第29話
※
階段の踊り場に鉄扉があった。施錠はされていない。
ドアノブに手をかけ、なんとか立ち上がる。それから僕は余力を振り絞るつもりでノブを回し、体重を鉄扉にかけた。
ギシリ、と音がして、ゆっくりと鉄扉が向こう側へと開かれていく。
ふっと涼しい夜気を感じた直後、ドアの展開と共に僕は倒れ込んだ。今さらになって、自分の呼吸が乱れていることに気づく。
辛うじて上半身を起こし、立ち上がりながら閉まった鉄扉に背を預ける。
それから再び生じた激痛に耐えつつ、カレンに思念を送った。
(大丈夫か、カレン?)
(……)
(カレン?)
(ええ、問題ない)
(シンクロ、入るよ)
僕がカレンとシンクロし、最初に感じた問題。それは、左脇腹がじっとりと湿っていることだ。
(カレン、まさか……!)
(傷口が開いたみたい)
(そんな呑気に言ってる場合か! 大尉は君の傷口が開いたら、すぐに撤退命令を出すようにと――)
(でもその大尉からの命令に従うつもりはないんでしょう、ケンイチ?)
そう伝えられてしまうと、最早ぐうの音も出ない。
(さっき僕が感じた危機感は、君の傷口が開いたことだったのか。出血は?)
(大したことはな――)
(マズい! この出血だと、君はあと五分で失血性ショックで意識を失うことになるぞ!)
(あんたがサボってる間にミサイルは二基落とした。残り四基、オペレーションよろしく)
またもや反論の余地のない言葉。いつもなら溜息の一つもつくところだが、今はそれどころではない。
(カレン、敵が四基のミサイルを同時に発射した! もうじき化学兵器の投下ポイントに着くんだ! だから撃ち尽くそうと……)
(四発? 随分と気前がいいのね)
不敵にもそう言って、カレンが取り始めた行動、否、軌道は全く以て理解不能だった。
急上昇によりミサイル群の上空に出たのは分かる。しかしそれから螺旋を描くように、上昇を続けるのはどういうことか。
(何をする気だ、カレン?)
(ケンイチ、あんた、Ⅴ型戦闘機のミサイルの信管が凍る温度って知ってる?)
(ああ、そりゃあ……ってまさか!)
僕が悟ったのはこういうことだ。
カレンはミサイルに高高度まで自らを誘導させ、信管が起動しないほどの温度下におく。
それを一つ抱え、信管が温まって再起動する前に爆撃機の真上から突撃。
そしてミサイルを直接ぶち当てようという作戦だ。
残り三基のミサイルは、そのうち誘導機能を失って自由落下し、軽い山火事を起こす程度の被害しかもたらさないだろう。
ぐんぐん高度を上げていくカレン。やがて高度一二〇〇〇メートルに到達する。この瞬間こそ、ミサイルの信管が起動しなくなる温度に達するはずだ。
カレンは慎重を期し、高度一四〇〇〇メートルまで上昇。そこでばさり、と真っ黒な両翼を広げ、薄い空気を深呼吸で取り込む。
肺が凍てつくような気温だが、カレンには関係ない。
それからカレンは半分宙返りをする要領で上下さかさまになり、全ジェットエンジンを噴射。一気に猛スピードでの降下を開始した。
「くっ! で、でもこのくらいっ……!」
僕はさらなる全身の痛みに見舞われていたが、ここで退くわけにはいかない。さっき誓ったばかりだ。
(残り三基のミサイルは、皆自由落下体勢に入った。後はカレンの思うがままだ)
(りょうか……んっ)
(どうした、カレン?)
(狙いが、上手く定められない……!)
僕ははっとした。出血多量による弊害だ。
ここまで、二人で頑張ってきて、その結果がカレンの墜落?
(させるかっ……!)
(ケンイチ、何してるの?)
(僕の目を君に貸す! 視野が広く明確になったはずだ!)
(え、ええ。だけど)
僕の心配? まさかな。カレンがそんなことを気にかけるはずが――。
(あんたに借り一つね)
(ッ?)
今何と言った? いや、それはどうでもいい。本当はどうでもよくはないが、今考えるべきことではない。
カレンは抱き着くようにして掴んでいたミサイルに、横合いからヒートサーベルを突き刺した。これで信管は作動する。
それを明瞭になった視界の中で真下に投擲。カレンは任務完了とばかりに身を翻しながら現場空域を離脱していく。
すると背後から、盛大な爆発音と爆光が波のように押し寄せてきた。翼部で自らを守るように丸くなるカレン。その代わりに僕が、爆撃機の状態に注意を払う。
結果、化学兵器を搭載した爆撃機は空中にて爆発四散。頑丈に守られていたため、化学兵器の漏洩は確認されず。
(カレン、作戦成功だ! 君の身体はあと一分半もつから、その間に安全に着陸を――)
(がっ!)
(どうした? カレン!)
尋ねるまでもない。カレンは撃たれたのだ。僕たちがうっかり忘れていた、ミサイルを撃ち放った後の二機のⅤ型戦闘機によって。
僕は今日一番の吐血と共に、そのままべたりと倒れ込んだ。
微かに僕の名前が呼ばれた気がしたが、これ以上の身体行動は何もできなかった。
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