第11話


         ※


 そこまではよかったものの、大尉の僕に対する扱いはなかなか肝を冷やすものだった。


「よっと」

「ちょっ、何するんですか?」

「分かるだろう、ケンイチ。お前を担ぎ上げてるんだ」

「どうしてそんなことを……」

「案内してくれるんだろう、カレンの下へ。子供よりも俺たち軍属の方が足は速い。俺が先頭を走って森を抜けるから、お前はナビゲートを頼む」

「えっ? えっ?」

「救助隊、これより救助対象カレン・アスミの下へ向かう! 総員、俺に続け!」


 応、と威勢のいい声が轟く。同時に大尉は森の方へ振り返り、勢いよく駆けこんでいった。


「うわああああああああ!」

「ケンイチ、カレンが倒れているのはどのあたりだ?」

「う、うわ、え、ええっと……」


 ぐわんぐわんと揺さぶられ、まともな思考ができなくなりそうだ。

 そんな僕を正気に戻したのは、カレンの声、否、テレパシーだった。


(あなたたちから見て二時方向。錆びた映画の看板が目印)

「あっ! ここから二時方向です! 古い映画館のそばです!」

「ほう? よく記憶していたな」

「それは――」


 それはカレンが伝えてくれたからだ、と言おうとした。が、再び大きく揺さぶられ、僕はその機会を失った。


「よし、中尉! 聞こえていたな! 先導役を代われ!」

「了解!」


 すると、中尉と呼ばれていた細身の男性が木々の間をすり抜け、まるで架空の魔術師のように駆け出していった。

 それから二、三分ほど経っただろうか。


「大尉! 中尉から通信です!」


 大きな通信機を担いだ兵士が声を上げる。


「繰り返してくれ」

「はッ、カレン・アスミの下へ到着、重傷を負っているとのことです」

「む……」


 大尉は短い唸り声を上げた。だが、それより慌てたのは僕の方だ。


「カレンの怪我は酷いんですか? 助かるんですよね? 僕たちはそのために――あいてっ!」


 僕は大尉の肩の上で、勢いよく額を木の枝にぶつけた。今は黙っていろということか。

 木々はすぐさま途切れ、僕たちは旧市街へ出た。空を見上げると、戦闘機、爆撃機と思しき機影は見受けられない。どうやら空襲は終わったようだ。あるいは、次の街へと移ったか。


「大尉! 人手が必要です! この鉄柱をどかさないと!」

「了解! 皆、カレンを助け出すぞ!」

「うわっ!」


 僕はどさり、と地面に放り出された。が、痛みはない。優しく僕を下ろしてくれたということは、やはり大尉は人情味溢れる人間のようだ。

 かといって、僕も黙って救出劇を見守るつもりはない。助けられた張本人なのだから、今度は僕がカレンを助ける番だ。


 七、八名の兵士たちが、鉄柱を両脇から支えるようにして力を込める。僕も無理やり手を突っ込んだ。早くこれをどかして、カレンの様子を確かめたい。


「せーのっ!」


 屈強な兵士たちにかかれば、鉄柱をどかすことなど朝飯前だった。大尉や中尉がカレンの腕を掴み、鉄柱の下から引っ張り出す。


「カレン、無事か! カレ……」


 その姿を見て、僕は絶句した。

 背中側からカレンに倒れかかった鉄柱は、カレンの胴体を押し潰していた。呼吸は浅く、とても口を利ける状態ではない。元々そうだったのだが。


「カレン、分かるか? 俺だ、アラン・マッケンジー大尉だ」


 大尉は片膝をつき、その厳つい顔をずいっと近づける。するとカレンは微かに顔を上げ、しかし大尉と目線を合わせるには至らなかった。


「大尉、カレンは重傷です。直ちに最寄りの救護所に搬送しなければ」


 医療キットを手にした兵士が言う。


「止むを得んな、またペール先生の力を借りよう。ここから先生の救護所までは?」

「直線距離で約二十キロ、トラックにこの森を迂回させることも考慮すれば約四十キロです」

「了解。高射砲部隊とは別に、人員輸送トラック二台で救護所に向かう。至急トラックをこの旧市街へ寄越してくれ」

「はッ!」


 僕はテレパシーで、カレンの容態がどうなのかを推し測ろうとした。


(カレン、大丈夫?)

(これが大丈夫に見える? 冗談よしてよ)


 意識ははっきりしているようだ。しかし、僕が安堵した次の瞬間のこと。


(あたし、ちょっと休憩しないと……。応答できなくなったらテレパシーは諦めて)

「あっ、ちょっ!」

「どうした、ケンイチ?」


 大尉が僕の顔を覗き込む。が、僕は何といったらいいのか分からず、俯くしかない。

 どのくらいそうしていただろうか。大尉に名前を呼ばれて振り返ると、先ほど見かけた幌付きトラックが二台、視界に滑り込んできた。

 荷台からはすぐに聴診器や点滴の袋を持った衛生兵たちが出てきて、カレンを担架に載せて素早く収容する。


「俺たちも行こう。ケンイチ、君はどうする?」

「え?」

「ついてこないか、我々に。すぐにこの場を後にするようにと作戦要綱にもあるし、もし君があの孤児院にいたのなら、置いていかれた場合に相当困るはずだが?」

「い、いいんですか?」

「お、おう」


 僕が身を乗り出したのを見て、逆に大尉は身を引いた。それだけ僕が切羽詰まっていたように見えたということだろう。


「行きます、軍属にでも何にでもなります! 僕はカレンを助けたいんです!」


 しばし無言で、大尉はじっと僕の目を覗き込んでいた。僕を品定めしているようでもあるし、心配しているようにも見える。

 だが、そんな逡巡も大尉にとってはすぐに結論が出せるものだったらしい。


「了解した。我々はあっちのトラックに乗ろう」

「分かりました……じゃない、了解です!」


 微かに口元を緩めた大尉は、ぽんと僕の頭に手を載せた。


「カレンのことは心配するな、これから最高の医療スタッフが処置をするからな」

「は、はッ」


 今は大尉の言葉を信じるしかない。僕はカレンが収容されたのと同じ形の幌付きトラックに乗り込み、対面式の長椅子に、大尉と向かい合うようにして腰かけた。

 するとすぐさまドルン、というエンジン音を響かせ、黒煙を吐き出しながらトラックは発進した。


         ※


 救護所へ向かう途中、トラックの荷台でのこと。


「つまり君は、今回空襲に遭った孤児院にいたんだな、ケンイチ?」

「はい」


 湯気の立つマグカップを差し出す大尉に向かい、僕は頷いた。


「そこにカレンが偶然現れた、と」

「偶然かどうかは分かりません」


 僕はぎゅっとカップの把手を握り締め、大尉の言葉に異を唱えた。何せ、カレンは命の恩人なのだ。この出会いを、偶然という言葉で片づけたくはなかった。


「そうか……。まあ確かに、偶然ではないんだがな」

「僕だってカレンを守りたかった。でも、僕が彼女のためにできたことといえば、さっきの鉄柱を持ち上げるのを手伝ったことくらいです。僕はまだまだ、彼女に恩返しをしなくちゃいけない。少なくとも、それが今の僕の存在意義です」


 自らもマグカップを手にした大尉は、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「随分難しい言葉を知ってるんだな、ケンイチ」

「え? あ、まあ……。僕の両親は軍事技術者で、僕にもそうなるようにと英才教育を施しました。どれだけ役に立っているかは、甚だ疑問ですけど」

「やはりな……。スドウという苗字を聞いて考えていたが、やはり君はスドウ博士のご子息だったか」

「ご子息だなんて、そんな上品なものじゃありませんよ。人が傷ついたり、命を落としたりしていく戦場で、僕はまったくの無力でした。僕なんて、所詮……」


 すると、再び暖かい何かが僕の頭頂部に触れた。大尉の掌だ。


「まあ、俺も陸軍にいた時に負傷して、今はこうして後方支援に当たっている身だ。そんなに自分を卑下するもんじゃない」

「……はい」

(そんなこと言われたって、君が助からなきゃ意味がないじゃないか、カレン……)


 僕がそう念じてから、数秒後。


(だったらせめて銃器の扱いくらい覚えて頂戴、ケンイチ)

「ッ!」


 僕はがばりと立ち上がった。


「ど、どうした、ケンイチ?」


 大尉の言葉を無視して、僕は続ける。


(カレン、意識はあるのか? 無事なのか?)

(無事じゃないけど、意識は戻った。下手な心配しないでよ、鬱陶しいから)


「おい、落ち着けケンイチ。何があった?」

「カレンです! カレンがテレパシーで僕に――」

「何だって?」


 大尉はすぐさま、隣に座っていた兵士の背中から通信機を分捕り、声を吹き込んだ。


「こちら二号車、一号車に収容中の負傷者に変化はあったか?」

《……いえ、ありません。バイタルは安定したようですが……》

「どういうことなんだ、ケンイチ?」


 そう問われて、僕はようやく大尉にテレパシーのことを話す機会を得た。

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