第10話

 瓦礫が子供たちの頭上に降り注いでいる。もちろん僕の上からも。

 この教会に大勢の人間がいることを、ヴェルヒルブ側は知っていたのだ。


 だが、それが僕たちのような子供であることを彼らは知っていただろうか? もし知っていたとしたら、爆撃機のパイロットは一体どんな気持ちでこの殺戮を行っているのだろうか? 罪のない命を奪うことを、なんとも思っていないのだろうか?


 そんな考えに至ったのは一瞬のこと。あまりに衝撃的な光景に、僕は一瞬気絶しかけた。

 降ってきた瓦礫が、僕の前を走っていた少年を押し潰したのだ。

 そこには殺意はおろか、何の意図も感じられない。機械的に、物理的に、彼の肉体を損壊せしめたのだ。


 同じような状況は、あちこちで起こっていた。

 押し潰された子供たちは、一瞬で肉塊となった。真っ赤な鮮血と紫色の臓物、それに骨や筋組織が混ざり合って飛散する。原型など留めているはずもない。


「ひ、あ……」


 これらの阿鼻叫喚の光景に、僕は最早悲鳴も上げられなかった。ただただ、どちゃり、とか、ぐしゃり、という音と共に、地面に赤い染みができていく――それを見つめるだけだ。


「ぐうっ!」


 僕は呻き声を上げて、なんとか再び駆けだした。その直後、ぶわり、と背後で空気が熱を帯び、膨張して僕を突き飛ばした。

 今度は爆弾が直接地面に着弾したようだ。あちらこちらに散らばる、腕、足、どこのものとも分からない肉片。耳がキーン、と鳴って、まともに機能していない。


 辛うじて頭部を守った僕は、自分の状況など顧みることなく、鉄柵に向かって再び駆けだした。自分で言ったじゃないか。この先の森まで逃げ切ることができれば……!


 鉄柵自体が既に開いていたこと、爆風に巻き込まれなかったこと、そして何より、自分が五体満足であることは、まさに奇跡と言ってよかった。

 それでも一つ、どうしても気にかかることがある。

 カレンは無事だろうか?


 気にかかると言ってはみたものの、それを確かめる術はない。そもそもそんな冷静さは、今の僕にはない。

 走る。とにかく走る。


 凸凹になった地面に足を取られたり、血がべっとり付着した石畳の上ですっ転んだりした。それに粉塵で目が痒くてしょうがなかった。

 それでも僕は走り続けた。


 どのくらい走って来ただろうか、周囲は空き家だらけになっていた。他の子供たちの気配はない。というより、耳が一時的に麻痺しているので分からない。周囲を見渡す余裕もなかった。


 僕としては、それは自分が必死に生きようとしていることの証のように思えた。森の山道へはもうじき辿り着く。

 そうして生き残った子供たちの中からカレンを探そう。彼女だって生きているはずだ。


 そう思った、次の瞬間だった。ミシリ、と地面が歪んだ。そして、道路わきの鉄柱が一直線に倒れてきた。


「ッ!」


 軒並み倒れてくる鉄柱。これでは全速力で走っても、いずれ押し潰されてしまうだろう。

 恐らく僕は、声にならない音を喉から発していたと思う。これが断末魔というやつか。


 あまり幸せとは言えない人生だった。贅沢は言っていられないが。だが、それはエウロビギナもヴェルヒルブも、大人も子供も同じこと。皆が不幸だったんだ。そして僕はここで脱落する。それだけの話だ――。


 せめてもの悪あがきと思って、僕は前転。頭部を守るように両腕を載せる。

 その直後だった。


「がはっ!」


 僕の脇腹に鈍痛が走り、身体が道路の反対側へと吹っ飛ばされた。何が起こったのか。

 恐る恐る振り返ってみると、そこには誰あろうカレンがいた。っただし、鉄柱に胴体を下敷きにされた状態で。


「カレン!」


 僕は慌てて駆け寄ろうとしたが、カレンは顔を逸らしてこう言った。


(あたしのことはいいから、あなたは逃げて)


 それに対して、こちらも応じる。


(そんなこと、できるわけないだろう? 君を助けなきゃ、一緒に逃げなきゃ駄目なんだ!)

(え?)

(どうしたんだよ? とにかく僕は、一刻も早く君を助け出して……あれ?)


 ようやく僕も、違和感に気づいた。声を発することのできないカレンの言葉。それが、脳内に注ぎ込まれてくるような感覚を得たのだ。


(分かる……。分かるよ、カレン! 君の気持ちが!)

(あたしもケンイチの言葉が聞こえて……違う、頭の中で響いてるような……)

(とにかく頑張って! 僕がこの鉄柱を押し退けるから!)


 僕が鉄柱の下に手を差し入れると、しかしカレンはかぶりを振った。


(無茶よ! あなた一人で持ち上げられるはずがない!)

(カレン、僕は、君に……命を救われたんだ……! そんな君を、置いてはいけない……!)

(ケンイチ……)


 二回目。これで二回目だ。カレンに命を救われたのは。一回目はガキ大将からの食糧奪還、二回目は倒壊する鉄柱の回避。


(君を、守れなきゃ、何も……何も報われない!)


 だが、ようやく僕も気づき始めた。僕の独力でこの鉄柱をどかすのは無理だ。誰か大人を、それも十名近く呼んでこなければ。


(必ず戻る。カレン、お願いだから死なないで)

(勝手なこと言って……。分かってるわよ……)


 それから僕は、森の中に猛スピードで駆け込んだ。何故そうしたのかは分からない。だが、とにかく助けを乞うことのできる大人を探して、僕は必死だった。

 誰か。誰かいてくれ。そして力を貸してくれ。カレンは僕の、命の恩人なんだ。


 木々の根に躓き、葉で頬を切り、全身泥まみれになりながら、僕は森を駆け抜ける。

 まさに無我夢中だった。そんな状態で、この音が聞こえてきたのは僥倖だった。ずばり、高射砲の速射音だ。


 バタタタタタタタッ、という音が前方から響いてくる。四門、いや、五門はあるだろうか。発射に伴う閃光が木々の合間から見えた。

 誰かがいる。頼れる大人が、味方がいる。その実感が、速射音と共に僕の身体に熱を与えた。


(カレン……。絶対に助ける!)

「……ぁ」


 身体は動いたが、喉が完全に掠れていた。大声が出せない。

 それでも僕は、なんとか喚き立てようとした。どうにか、誰かに届いてくれ。口の利けないはずのカレンにだって、思いは伝わったんだ。きっと誰かに届くはず。


 そう思って大きく一歩を踏み出した、その直後。

 どん、と巨大な何かにぶつかって、僕は呆気なく弾き飛ばされた。


「……ッ!」


 声が上手く出せないなりに悲鳴を上げる。尻餅をつきながら顔を上げると、そこに立ちはだかっていたのは――。


 熊、だろうか。体高二メートルはありそうな、屈強な肉体を有する生き物。だが、それが人間であることにはすぐに気がついた。自動小銃を肩に掛け、拳銃をこちらに突きつけ、じっと観察の視線を寄越していたからだ。


「大尉! アラン大尉! どうかされましたか?」


 背後から聞こえてきた問いかけ。そちらには振り向かず、その人物は声を上げた。


「要救護者一名、子供だ。すぐに輸送トラックに救護機器を配置しろ。大丈夫か、少年?」

「ぅ……ぁ……」


 正直、最初はビビっていた。熊だと誤認した目の前の男性、アラン・マッケンジー大尉に。

 だが、僕をひょいと担ぎ上げ、高射砲の近くに展開されている幌付きトラックに運んでいく大尉に、僕は自然と恐怖心が氷解していくのを感じた。


 それは不思議な感覚だったが、察しがついたのだ。

 ああ、この人もまた、戦争で悲惨な体験をしたのだなと。


「あっ!」

「おおっと! どうした、少年?」


 安心感と共に声帯の機能が戻ってきた。


「助けてください!」

「大丈夫、君はもう安全――」

「違います! カレンを、カレン・アスミを助けてください!」

「何だって?」


 カレンの名前を聞いて、大尉は足を止めた。僕をそっと地面に下ろす。

 

「少年、彼女を知っているのか?」

「鉄柱が倒れてきて僕が潰されかけた時、僕を突き飛ばして……」

「カレンはまだ生きているんだな?」

「は、はい! 約束しました、必ず生き残るって!」


 その言葉に、大尉は目をぎらりと輝かせた。


「中尉! 至急救助隊を組織しろ! カレン・アスミを救出に向かう! この周辺にいるとは思っていたが、やはりな……」

「えっ?」

「いや、それはこっちの話だ。少年、案内を頼めるか?」

「はい! それと、僕はケンイチです。ケンイチ・スドウといいます!」

「ケンイチか。よろしく頼む」


 そう言って僕の頭に手を遣る大尉。泥まみれでも、その手が温かいものであることはすぐに感じ取れた。


「ケンイチ、怪我はないか?」

「はい!」


 すると大尉は僕の頭から手を離し、振り返った。


「中尉! 救助隊の編成は?」

「はッ、完了です!」

「よし。高射砲部隊は直ちに撤収。医療班はここで待機しろ」


 再び大尉は僕と目を合わせ、尋ねた。


「誘導係を頼めるな、ケンイチ?」


 僕は大きく頷いた。

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