第24話【第五章】
【第五章】
僕の意識が戻ったのと、自分の身体が太いバンドで拘束されていると気づいたのはほぼ同時だった。
がたんがたんと揺れているところから察するに、どうやらトラックに乗せられているらしい。
ゆっくり目を開けると、そこには大尉がいた。表面上はいつもの冷静かつ頼れる大人を装っていたが、その内側で複雑な感情が蠢いているのはすぐに察せられた。
「大尉……」
「大丈夫か、ケンイチ」
「カレンは?」
「ああ、今応急処置が終わったところだ。まだ意識は戻っていない」
「そうですか」
僕にとって、自分が拘束されていることなどどうでもよかった。カレンさえ無事でいてくれれば。ユウジは命を落としてしまったけれど。
「もうしばらく待ってくれ、ケンイチ。お前の中枢神経が落ち着くまで、俺はお前の自由を取り上げておかなきゃならん。あんな風に暴れられたらこまるからな」
あんな風に。これは僕が敵の陸戦部隊を全滅させたことを言っているのだろう。
ここで暴れたりはしません、と言ってもよかったのだろうが、説得力など微塵もない。
「どうして僕の仕業だと分かったんです?」
「当然だろう、俺があのアンプルを渡したのはお前だけなんだから」
「それはそう、ですね」
僕はふっと大尉から視線を逸らした。カレンの意識は本当に戻っていないのだろうか? 訝しく思った僕は、テレパシーでの対話を試みた。
(カレン、聞こえるかい?)
(……)
反応なし。
「大尉、カレンは助かるんですよね?」
目だけで大尉を捉えると、大尉は今度こそ感情を露わにした。眉間に皺を寄せ、低い唸り声を上げる。
「楽観はできん。すまんな」
それだけ言って、大尉は腰を上げて助手席に収まった。いつもの大尉なら、ちゃんと話を聞いてくれるはずだけれど。
こんな状態では、流石の大尉とて平静ではいられないか。敵に自軍のゲリラ基地の場所を特定されてしまったのだから。だが、それよりもずっと致命的で感情的な問題を、大尉は抱えている。
あのゲリラ基地の安全確保を大尉たちが行ったとすれば、当然ユウジが戦死したことは分かるはずだ。
大尉にとって、ユウジは息子同然。カレンにも、娘に近い感情を抱いていたかもしれない。そのうちユウジが死亡し、カレンも意識不明の重体となれば、とても落ち込まずにはいられないだろう。
そこまで考えて、僕は再び自分の意識が闇に沈み込んでいくことを許した。代わりに浮かんできたのは、ある少女の過去体験だった。
※
「さあ、荷物をまとめるんだ。例の資料は?」
「ええ、この鞄の中に。あなた、本当にこの家を出るの?」
「そうだ。ヴェルヒルブ陸軍がこちらに向かっていると、アラン大尉から連絡があった。すぐに逃げろと」
「そうなのね。なら急がないと」
少女の両親は、防水性の鞄に紙束を入れながら脱出を試みていた。自分の家からだ。
「ねえお母さん、何があったの?」
幼い日の少女――カレン・アスミは、母親に尋ねる。
「悪い兵隊さんたちが来るわ。その前に逃げるのよ、あなたも」
「どうして?」
「それは……」
言葉に詰まった母親に代わり、父親がカレンの前にやって来た。しゃがみ込んで目線を合わせる。
「いいかい、カレン。お父さんたちはとんでもない発明をしてしまった。これがあれば、エウロビギナは戦争に勝てる。だが、一度でも使ってしまえば世界のバランスは崩れて、世界大戦に陥るかもしれない。それに、隠し通せるものでもない。だから他の国の兵隊さんに盗られる前に、発明した武器の資料を軍の偉い人たちに預けるんだ。そして破棄するように促して――」
父親の言葉はそこで途切れた。窓ガラスの割れる音と同時にザシュッ、と肉を裂く音が響く。
「きゃっ!」
飛散した鮮血をまともに浴びて、カレンは短い悲鳴を上げた。
「お父さん?」
そこに父親の顔はなかった。
「ッ! カレン、見ちゃいけないわ!」
母親が慌ててカレンを引き離す。父親の首から上は、狙撃によって破砕されてしまったのだ。
「いい、カレン? この地下室に隠れていなさい。お母さんがいいと言うまで、物音を立ててはいけないわ。分かった?」
突然の状況変化についていけないながらも、カレンは母親に背を押されるようにして地下室への階段を下りた。
「あれ? お母さん、お母さんは?」
「すぐにそばに行くから、待っててね」
そう言った直後、ばごん、という衝撃音と共に玄関扉が蹴り開けられた。
「カレン、早く!」
「ま、待って、お母さん!」
ゆっくりと地上階への床板が閉じられる。母親は包丁を構えたが、それがカレンの見た最後の肉親の姿だった。
バタタタタッ、という自動小銃の音がして、頭上からどさり、という音が降ってきた。
「第一・第二目標クリア。第三目標、捜索中」
「相手は子供だが、舐めてかかるなよ。家中の床板や天井を引き剥がしてでも見つけ出せ。発見し次第、射殺しろ」
これらの遣り取りから、カレンは悟った。
母親が殺されたこと。次は自分の番だということ。
涙が出るかと思ったが、そうでもなかった。嗚咽が漏れ出ることもない。これがショックであり、同時に絶望であることを悟るのは、カレンが救出されてからのことだ。
その救出部隊の隊長こそ、アラン・マッケンジー大尉だった。
《ヴェルヒルブ陸戦部隊に告ぐ! 総員武装を解除し、投降せよ! こちらには諸君の生命を保証するだけの用意がある! ただし、ここで回収したアスミ博士の資料は返してもらうぞ!》
メガホンで拡張されたその声は、建物内にも勢いよく轟いた。
「構わん、応戦しろ!」
カレンの捜索を止め、窓越しに銃撃を始めるヴェルヒルブ兵たち。だが、すでにこの家は大尉たちに包囲されており、彼らは呆気なく殲滅された。
その後、クリア、という声が何度も繰り返された。敵勢力が無力化されたことを、大尉たちが確認しているのだ。
「大尉、アラン夫妻の遺体を発見。現在、娘のカレンを捜索中」
「了解」
すると既にバレていたかのように、地下室と地上階を結ぶ床面が引き上げられた。
カレンは尻を冷たい床に擦りつけるようにして、ずるずると引き下がる。
「カレン・アスミさんだね?」
「……」
「怖がらなくていい。私はエウロビギナ陸軍レンジャー部隊のアラン・マッケンジーだ。ご両親の友人だよ。君たちを助けに来た」
陰になってよく見えなかったが、確かに目の前の大男は微笑みを浮かべている。敵ではない。
そう判断したカレンは、伸ばされた丸太のような腕にしがみつき、引っ張り上げてもらった。と同時に、ビニールシートを被せられて運ばれていく二つの遺体が目に入った。丁重に扱われているところからして、敵兵の遺体ではあるまい。ということは――。
カレンは口を開いた。大尉に、自分の両親は死んでしまったのかを確認するために。だが。
「……」
「よし、撤収だ。急げよ」
「……」
「大尉、アスミ夫妻のご遺体、収容完了しました」
「……」
「よし。総員警戒態勢のまま、トラックに乗り込め。即刻離脱する」
「……」
声が、出ない。さっきまで両親と話すのに使っていたはずの声が。
一体自分はどうしてしまったのか?
カレンはいつの間にか自分を負ぶってくれていた大尉の肩を軽く叩いた。
「ん、どうした、カレン?」
すっと息を吸い、発声を試みる。だが、結果は同じだ。荒い呼吸はできるのに、声の出し方が思い出せない。
「カレン、君、喋ることができないのか?」
大尉に向かってこくこくと頷くカレン。彼女の胸中にあったのは、絶望というより不自由感だった。このまま発声ができないのは困る。それに、まだ絶望というものに心が慣れきっておらず、意味不明な不快感としか捉えられていなかった。
「カレン、君は疲れているんだ。少し休んだ方がいい。落ち着いて、冷静にな」
それからカレンは、大尉と同じトラックの荷台に乗せられた。そして味方のトラックの中ですやすやと眠りに就いてしまった。まるでこれが悪夢に過ぎないのだと、自分に言い聞かせるように。
※
「……イチ、ケンイチ!」
「んっ、た、大尉。どうしたんです?」
「どうしたんですって……。お前、ひどい汗だぞ。顔色も悪いし」
「そうなんですか?」
「自覚がないとはな……。お前さんはほぼ無傷だが、何かしらの精神的ショックがあったのかもしれん。話せるか?」
「え、ええ、まあ」
僕は今見た夢の話をした。だが、これが夢でないことは明らかだ。きっと思念の遣り取りができる僕とカレンの仲で、カレンの無意識下の過去が僕の脳内に流れ込んできた、とでも言うべきだろう。
そのことを大尉に話すと、大尉は太くて長い溜息をつき、僕の見た過去の情景が事実であると認めた。
「あの日、アスミ博士と奥方が殺害された日以降、カレンは口が利けなくなってしまった。重度のストレス障害によるものだ」
「ああ、だから防空壕に隠れた時に暴れ出したんですね。トラウマなんでしょうか」
「多分な。流石に俺も、そこまでカレンに尋ねてみたことはないが」
真似をしたわけではないが、僕も大尉同様に行き場のない空気を肺から吐き出す。
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