井喬 @i1g37310

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