第17話

「ん?」


 息を吐き切って顔を上げると、そばにいたはずの人影がなかった。


「ユウジ、どうした?」


 あたりを見回すと、その背中はすぐに目に入った。が、何をしているんだ?

 クレーターの縁に沿ってユウジに近づいていく。するとユウジはしゃがみ込み、背嚢から何かを取り出そうとしていた。って、まさか。


「よせ、ユウジ!」


 僕は大声を上げながら、思いっきりユウジを突き飛ばした。

 彼が手にしていたのは水筒だ。幸い蓋はまだ閉まっていて、水が零れることはなかった。だが、問題なのはそこではない。


「何すんだよ、ケンイチ! 俺は人助けをしようとしてたんだ!」

「見れば分かるよ」


 僕は既に視界の隅で、ユウジに隠れて見えなかった人物――幼い姉妹の姿を捉えていた。

 二人とも貧相な服装をしていて、頬もげっそりと瘦せ細っている。

 僕はなんとも言えない居心地の悪さと共に、姉妹と目を合わせた。


 本当だったら、何も恵んであげられないことを詫びるべきなのかもしれない。だが、そんなことをし始めたらキリがない。僕がユウジを止めたのは、僕たちが軍属だとバレること、そして大勢の避難民が物乞いと化すことを止めるためだ。

 最悪の場合、彼らは僕たちを殺してでも水筒を手に入れようとするかもしれない。僅か二、三リットルの水のために。


 この状況を前にして、姉妹のうち妹が目に涙を溜め始めた。だが、姉の方は正しい判断をしてくれた。微かに頷くような仕草をしてから妹の手を引き、すぐに避難民の列に戻っていったのだ。

 その先に、両親や保護者と思しき人物の姿はなかった。


 僕はその姉妹を、飢えに苦しんでいた六年前の自分と重ね合わせていた。


(茶番劇はお終い?)

(……ああ)

(大尉が先に行ってるって。ケンイチ、あんたを監督役にしたみたいね)

(そんな柄じゃないと思うんだけどな)


 そこまで念じてから、僕はカレンの方に振り返った。片腕を腰に当て、呆れた表情で突っ立っている。軽く顎をしゃくって見せてから、カレンはさっさと歩き出した。僕は再度ユウジの方に向き直って、行くぞ、とだけ声をかけた。


         ※


 機密会議の会場は、裏通りに一本入った劇場跡の建物だった。

 ゲリラ部隊は基本的に集合しないので、こんなに一カ所に人が集まっているのを見るのは久しぶりだ。


 僕たち四人が後方の席に並んで腰かけると同時に司会の兵士が現れ、作戦概要を説明した。

 作戦開始は三日後の早朝。太陽を背にして逆光に紛れながら、戦闘機部隊がアルバトル上空で奇襲を仕掛ける。それが成功し次第、重爆撃機が進行して化学兵器工場を跡形なく破壊する。


 言ってしまえば単純。ならば何故今までこんな作戦が実施されてこなかったのか。その理由もまた単純で、ヴェルヒルブ空軍によるアルバトル上空の警備は頑強だからだ。

 それでもこの作戦が立案されたのは、化学兵器の使用は止めなければならないということで、軍上層部が重い腰を上げたからだという。

 それに伴い、空軍本部のレーダー性能も向上させられているらしい。僕も当日は本部に出向き、そこからカレンを援護することになる。


《では最後に、本作戦の全体指揮を執られる、スルズ・バルナ准将から一言お願い致します》


『准将』という、普段は耳にさえしないほどの階級の高さに、僕は驚いた。そこまでのお偉方が指揮するとなると、やはりこの作戦は正規軍との合同任務なのか。


 驚きが納得に変わっていく間に、登壇した人影がある。

 長身痩躯で目が細く、唇も薄くて色白の人物。真夏だというのに空軍の軍服をしっかりと着込み、しかし気負っている様子はない。むしろ軽く口元に笑みを浮かべているくらいだ。


 だがその笑みを見ても、僕は落ち着かなかった。笑っているか否かは関係ない。問題はその目だ。

 切れ長であるところはカレンと似ている。だが、明確な意志を常に持ち合わせているカレンと違って、何かが定まっていないように見えたのだ。


 視線? いや、違うな。あまりよく印象を掴めないが、強いて言えば、何を考えているのか分からないということは言えるかもしれない。

 カレンといいユウジといい、あまりにも意志の明確な人間と暮らしているから、そう感じるだけだろうか。


 スルズ准将は中性的な、男性にしてはやや高めの声で淡々と僕たちを激励し、これまた落ち着いた様子で降壇した。

 僕はその姿に、魚の小骨が喉に刺さったような不可解な感覚に囚われたが、皆には黙っておくことにする。


 士気を下げることなく、三日後の作戦を成功に導かねば。

 今僕にできるのはそれしかない。

 帰りのトラックの荷台で揺られながら、僕はそのことだけを考えていた。

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