第9話


         ※


 その翌日、まだ日が昇るか否かという薄暗い明かりの中、ばんっ、と勢いよく講堂の扉が開かれた。


「全員起きろ! そして講堂前に並べ!」


 一体何事かと目を擦っている子供たち。そんな彼らに、どやどやと乱入してきた大人たちは、蹴りを入れたり、殴りつけたりしながら無理やり意識を覚醒させた。勢いそのままに、放り投げるようにして子供たちを外へと追いやっていく。


 大人たちは厚手のコートを着ていたが、子供たちはボロ布を一、二枚羽織っているのが精々だ。自分たちばかりを優遇し、さらにそれを隠しもしない大人たちの態度に、僕は頭に血が上るのを感じた。

 まあ、そのお陰で目が覚めて、暴行を受けなかったのは幸いだったけれど。


「ほら! さっさと起きないか! 外に出たら整列しろ!」


 整列って、そんなもの習ってないぞ。

 しかし僕はそれを口には出さず、軽い駆け足で外に出て従順そうに振る舞ってみせた。


 そうだ。カレンは無事だろうか。駆けながら周囲を見回してみる。すると、心配無用と書いてあるかのようなカレンの後ろ姿が見えた。なんだ、僕より早く反応できたのか。


 ふと、僕の脳裏に邪な考えが浮かんだ。カレンに頼めば、ここの大人たちを一網打尽にできるのではあるまいか。


 だがすぐに、それは現実的ではないと思い直した。大人たちはホルスターを吊って、拳銃を所持している。子供たちのことをなんとも思っていない彼らのことだ、逆らったら見せしめにカレンはもちろん、余計に一人や二人、殺されるかもしれない。

 流石のカレンも、銃器を持った相手に逆らうほどの蛮勇を発揮することはないだろう。


 ところで、この集会は何のために行われるのだろうか。僕が頭を捻っていると、並べ並べと連呼しながら大人(僕がここに来て最初に出会った無精髭の男だ)が近づいてきた。これはマズい。

 こうなったら仕方がない。不器用ながらできつつあった列に、僕は自分の身体を滑り込ませた。皆痩せ細っていて、僅かな隙間にも入れたのが幸いした。


 それからしばし、子供たちは大人たちに小突き回され、なんとか数列に分かれて整列を完了した。

 そんな僕たちの前に現れたのは、杖を突き、頭頂部の禿げあがった眼鏡の老人だった。

 他の大人たちが引き下がる。すると老人は、その齢からは想像できない大声でこう言った。


「明日は我らがエウロビギナ共和国の建国記念日である! 士気高揚のため、貴様らには国歌を斉唱させる! いずれ軍属となった時、この旋律は貴様らを鼓舞し、必ずや我らが母国を勝利に導くであろう! さあ、歌え!」


 歌え? 国歌を? そりゃあ、歌詞もメロディーも知ってはいるが。いや、問題はそこじゃない。

 この老人、今何と言った? いずれ軍属となった時、だって? 僕たちは兵士にされるのか? 選択の余地もなく?


「おい!」

「がっ!」


 唐突に大人にぶん殴られ、僕はたたらを踏んだ。気がつけば、もう既に皆は歌い始めている。


「今は有事だぞ、ボサッとしている暇があったらさっさと歌わんか!」


 僕は殴られた左頬を擦りつつ、しかし大人からの追撃を防ぐためになんとか姿勢を立て直した。途中から皆の歌唱に混ざる。

 目と耳だけで周囲を窺うと、暴行を受けているのは僕だけではなかった。歌詞を間違えた者、音程を外した者、栄養失調で立っているのがやっとである者、そんな誰もが殴られていた。


 これが大人のやることか。こんな場所だと知ったうえで、両親は僕をここに預けた、否、捨てたのか。僕は兵隊になって、どことも知れぬ荒野や密林で撃たれて死ぬのか。


 急速に『死』という概念が僕の心を侵食し始めた。

 これまでの死は、テレビやラジオから聞こえてくる場所や数字といった『情報』に過ぎなかった。

 しかし今、死は単なる情報ではなく『実感』として迫りくるものだ。


 僕は恐怖のあまり、完全に頭が真っ白になって、自分が何を歌っているのか分からなくなった。だが、これ以上暴力を振るわれなかったのは奇跡かもしれない。


 などと考えながら、ふと空を見上げた。何故そうしたのかは分からない。単に直感的なものだったのかもしれない。いずれにせよ、『それ』が目に入ったのは間違いない。

 戦闘機、及び爆撃機の大群が、ちょうど真上を通過していくのが。


 僕は咄嗟に考えた。方位からして、戦闘機群は東へ向かっている。きっとエウロビギナに都市攻撃を実施するための領空侵犯事項だろう。

 皆も段々と、頭上での異常事態に気づき始めた。


 その場で僕は、おや? と首を傾げる。単に上空を通過するだけなら、敵機の編隊はとっくに通り過ぎているのではないか? こんな住む人のない旧市街地上空で何をやっている?


 その答えは、文字通り降り注いできた。爆弾だ。これは空襲なのだ。


「おい、空襲だ! 皆逃げろ! 空襲だぞ!」


 僕は咄嗟に叫んだが、皆が注意を向ける前に老人が一喝した。


「狼狽えるでない! 敵の方から来てくれたのだ! さあ、銃を取って戦え!」


 もう言葉も出なかった。こんな骨と皮だけでできているような僕たちに戦えと? 自動小銃はもちろん、拳銃だって握れるものか。そんな余力はとっくに失くしている。

 そもそも、飛行中の敵機を相手にどう立ち向かえというのか。


「おっ、おい!」


 僕はそばにいた無精髭の男に渾身のタックルを見舞った。一刻も早くここから逃げなければ。

 確かこの旧市街の周辺は森になっていたはず。そこに逃げ込むことができれば、生存率は格段に上がる。


 まさか子供から攻撃されるとは思っていなかったのだろう、大人たちの怒声が一瞬途切れた。その隙に叫ぶ。


「逃げろ! 逃げて生き残れ! 森に入るんだ!」


 身体のどこにこんな力が残っていたのか、僕は喚き、腕を振り回しながら、勢いよく駆け出した。それにつられて他の子供たちも動き出す。皆、なんとかついてこられるようだ。


 ふっと一息つこうとした、その時だった。

 ドッ、という鈍い音と共に、土埃が舞い上がった。空襲の第一波が、地面に着弾したのだ。

 僕は咄嗟に飛び退くようにして倒れ込み、胎児のように身体を丸める。


 音のした方を見遣る。どうやら最初の空爆は教会の西側に集中しているようだ。今すぐ頭上に爆弾が降ってくるわけではない。

 だが、子供たちに与えた衝撃は大きかった。僕だって子供だが、両親の下で身を守る訓練は受けている。

 だからこそ分かる。何の自衛策も知らずに、一方的で強大すぎる暴力に晒されては、とても落ち着いてはいられないだろうと。

 気づけば僕だって、両足がぶるぶる震えて仕方がなかった。


「皆、逃げるんだ! 鉄柵から出て真っ直ぐに走れ!」


 と、口では言うものの、先ほどまでの勢いは失われている。それに、爆発の轟音で僕の声は大方掻き消されてしまっている。一体どうしたらいいんだ?


 そう思った次の瞬間。

 空爆の合間を縫うようにして、銃声が皆の耳朶を打った。一度ばかりのみならず、二度も三度も。


 薬莢が頭上から降ってきて、僕は慌てて後ずさる。僕のそばに立っていたのは、拳銃を手にしたカレンだった。

 彼女の足元では、無精髭の男が倒れている。気を失っているようだ。カレンはこいつから拳銃を拝借したのだろう。


 空を見上げると、爆撃機が一機、悠々と教会の上空を旋回していた。空襲の第一波は終了したらしい。山間部から姿を見せた太陽が、その銀翼を厳めしく照らし出している。


 と、そこまで状況を鑑みたところで、僕は軽く足元を小突かれた。カレンがこちらを見下ろしながら、顎をしゃくっている。僕に立ち上がれと言いたいらしい。

 まだ足は震えっぱなしだったが、ええい、こうなったらやれることをやるしかない。


「皆、聞いてくれ! この教会は直に空爆される! 早く南側の森の中へ逃げるんだ! 死にたくなければついて来てくれ!」


 銃声に怯んでいた子供たちには、僕の言葉がきっと届いたはずだ。するとカレンは再び拳銃を掲げ、真上に向かって連射。そして弾切れが起きる頃には、子供たちの大半が鉄柵に殺到していた。


 せめて一人でも多くの子供たちが生き延びてくれれば。もちろん、僕もカレンも。

 そう思って駆け出した次の瞬間、先ほどとは比較にならない爆音が、僕たちの頭上から覆い被さってきた。


「うわあっ!」


 僕は再び背を丸め、防御姿勢を取る。すると、僅か数メートル後方で何かが倒壊する音がした。

 はっとして転がり、身を翻す。そして目を見開いた。教会の尖塔が、がらがらと崩れてゆくところだったのだ。


 僕は腕に力を込め、再び震えだした足を殴るようにしてなんとか立ち上がった。

 振り返って、鉄柵の方へと駆け出す。しかし、惨劇は僕の眼前で繰り広げられていた。

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