第27話
「敵は既にこの化学兵器の実用試験に臨む段階だろう。そのために、エウロビギナ西方のこの山岳地帯を標的にする可能性が高い。もし上手くいってしまったら、次は間違いなく都市攻撃に移る。ここで出鼻を挫かなければならん」
その説明は、大尉が僕に行ってくれているものだ。それを知るのにしばしの時間を要した。しかし、内容はしっかり頭に入っている。
「大尉、この空域を警戒中の戦闘機部隊は? 地対空部隊の展開はどうなっていますか?」
「残念だが、遅すぎたよ」
「え……?」
大尉は露骨に顔を背けた。
「今回、人的被害が出る可能性は低い。だが、かといって化学兵器の実用試験を止め得るだけの戦力もない。もうこの戦争は、後戻りができないんだ」
(だったら前に進めてやればいい。終わりが来るまで)
(そうだね、カレン。って、何だって?)
「どうした、ケンイチ?」
「い、今カレンからテレパシーが」
「馬鹿な! まだ麻酔が利いているはずだぞ」
しかし、カレンはすっと現れた。
会議室の後方出口で、点滴を吊ったキャスター付きの危惧を片手に、やや息を荒げながら立っている。
皆が訝しげにカレンを一瞥していく。当然だ。カレンの顔かたちは、エウロビギナ軍内でも大っぴらにはされてはいないのだから。
それより問題は、ずかずかとカレンに向かっていく大尉の方だ。心配と、その反動の怒りとで冷静さを失いかけているように見える。
「カレン、さては病室を抜け出してきたな?」
鼻息も荒く責め立てるような口調の大尉に向かい、ぐっと顎を引くカレン。
(カレン、まさか……。君は戦うつもりなのか? そんな大怪我をしているのに?)
(戦うに決まってる。国家存亡の危機でしょ。別にエウロビギナに愛着があるわけじゃないけど。でも、少なくとも両親は愛国者だった。ユウジもね。彼らのために、ヴェルヒルブの連中を血祭に挙げたいのよ)
僕の表情から察するところがあったらしい。大尉は僕たちを手招きし、ふん、と鼻を鳴らしてこう言った。
「ペール先生に、出撃許可を要請してやる。そこで申請されなければ、諦めろ」
※
「随分と早いお目覚めだね、カレン?」
回転椅子を回し、先生が僕たち三人を見遣る。
「アラン、あんたが子供たちと同じ側に立ってるってことは、二人の意見を尊重するつもりなんだね?」
「はい、先生」
狼狽するのを止めたのだろう、大尉は明瞭に答えた。やれやれとかどうしようもないとか呟きながら、デスクの裏手に回る先生。そこには鍵が並べて掛けられている。
「これが、この施設の最下層の火器格納庫の鍵だ」
ひょいっと投げられたそれを、僕は我ながら器用にキャッチする。
何があるんですか、と尋ねられればよかったのだろう。だが、先に口を開いたのは大尉だった。
「先生はカレンの出撃に反対なのですね?」
「当り前さね。私の患者だ。重傷の処置は済んだとはいえ、まだまだ万全とは言えない」
「と、いうことは……」
「ちょっとやめなさいな、アラン。自分の思い通りにならないからって、あたしが協力を断るとでも思ったかい? そこまでやんちゃする年頃じゃないよ。ちゃんとケンイチと一緒にナビゲートするさ」
「ありがとうございます」
「ひとまず、あんたたち三人で格納庫に行きな。もしそこの装備が気に食わなかったら諦めるこったね。ケンイチとカレンは、テレパシーに支障が出ないか繰り返し思念の交換をすること。分かったかい?」
「はっ、は、はい、了解です!」
僕が大尉を見習って深々と頭を下げていると、早く行こうとカレンに急かされた。
先生の部屋を出ると、廊下の向かいはエレベーターに直結していた。
「よし、これで格納庫へ行こう」
大尉の言葉に応じるように、がたん、と音を立ててエレベーターが目の前に下りてきた。
※
エレベーターでの降下には、随分時間がかかった。それだけ深くまで潜ってきたということだろう。僕は古びた倉庫のような場所を想像した。だが扉が開いた時、そこにあったのは清潔で広大な空間だった。
「最近手入れされたみたいだ」
僕は呟く。
大尉は無言で進み出て、大きなスイッチを拳で軽く叩いた。ばちん、と通電する音がして、部屋の奥まで照明が灯る。そこにあったものを見て、僕ははっと息を飲んだ。
「アクラン……?」
「差し詰め二号機、と言ったところだ」
「大尉、どうしてこれがこんなところに?」
「実は俺もさっき先生から聞かされたばかりなんだ。だが問題は――」
と大尉が言いかけると、カレンがすたすたとそのアクランに近づいて行った。
「カ、カレン?」
その場で点滴の針を抜き取り、キャスター付きの器具から手を離す。かたん、と軽い音を響かせて、点滴が床面に打ちつけられた。
(ケンイチ、一回これをあたしに装備してみて)
(で、でも……)
(いいから!)
カレンに急かされ、僕は装備を施していく。場所は違えど、僕の手はいつも通りに動いた。ジェットエンジンを一つ一つ装備し、接続をカレンと逐一確認していく。どうやらこのアクランは、カレン専用にチューンナップされていたらしい。
(どうだい、カレン?)
(軽いわね。動きやすい)
(それはよかった。でも武器が――)
「どうした? 武器か?」
大尉が声をかけてくる。薄暗いところからぬっと出てきた大尉の手には、ヒートブレードが握られていた。
「一応これも先生に聞いてきたぞ。ここにある空対空武器で、カレンに使いこなせるのはこれだけだそうだ」
「あっ、はい」
僕は大尉からブレードを受け取り、カレンに手渡そうとした。そして、柄の部分に注意事項が記されていたのを見て驚いた。
「刀身は一号機の二倍⁉」
「そうだ。実質、最大出力で二・五メートル。元のブレードの八倍の宙域をカレンはカバーできる」
(貸して、ケンイチ。それから離れて)
僕がサーベルを手渡して離れると、カレンは躊躇いなくサーベルを起動した。ヴン、という音と共に、青白い光の剣が展開される。
それからカレンは曲芸師のように、そのサーベルを前後左右、加えて上下に余すところなく振り回した。
粉塵が舞うようなことはない。すぐさま融解・蒸発させられてしまうからだ。そうしてカレンが刀身を格納した時、そこには不敵な笑みが浮かんでいた。
(気に入ったわ)
その表情からカレンの心境を汲み取ったのだろう。大尉は腕組みをして言った。
「私、アラン・マッケンジー大尉は、空軍ゲリラ部隊の責任者としてカレン・アスミ上級軍曹に出撃許可を与える。攻撃目標は、現在越境を試みているヴェルヒルブ空軍爆撃機、及び護衛戦闘機。全機撃墜し、無事帰投せよ。命令だ」
本当は敬礼すべき場面だったのだろう。だが、カレンは口の端を上げて大きく頷いた。
「話はここまでだ。ケンイチ、いつも通りのオペレーションを頼む」
「は、はッ!」
それから、大尉には伝わらないように僕はカレンに呼びかけた。
(カレン)
(何?)
(僕からもお願いするよ。無事に帰ってきて。待ってる)
するとカレンは軽く僕の肩に手を載せ、そのまま大尉に続いて歩いて行った。
※
この山麓にある医療施設にも、レーダーサイトは用意されていた。
現在カレンは無事離陸し、高度を上げて山脈の低い部分、約二〇〇〇メートルの地点上空を通過中。敵の爆撃機は、レーダーサイトに入るにはまだ早いようだ。
もし肉眼で周囲が見えていたら、夜闇にぽっかりと浮かんだ月が実に美しかったことだろう。
件の化学兵器。まさか爆撃機が撃墜され、落下の衝撃で爆発するような代物ではあるまい。だが万が一ということもある。できればこの入り組んだ山脈地帯のどこか、谷間に落ちてくれればそんなに拡散しないだろう。
僕はカレンの航路を見つめながら、出撃前のペール先生の言葉を思い出していた。
撤退に関してだ。条件は一つ。傷口が開き、出血が始まったら何が何でも撤退させろと。それまでに、急造ではあるが空対空部隊を編成しておく、とのことだった。
僕は一旦立ち上がり、両手を組んで頭上に伸ばし、思いっきり筋肉を弛緩させた。
再びサイト前の椅子に腰かける。そして、そこに映し出されている光景に唖然とした。
(カレン! 敵機襲来、猛スピードで君の下へ向かってる!)
(何ですって?)
(動力はきっとジェットエンジンだ。恐らく、ヴェルヒルブ製Ⅴ型戦闘機に搭載されているミサイルだ!)
(ッ!)
南西方向から、二発の小型飛翔体が戦闘機より高速で迫ってきている。シンクロすると、カレンはヒートサーベルを抜刀、迎撃態勢に入るところだった。
僕はカレンを経由して、どうにかレーダーサイト外の状況を探ろうとした。そして、愕然とした。
(カレン、敵は爆撃機一、それにⅤ型戦闘機が三、いや四! 今君に迫ってるミサイルは、計十二基のうちの二基だ!)
カレンは無言。いかにして回避・迎撃すべきか考えているのだろう。
ミサイルがただの砲弾ではなく、誘導兵器であることが最大の問題だ。
と、その時だった。僕の脳裏に、凄まじいノイズが走ったのは。
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