第4話


         ※


「はあ、はあ、はあ……」


 高鳴る鼓動を抑えきれぬまま、僕は階段を下りていた。ユウジを一度、地上一階に運び上げてから、地下一階に戻る途中のこと。

 腕は痺れ、肩は震え、呼吸は荒くなっている。ユウジ本人は……まあ、ダイニングのソファに寝かせてきたから大丈夫だろう。


 僕がわざわざ地下一階に戻る理由。それは、明日の予定についてアラン大尉と話し合うためだ。

 無線機の前に腰かけた僕は、一度大きく深呼吸をしてから暗号通信受信機に目を遣った。作動していない。どうやらこのまま、非暗号通信で話して構わないらしい。


 僕はマイクを引き寄せ、いつも通りにダイヤルを捻った。


「こちらエア・ストライクD-4、こちらエア・ストライクD-4、空軍付ゲリラ通信本部、応答願います」

《……らつうし……んぶ、こちら通信本部、通信を受諾しました。エア・ストライクD-4に、アラン・マッケンジー大尉をお繋ぎします》

「お願いします」


 しばしの沈黙と、ザザッ、という幾度かのノイズ。僕が耳を澄ましていると、ドスの利いた重低音がその鼓膜を打った。


《おう、ケンイチか》

「お久しぶりです、アラン・マッケンジー大尉」

《ああ、そうか。ケンイチ・スドウ曹長と呼ぶべきだったか》

「大丈夫ですよ、そんなことは気にしなくても」


 僕にとっては耳に馴染んだ声だ。しかし初めて大尉の声を聞いた人が会話をしろと言われたら、きっと竦み上がってしまうだろう。素手で大熊とじゃれ合うようなものだと思ってしまうに違いない。

 そんな気迫が、このアラン大尉という人には宿っている。僕のような後方支援要員には想像もつかないような地獄を、大尉は経験してきているはずなのだ。


 現在は地理的な知識と豊富な経験、それらを活かして空軍付ゲリラの部隊指揮を執っている。しかし、元は陸軍特殊部隊の敏腕隊員だったそうだ。

 その頃の話をしてくれないところから察するに、きっと僕たちは知るべきではないと配慮してくれているのだろう。


《で、どっちから話す?》

「じゃあ、僕から。カレンが敵のⅡ型戦闘機三機を撃墜、その隊長機からボックスを一つ回収しました」

《こちらの損害は?》

「零です」

《うむ、了解した。次はこちらからだな》


 無線機の向こう側で、大尉が一息つく。ゴウッ、と暴風に晒されるような気分だ。


《明日の俺の現着予定時刻は〇九〇〇、変更なし。輸送貨物の総量はざっと五百キロ。食料、水分、生活必需品を三人分だ。なんとか一ヶ月、それでもたせてくれ》

「分かりました」


 平然と答えつつ、僕は内心ぞっとしないものを感じていた。また腕が攣りそうになるな。


《ところでケンイチ》

「はい、何でしょう?」


 僕が語尾を上げて尋ねると、大尉は思いがけないことを言い出した。


《カレンとの関係はどうだ?》

「えっ?」

《おいおい、そんな情けない声を出さないでくれ。俺だって多少気にはなるさ。何も思うことがないなんて、寂しいことは言わないでくれよ》

「あ、ま、まあ……」


 そういえば、考えたことのない部類の話題だった。当然、訊いたことも訊かれたこともない。誰からも、誰に対してもだ。

 大尉が無線機の向こうで、にやりと口元が歪むのが見えるようだ。


 僕はこの手の話題が苦手なのだが――日頃の大尉の面倒見の良さに免じて正直に答えることにしよう。


「カレンとの関係と言えば、作戦時を除けば食器の片付けの時に手が触れるくらいでしょうか。今日は味気ないチューブ型の食事でしたけど」

《で、間接キスでもしたか?》

「ぶふっ!?」


 僕は盛大に吹き出した。


「そっ、そそそそんなわけないでしょう!? 無線切りますよ!」

《ああ、すまん。悪かったよ、俺の負けだ》

「負け?」

《そうだ》


 ふざけ半分の会話だったとはいえ、大尉の声には微かな弱音が滲んでいるような気がした。彼にしては珍しい。


《おい、ケンイチ? 聞こえているか?》

「すみません、ちょっと考え事を」

《ふむ、お前もか》

「お前も、ってことは、大尉も何か考えていらしたんですか?」

《ケンイチ、俺だって人間だぞ。脳みそまで筋肉でできてるわけじゃない》

「ですよね」


 再び鼓膜を震わせる、無線越しの溜息。だがそれは不快なものではなかった。恐らく大尉本人にとっても。


《妙なことを言うようだがな、ケンイチ。俺はお前に感謝してる。カレンとは無線では話せんし、ユウジはこんな話をするにはガキ過ぎる。お前くらいの若いのがいてくれて、助かってる》

「何ですか、こんな話っていうのは?」

《若いもんが元気に生きてるってことだよ。これが戦場でなけりゃ最高だったんだがな》

「何言ってるんですか、大尉。あなただって歴戦の猛者でしょう?」

《それでも老けたな、もうじき四十だよ。まったく、年は取りゃあいいってもんじゃないらしい。って、こんな話は流石のお前さんにも早すぎたか?》

「かもしれませんね」


 思わず僕は口元が緩んでしまった。雰囲気からするに、大尉もきっと同じだろう。


《それじゃ、明日そちらに向かう。中型トラック一両だ。荷物を搬入する時には、お前にも働いてもらうからな。腕立てでもして鍛えとけ、ケンイチ》

「分かりましたよ、大尉」

《では、通信を終了する》

「はッ」


 スピーカーがノイズを吐き出し始めたところで、僕は無線機を切った。

 腕立てか。今日はもう十分やった気がするのだが。


         ※


「……」


 結局のところ、僕はここにやって来ることになった。

 地下三階の訓練区画。五メートルの高さと十メートルの奥行きを描くように地面からくり抜かれた、無機質な空間。


 腕の痺れはだいぶ収まってきた。それに大尉にあんなことを言われては、自分も何かしなければならないという気にもなる。

 大尉には、僕に義務感の押し売りをするつもりはなかっただろう。だが、僕は気にかかった。そして再び囚われた。『カレンばかりに戦いを押しつけていいのか?』という疑念に。


 できることなら、僕だって戦いたい。いつまでもカレンだけに戦わせておくわけにはいかない。


 僕にできることと言ったら、精々銃撃だろう。手にしたのは二十二口径のオートマチック。小振りな拳銃だが、これでさえ僕は扱いに自信がない。


「そんなこと言ってる場合じゃないよな」


 僕は目の前のテーブルに拳銃を置き、両手で自分の頬を叩いた。それから耳栓代わりのヘッドセットとゴーグルを装着。再度拳銃を手に取り、弾倉を叩き込んで初弾を装填。セーフティを解除し、向かいの壁面に描かれた人型の的に狙いをつける。


「ふーーーーーーーっ……」


 響いた音は二種類で二回ずつ。パンパン、という発砲音と、チリンチリン、という薬莢の落下音。それだけ。

 的を掠りさえすれば、短いアラームが鳴るはずなのだが。弾丸は的を外れ、その背後の衝撃吸収壁に無音でめり込んだのだろう。

 僕は残りの十三発も発射したが、結局アラームは一度も鳴らなかった。


「やっぱり僕に戦闘任務は無理、か」


 いや、単発で駄目なら弾幕でも張ってやろうじゃないか。

 と、いうのはとんだ素人考えであり、愚策である。だが、僕は少しでも戦闘任務に備えていたかった。


 拳銃から空の弾倉を抜き、セーフティをかける。それを元の位置に戻してから手に取ったのは、これまた小振りの自動小銃だった。

 小振りといってもバレルは長いし、弾倉にはかなりの数の弾丸が込められている。両腕と右肩の三点で銃身を支えるのがやっとだ。

 

 僕は拳銃の時と同じ課程を経て、引き金に指をかけた。だが、発砲するには至らなかった。


「これで撃ったら肩外れちゃうよ……」


 全く以て情けない限りだが、僕は銃撃訓練を止めた。明日は働きづめになるのだろうから、今は体力の温存に努めるべきだ。


 先ほどまでの義務感が、僕の中でいかに柔なものだったのかが露見してしまう。

 だが、僕だって人間なのだから限界というものがある。

 適地適作。適材適所。僕は所詮、カレンの後方支援に過ぎないのだ。


 一つ解決策はあるが、それは明日『例のもの』を大尉が運んできてくれるまでは意味がない。

 待てよ。無線で大尉が弱気だったのは、その危険極まりないものを僕に与えることに抵抗があったからか? そこまでは流石に推測の域を出ない。


「僕だって戦おうとすれば――」


 そう言いかけて、僕は言葉を止めた。他力本願であること甚だしい。それに、額から流れ出る汗が鬱陶しい。

 腕で無理やり汗を拭い、自動小銃をこれまた拳銃の時と同様に安全に収納した。


「シャワー浴びよう」


 自分の無力さを思い知って、どっと疲労感に圧し掛かられる。そんなことを思い、前襟をぱたぱたと揺らしながら、僕は階段を地下一階まで上っていった。

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