第28話

「ぐあっ! ぐぐっ……!」

(どうしたの、ケンイチ?)

「ケンイチ、どうした!」


 カレンと大尉が同時に意識を向けてくる。しかし僕は、二人に同じ返答をした。

 大丈夫、任務に支障はない、と。


 カレンを誤魔化すことはできたが、大尉はそうはいかなかった。何せ、僕がレーダーサイトに肘をつき、頭を抱え、歯を食いしばっている姿を見られてしまったのだから。

 

「ケンイチ、何があった?」

「はあっ、やっぱりこうなったか」


 管制室に駆け足で飛び込んできたのはペール先生だった。僕の肩を揺すりながら、大尉が振り返る。


「まさか……」

「そのまさかさ。アラン、あんたがケンイチに渡した強制代謝促進剤だが、あれの副作用が出てるんだよ」

「そんな!」


 僕は二人の語る意味を知っている。大尉が僕に渡した薬剤というのは、例の注射器の中身だ。ヴェルヒルブの陸戦部隊に基地が制圧されかけた時、僕が自らの胸に突き刺したあの液体薬剤。

 あれのお陰で、僕はカレンを救い、窮地を脱することができた。しかしまさかその副作用が、テレパシー能力の阻害だったとは。


「ケンイチ、一旦テレパシーでの交信を止めて――」

「いえ、シンクロ、入ります」


 僕は目をカっと見開いて、なんとかレーダーサイトを視界に叩き込んだ。そして先ほど以上の激痛に見舞われつつ、カレンと意識を重ね合わせる。


 するとまさに、カレンの翼を掠めるような距離でミサイルを回避するところだった。空中でミサイルを爆散させなかったところからすると、敵もまだこのミサイルの取り扱いに慣れていないらしい。


 直進したミサイルはカレンの後方の山肌に衝突し、鈍い爆音と黒煙を上げた。その麓で火の手が上がっている。どうやらカレンがサーベルで斬りつけ、もう一基のミサイルを墜落させたらしい。


(カレン、無事か?)

(ええ、あんたは?)

(何ともない! それより、敵機本体が接近中だ! 一時方向、同高度!)


 Ⅴ型戦闘機の主装備は飽くまでミサイル。その重量を支えるという設計思想ゆえに、本体の動きは鈍重だ。

 カレンは急降下し、敵機の真下から急上昇。サーベルで思いっきりコクピットを貫通した。そのまま自らのジェットエンジンを駆使し、機体を垂直にする。


(何やってるんだ、カレン!?)

(盾にする)

(危険だ! そいつはまだミサイルを一基積んでるんだぞ!)

(好都合。使わせてもらう)

(は、はあっ?)


 二機目の敵機のミサイルが迫ってきた時、カレンは盾にしていた機体の機首をその敵機に向けた。そのままジェットエンジンをフル稼働させて、今放たれたミサイルに突っ込んでいく。

 

 と見せかけて、ミサイルを再度ギリギリで回避。そのミサイルが旋回してくる前に、二機目本体に向けて一機目の残骸を放り投げた。

 アクランで増速された残骸は、ほぼ水平に真正面から二機目と衝突。合計三基分のミサイルが空中で爆散し、あたりは昼間のような明るさに照らされた。


 二機目が放っていたミサイルは主を失い、よろよろと減速して墜落する。

 残るは爆撃機と、護衛戦闘機二機。ミサイルは六基だ。

 そのことを確認しようと、僕が思念を送ろうとしたその時。


「ぐぼっ!」

「お、おいケンイチ!」


 明らかに狼狽えた声がする。大尉のものだ。だが、大尉がこんなに落ち着きをなくすなんて。

 何事かと思って顔を上げると、レーダーサイトが真っ赤に汚れていた。同時に、僕の口腔内は強烈な鉄臭さに満ちている。


「先生! ケンイチが吐血しました!」


 吐血? 僕が? 

 いや、そんなことはどうでもいい。僕はカレンのオペレーターなのだ。早く意識を立て直し、シンクロし、て、彼女の、援護、を……。


 薄れゆく意識の中、僕の左肩に鈍痛が走る。左頬にもひんやりとした感触。床面に接触したのだ。

 自分は平衡感覚を失っている。そう気づいた僕は、それでもシンクロ続行を試みた。しかし、カレンと連携していたはずの意識が繋がらない。これは、まさか。


「シンクロ可能領域が狭まっている……?」

「何? ケンイチ、何だって? ああもういい! カレンに帰投させろ! おい、担架こっちだ!」

 

 矢継ぎ早に言葉を発する大尉。その足首をぎゅっと掴み、僕はのっそりと立ち上がった。


「遮蔽物が多すぎる……。せめて、外へ……」

「もういい、作戦は失敗だ! カレンは無事だから、お前も今のうちに――」

「大尉、僕を外へ……。できるだけ高度のある所へ連れ出してください」

「だからもう作戦は失敗なんだ!」

「カレンは‼」


 僕は腹の底から声を出した。


「彼女に失敗の二文字はありません。あったとしたら、僕がそれを掻き消します」

「どうやってだ?」

「いつも通りに」


 むせ返ると、あたりに鮮血が飛び散った。だがここで退くわけにはいかないし、カレンを退かせるわけにもいかない。

 それが、僕の命を救ってくれたカレンの生き様だからだ。


         ※


 気がついた時には、僕は大尉の背中から下ろされるところだった。がたん、と揺れる床面。どうやらエレベーターに乗せられたらしい。

 エレベーターで外部メンテナンスハッチのある階層まで上がり、そこからテレパシーの遣り取りをすれば、僕の負担も減るはずだ。


「アラン、覚悟しておきな。こんなことをして、もしケンイチやカレンが死んだら……」

「俺の覚悟など、彼らの覚悟に比べればたいしたものではありません」

「あんたはいつも思いきりがいいのか向こう見ずなのか、さっぱり分からんよ」


 二人の会話が途切れたところで、両方から自分が覗き込まれるのが分かる。

 

「大尉、ぼ、僕は……」

「喋るな」


 一喝されて、僕は再び俯く。

 それからしばしの間、僕たち三人は無言だった。異常な揺れを伴って、エレベーターが停止するまでは。


「おっと! 何だい、突然?」

「ケンイチ、大丈夫か? どうやら整備の手が緩んでいたようですね。落下の危険があるとして、エレベーターが急停止したんです」


 大尉は即座に扉の前に立ち、僅かな隙間に指を引っかけた。


「仕方ない、扉をこじ開けます。ケンイチ、少し階段を上ることになるが、大丈夫か?」


 僕は半ば重力に任せて頷いた。ぴたん、と血が唇の間から滴り落ちる。足元には既に、小さな血の池が広がっていた。


 エレベーターの扉を開くのに、大した時間はかからなかった。しかしここで、僕たちは大問題にぶつかることになる。


「くそっ!」


 大尉がエレベーターの壁面を蹴りつけた。目の前にあったのは、コンクリートの壁。階層を区分けする段差だったのだ。

 これでは、大尉の図体では這い上がることができない。僕の胸中にも、ゆっくりと絶望感が注入されていく。


「これじゃケンイチを負ぶっていけない!」

「やっぱり無理だったんだよ、アラン。すぐに助けを呼ぶから、それまで待って――」

「それは、できません」


 僕は静かに断言した。


「カレンは今、ピンチに陥っています。シンクロしていないので詳しい戦況は分かりません。けど……げほっ!」

「無理に喋るな! ここには医療器具もないんだぞ!」

「は、早くカレンとシンクロできるところまで……」


 僕は何も、不可能なことを言っているわけではない。大尉では通れなくても、小柄な僕ならこの段差の隙間を抜けられる。

 大尉にだって分かっているはずだ。ここで救助を待っていたら、ここまでやって来た僕たちの苦労は無駄になるということ。そして何より、カレンが命を落とすということ。


 心配げな先生をよそに、大尉は出口と反対側の壁に掌を押しつけた。


「……ケンイチ・スドウ曹長。命令だ。カレン・アスミ上級軍曹を遠隔支援し、必ず二人で生きて帰れ。今、お前を担ぎ上げてやる」


 赤ん坊をあやすように、大尉は軽々と僕の身体を持ち上げた。確かに僕なら、この隙間を通れそうだ。


「ありがと……いえ、了解しました、大尉」


 こうして僕は薄暗い無人の廊下に立ち、そばにあった階段を上り始めた。


         ※


 これはきっと、天罰なのだ。僕はそう思う。

 あれほど戦争に抵抗感を抱きながら、カレンを矢面に立たせて自分はこそこそ後方支援。

 かといっていざ自分が戦わざるを得なくなった時の、あの高揚感と爽快感。


 この全身を苛む激痛は、その報い。僕が殺害してしまった十余名の置き土産のようなものなのだろう。敵であることを考慮しても、僕はあまりにも残虐な行いをしていた。


 どうして今こんなことを考えるのか? 昨日の今日で、心変わりができたとでも言うのか? まさか。

 僕はカレンに死んでほしくない。たとえ彼女が自ら死地に臨もうとも。そう思う心の中心部には、傷一つついていない。


 だからこそ僕は、この階段を上る。這うような無様な格好でも。血反吐をぶちまけながらでも。死者に恨まれ続けようとも。

 それでも、カレンには無事に帰ってきてほしいから。

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