第25話

 それから、大尉は僕にその後のカレンのことを聞かせてくれた。

 救出してから一週間ほどは、流石のカレンも放心状態だった。直接見たわけではないにせよ、自分の両親が二人共一瞬で惨殺されたのだ。

 葬儀は大尉が取り仕切り、アスミ博士夫妻は丁重に葬られた。


 だが葬儀が終わった翌日から、事態は急展開を始める。


「カレンのやつ、どっから情報を仕入れたのか知らんが、俺にメモを突き付けてきた」

「メモ?」

「軍事訓練の教本のリストだ。いろんな実戦的格闘術を学ぶ気だったらしい」


 そのメモを手にして怪訝な顔をする大尉に、カレンは筆談でこう付け加えた。

 自分も敵が憎い。だから殺したい、と。


「正直、我が目を疑ったよ。だが反論できなかった。俺の両親が死んだ時だって、銃殺されたわけじゃない。だから俺にカレンの憎しみの深さを推し測ることは不可能だ。だからカレンの指示通り、教本を用意してやった」


 それからさらに一週間が経過し、カレンは軍事施設内をうろつくようになった。その目的は専ら大尉を探してのことだ。


「彼女は大尉に稽古をつけてもらいたかったんですか?」

「いや、違う。お前がさっき使った注射の存在を知って、あれに順応しようとしていた。つまり、自分を実験台にして実戦に投入しろと言いたかったらしい」


 大尉はもちろんそれを却下した。カレンはここ一週間のうちに教本の内容を全て頭に叩き入れており、後は身体を鍛えるだけだったが、例の注射は受けさせられなかった。僕に渡したアンプルだって、安全性が確保できた代物ではなかった。


「あれには強力な興奮作用がある。冷静さを失ってしまうんだ。性格も攻撃的、暴力的になると言われていた」


 それを丁寧にカレンに語って聞かせた大尉。だが、彼女は諦めなかった。稽古が始まったのはそれからのことだ。

 カレンは見る見るうちに多くの格闘技、偵察術、火器の取り扱いを覚え、それに耐え得る屈強な身体を造り上げていった。


 ああ、だから最初に孤児院で会った時、あんな戦いができたのか。

 そう思った時に、僕の頭にふわり、と疑問が浮き上がってきた。

 どうしてカレンは軍属でありながら、孤児院などに入れられたのだろう?


「それは彼女が望んでのことだ」

「え? どうしてあんな劣悪な環境にわざわざ……?」

「恐らくお前がいたからだろう、ケンイチ」

「僕が原因、ですか?」

「書置きにあったよ。自分の脳に引っかかるような感覚がある、少し様子を見てくると。その時に彼女は、小型の無線機を持っていった。孤児院に着いた時にはちゃんと連絡を寄越したよ。もちろん音声ではなくモールス信号で、だが」


 どうやらテレパシーの感覚を得たのはカレンが先だったらしい。その相手である僕が孤児院にいたことも把握済みで。


「お前がいた孤児院は、当時俺がいた基地から近くてな。いざという時はカレンを救出に向かえる距離だった。だから黙認することにしたのさ」

「なるほど、それで」


 腕を組んで大きく頷く大尉。だから孤児院である教会のそばに、地対空部隊を迅速に配することができたのだろう。


「後はお前が知っての通りだ」


 これでお終いとばかりに大尉は腕組みを解き、荷台に設置された無線機に手を伸ばした。


「こちら二号車、カレン軍曹の具合はどうだ?」

《こちら一号車、未だに昏睡状態です》


 大尉は復唱する代わりに、再び溜息をついた。冷たい溜息だった。

 僕は大尉が顔を上げるのを待って問いかけた。


「ところで大尉、僕たちはどこへ向かってるんです?」

「ペール・オルセン先生のところだ。お前だって覚えているだろう?」

「はい」


 ペール先生といえば、孤児院からの脱出途中に瀕死の重傷を負ったカレンを助けてくれた陸軍の医官だ。


「お前たちのいたゲリラ基地から、一番近くて一番信頼できる医療機関だ。国境線にかなり近づくことになるが」


 僕は首を動かせないので、了解しましたと答えるに留めた。


《大尉、もうじき密林を抜けて荒野に出ます》

「敵機の偵察ルートは把握しているな? そこに引っかからないように、迂回しながら走行しろ。あと十五分ほどだろう。聞こえたな、ケンイチ?」


 僕は再び了解、と告げて、自分の感情が落ち着くのを待った。


 それにしても……。

 敵の陸戦部隊であるランド・クルーズを殲滅したのは、本当に僕だったのだろうか。

 

 いや、僕以外に応戦できる人間がいなかったのは承知している。だが、本来ならただ追い返せばいいだけのところだ。それなのに、わざわざナイフ一本で殺害していったのは何故だろう? 逃がして堪るかと思ってしまったきっかけは?


 まさか、人殺しが楽しいとでも思ってしまったのだろうか?


「ッ……」

「どうした、ケンイチ? 頭痛か?」

「ん……」


 大尉に目の動きだけで訴える。


「もうじき到着だ。お前もカレンの処置が終わったら、ペール先生に診てもらえ」

「もしカレンが生きていてくれたら、でしょう?」


 ぴくり、と大尉の頬が引き攣った。しかしすぐにそれを顔面から消し去り、ああそうだとだけ言って大尉は黙り込んだ。


 もしカレンが生きていたら。今の大尉に向かって、これほどの暴言はなかったと思う。だが、僕の胸中にある、そして注射のせいで目覚めてしまった破壊衝動は、こうでもしなければ押さえつけておけなかった。


         ※


 その医療施設の建物は、山脈に沿って巧みに隠されていた。岩肌が崩れたと思ったら、それがスライド式の大きな扉になっていたのだ。幅も高さも五メートルはあるだろうか。

 どうしてそんなことが分かったのかと言えば、その頃には僕は拘束を解かれ、視界の自由が利いたからだ。

 まあ、幌付きトラックの荷台から見た情景なので、扉の正確な大きさは分からないが。


 その岩肌はトラック二両を呑み込み、がこん、と音を立ててゆっくり封鎖されていった。

 前方には、強めの豆電球に照らされたトンネルがしばらく続いている。やがてもう一つの扉を経て、ようやく医療施設の入り口に至った。

 床や壁の凹凸がなくなり、車内まで漂う医薬品のつんとした臭いでそれが分かったのだ。


 トラックが停車すると同時に、賑やかで懐かしい声が耳に飛び込んできた。


「ほらほらあんたたち! 担架の準備くらいしておかないか! 怪我人が来るのは分かってたんだろう!」


 ああ、本当にペール先生だ。

 当たりは強い人だが、逆にそのことが僕に大きな安心感を与えた。この人にカレンを助けてもらいたいと思えたのだ。


 大尉に促され、僕は荷台から降りた。すると意識のないカレンが、慎重かつ迅速に施設の奥へと運ばれていくところだった。


「やれやれ、最近の若いのは気が利かないね」

「ご無沙汰しております、ペール先生」

「何がご無沙汰だい、アラン。まあいい、今はカレンちゃんを助けなきゃね」


 いつぞやと似たような会話を交わし、二人は笑顔を浮かべながらも緊張感を漂わせている。


「ああ、そうそう。カレンの無事が確認できたら、こいつのカウンセリングを頼みます。ほら、ケンイチ」

「お久しぶりです、ペール先生」

「やあ、ケンイチ。ってあんたも酷いね、血塗れじゃないか。取り敢えずシャワーでも浴びて着替えな」

「えっ」


 シャワー? 着替え? 何を悠長なことを言ってるんだ?


「そんなことはいいです、カレンのそばにいさせてください!」

「あんた、手術の経験は? もちろん執刀する側で」

「あ、ありません、けど。ああでも、手術室のすぐ外で待たせてもらって――」

「駄目! 駄目駄目駄目!」


 先生は凄い勢いで、顔を遮るように手を振った。


「カレンはあんたにとって大切な人なんだろう? 少しくらい見栄え良くしなきゃ。着替えは準備させるから、さっさとシャワーを浴びな」


 押されているのにどこから湧いてくるのだろう、この心理的な安定感は。

 僕は反論の言葉を失い、おずおずと先生の指示に従うことにした。


         ※


 シャワールームを出てから、数回カレンとテレパシーの遣り取りを試みた。結果はいずれも応答なし。まあ、当然か。手術中だとしたら、全身麻酔を受けているかもしれないのだから。


 僕は与えられた自室で、落ち着きなく歩き回っていた。

 二、三十分のことにも思えたし、五、六時間も経ったようにも思えた。


 すると、全く唐突に扉がノックされた。


「ケンイチ、俺だ。アランだ。ペール先生の手が空いたから、今度はお前がカウンセリングを受けろ。案内する」

「は、はい」


 カウンセリング……。大尉がさっき言っていた、先生に診てもらえ、というのはそういう意味だったのか。


「俺が戦友を死なせた時もな、あの先生のお陰で救われたんだ。お前も今は実感がわかないだけで、メンタルがやられている可能性は高い。早めに話を聞いてもらった方がいい」

「そう、ですか」

「そういうもんだ」

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