第21話
※
僕の頭は一旦真っ白になり、それから一周回ってぼんやりとした感覚に陥った。
怒りは感じない。悲しんでいるわけでもない。自分が無力だということが強烈に示されて、感情という感情が消し炭にされてしまったかのようだ。
そんな僕の脳内に、ゆっくり浮上してくるものがある。
「あ、カレン……」
カレンを迎えに出なければ。
ここは多くの戦闘機・爆撃機が離発着する場所であり、彼女も無事である以上、担当の係員に誘導され、問題なく帰投するだろう。
それは分かっている。だが、僕はいつもの癖というか習性というか、それに引っ張られていてもたってもいられなくなった。
自分の鼻の具合などお構いなしに、僕はすたすたと地上一階へ上がり、西方の空を見上げた。多くの戦闘機が着陸し、次々に格納庫へと牽引されていく。
中には被弾してパイロットが負傷し、すぐさま担架で運ばれていくという光景も見受けられた。
そんな中、ちょうど南中した太陽の下で、一際小さな影がだんだん近づいてきた。
間違いなくカレンだ。だが、地面に近づくほどに体勢を崩していく。ほとんどのアクラン付属のスラスターはパージされ、辛うじてふらふら飛んでいるという具合だった。
係員に半ば抱き留められるようにして、地に足をつけるカレン。いつものような凛々しさ、バランスのよさは失われ、倒れ込みそうになるのを必死に耐えている。
「カレン、大丈夫?」
僕は声をかけてみた。するとカレンは顔を上げ、僕と目を合わせた。それこそ、殺気を帯びた目で。
僕が再度声をかけようとした時には、カレンは僕の眼前まで歩んできていた。次の瞬間のこと。
「が……」
肺から空気が強制排出され、胃袋から酸っぱいものがじわり、とせり上がってくる。
それでも僕は腰を折り、無様に両手をついてしまった。
ようやく気づいた。僕はカレンに膝打ちを食らわされたのだ。
(カレン、一体何を……)
(嘘つき)
(え……)
カレンは立ち止まり、背中を向けたまま殺気を放ってくる。
(あたしはあんたの指示を聞いて、急いで帰ってきた。あんたの身が危ないと思ったから。あんたに死なれちゃ困ると思ったから。でも、帰投する間に敵機は見かけなかったし、この基地も無事だった)
(う、そ、それは)
(聞かせて。どうしてあんな嘘をついたの?)
僕はなんとか上半身を起こし、ぺたんと尻をつきながらカレンの方へ身体を向けた。
(そうとでも……あんな風にでも言わなければ、君は帰ってこないと思ったんだ。あのまま戦い続けていたら、君は殺されて――)
(でももっと多くの敵を殺せた!)
憤怒の感情をテレパシーに載せて、カレンは叫んだ。否、叫ぶような勢いで思念を叩きつけてきた。
がばっと振り返った彼女を見て、僕はぎょっとする。今までだって、カレンが怒りを露わにすることはあった。だが、こんなに冷静さを失った彼女を見るのは初めてだ。
目は真っ赤になって見開かれ、頬は引き攣り、口と鼻で荒い呼吸をしている。
(あたしは好きで戦ってる。好きで敵を殺してるのよ! どうして? どうして邪魔するの?)
そう言って、カレンは僕から顔を逸らして俯いた。がたがたと肩を震わせている。
せめてその肩を押さえてあげよう。そしてゆっくりと気持ちを伝えよう。そう思って、僕はゆっくり立ち上がってカレンの正面に立った。そっとカレンに手を伸ばす。
(カレン、僕はただ君に無事に帰ってきてほしくて――)
ぱちん、という音が、生温い風に乗って流れていく。何のことはない、カレンが僕の頬を引っ叩いたのだ。
このくらい、激昂したカレンが繰り出す技としては可愛いものだろう。問題は、カレンのみならず僕までもがキレてしまったこと。
再度ぱちん、と音が響く。
今度は僕がカレンの頬を平手で打った。カレンは呆気に取られた顔で僕を見返してくる。
そんな彼女に向かい、僕は真正面から視線を合わせた。
(僕、謝らないから)
(えっ?)
(いつも僕は、君の方が正しいと思ってた。でも今日は違う)
(な、何?)
(ごめん、なんて言わない。死に急ぐ君を相手に管制官としての任務を果たすのは、僕にはもう無理だ。いや、最初から無理だったんだよ。僕がどれほど君を頼って、でもどれほど心配しているか、君は知らないどころか知ろうともしない。愛想が尽きた)
(ちょっと、ケン、イチ?)
(大尉に報告してくる。僕たちの二人三脚は、今この時を以て解散だって)
僕はカレンを一顧だにせず、そばを通り過ぎた。何かが僕の背後から吹きつけてきたが、それがただの風なのか、それともカレンの未練の念なのか、よく分からなかった。
※
それから一週間が過ぎた。
アルバトル強襲作戦自体は失敗したが、ヴェルヒルブ側を牽制するには十分な効果があったようだ。両国共に国境沿いで睨み合いを続けるだけで、攻め込もうという気配はない。
作戦終了後、その日のうちに僕とカレンは大尉の運転するトラックでゲリラ基地に帰り着いていた。戦闘行為でなく仲間うちでの負傷の方が酷かったというのは、皮肉以外の何物でもない。
大尉には僕から事の顛末を報告した。始めこそぎょっとした様子だったものの、大尉は、俺にも考える時間をくれと言って現在に至るも命令を下してきてはいない。
両眉を上げて目をまん丸に見開いた大尉。彼のそんな顔を見たのは、今回が初めてだった。
そしてこの一週間、僕とカレンは完全に絶交状態だった。口頭ではもちろん、テレパシーの遣り取りも一切なし。
カレンは夕飯に注文をつけなくなったし、そもそも僕はそんなものを気にかけるつもりはない。
そんな中、奇妙なのはユウジだった。彼もまた口数が極端に減っていた。何を考えているか分からない時もある。アルバトル強襲作戦の当日からこんな調子だ。
時たま顔を覗き込むと、目線が虚ろで顔面蒼白になっている場合すらある。
これはこれで、安易に声をかけられる状況ではないように見受けられた。
早い話、僕たち三人は完全な機能不全に陥っていた。この間にカレンの緊急発進を要する事態が発生しなかったのかは、不幸中の幸いだった。
だが、僕は思い返す。
カレンは敵を殺したいと切望していた。単に生き残るとか、戦争に勝つとかではなく、目の前に立ちはだかる者を自らの手で屠りたいと思っていたのだ。
「一体何を考えてるんだ……」
そんな考えに苛まれた僕は、その日はなかなか眠れずにいた。
ベッドに横たわっているだけでも胸中がざわついてしまう。とてもこのまま横になってはいられない。
「ん」
軽く息をついて立ち上がり、僕はダイニングに出て水を汲んだ。グラスに口をつける。思ったよりもひんやりしていた。
一気に一杯分を飲み干して、短い溜息をつく。少しダイニングで過ごしてみようか。そんな考えに至った、まさにその時だった。
どごん、という短い爆音と共に、頭上の地上階が揺れるのが分かった。ぱらぱらと天井の破片が砂状になって降ってくる。
(カレン、敵襲だ!)
(気づいてる。あたしはエントランスから確認するから、あんたは屋上から敵を監視して)
(りょ、了解!)
一週間ぶりにしては、スムーズな遣り取りだった。
それはいいとして、問題はこの基地が何故攻撃を受けているのかということだ。いや、待てよ? 攻撃してくるなら、一撃で地上施設が吹っ飛ぶような威力の重火器で攻めてくるのではあるまいか。
敵襲には非ざる行動に思えるが……。いずれにせよ、地上施設に出ないと状況は分からなない。僕は頭上の気配を探りつつ地上一階へ、そして屋上へと向かった。
蓋状のハッチをゆっくりと空ける。扱いきれないながらも、僕は二十二口径を握っていた。こんなんじゃ使っても無駄かもしれないが。
薄くハッチを空けて最初に目に入ったのは、レーダーの基部から上がる黒煙だった。
「なっ!」
レーダーがやられた? これではカレンの戦闘支援どころか、他の味方の軍施設に警戒を促すことすらできないではないか。
黒煙に紛れるようにして、小柄な人影が見えた。犯人はあいつか。
「動くな! こっちには武器があるぞ!」
声の震えを押さえながら、僕は叫ぶ。もちろん相手も武装しているに違いないのだけれど。
だがその相手から声をかけられ、僕は思いっきり胸を殴りつけられたような感覚に襲われた。
「悪いね、ケンイチ」
「お、お前……ユウジ、なのか……?」
危うく拳銃を取り落とすところだった僕と異なり、ユウジは落ち着き払っていた。というより、何かを諦めていた。
いいや、今はそれを詮索しているどころではない。僕はかぶりを振ってからユウジと向かい合った。
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