第2話

 やがて僕の方からも、カレンの姿が見え始めた。

 最初に目に入ったのは、満月を背景にした黒点。それが段々と大きさを増し、ついには真っ黒な両翼を広げた人型を形作っていった。


 僕は緑色の誘導灯を両手に一本ずつ持ち、左右に大きく振ってみせる。それに応じて、カレンも徐々に速度を落としていく。

 やがて、カレンは装備していたアクランの出力を弱めていった。ボッ、ボッという音と共に、身体各所に装備したブースターの灯が消えていく。

 

 同時にばさりと両翼を羽ばたかせるカレン。綺麗に減速し、片足から地面に下り立つ。

 その姿は、見る人によっては天使の降臨にでも見えるのかもしれない。月光を背負った神々しい姿の天使――いや、黒いから堕天使か。


 しかし実際のところ、それは天使でも堕天使でもない。神の使いに喩えられるほどの可愛げは皆無。

 十六歳にして数十機の戦闘機とそのパイロットを斬り落としてきた少女に、そんな温かな感情を持てという方がどうかしている。


 だが、そんな僕の個人的見解から逸脱した人物が一人。たった今、僕のそばからカレンに向かって駆け出した。


「おかえりなさい、カレン!」

「おいユウジ! 今はまだエンジンの冷却が済んでない! 危ないぞ!」

「ちょこっと火傷するくらい平気だよ!」


 両足の裏を地面につき、カレンはゆっくりと片膝を立てるようにしてしゃがみ込む。その手には、把手のついた真っ黒い箱がある。

 それを見届けた直後、カレンの全身、主に背部から真っ白い蒸気が排出された。


「うわっ!」


 白煙に巻かれるユウジ。まったく、言わんこっちゃない。


「ユウジ、大丈夫か?」


 僕が声を上げると同時、白煙はあっさりと霧散した。そこにいたのは、立ち上がって翼を背部に格納するカレンと、大口径ライフルを手にしたユウジ。


「おっとっと……。カレンは凄いね、いっつもこんな重い武器で戦ってるんだから!」


 カレンの機嫌を取りたいのだろう、ユウジはそう言いながら危なっかしい足取りでエントランスに入っていった。


「お疲れ様、カレン」


 僕もカレンに労りの言葉をかける。もちろんそれで彼女の仏頂面が緩むはずもなく、僕に先ほどの黒い箱を押しつけてきた。こちらに一瞥もくれない。


 礼の一言くらい言ってくれればと思うのだが、それは無理な相談だ。


 カレンは、声を出すことができない。

 そのきっかけは僕のあずかり知らぬところだが、初めて会った時からずっとそうだ。何かトラウマになるような、強烈な体験をしてしまったのだろう。

 だが耳が聞こえないわけではない。よって僕は、作戦時以外は大抵口頭でカレンに話しかけることにしている。テレパシーばかり使っていると。どうにも肩が凝る。


「ああ、さっき放り投げたヒートブレード、ちゃんと回収してくれたんだね」

(三十八口径のオートマチック拳銃を二丁。次回作戦時から装備に追加)

「あ、うん」


 まあ、拳銃くらいお守り代わりにはだろうが。


「カレンもヒートブレードが高価な武器だって分かってるんじゃないか。わざわざ回収してくれて――いてっ!」


 足の甲に鈍痛が走る。カレンに思いっきり踏みにじられていた。


「ちょっ、何するんだよ?」

(あたしに文句言ってる暇があるなら、さっさとボックスの中身の解析を本部に依頼して頂戴)

「ああ、分かってるよ……」


 カレンの言う『ボックス』。それは、彼女がブレードと共に回収してきた例の黒い箱のことだ。そもそも、ブレードよりもボックスの方がよほど重要な拾得物なわけだけれど。


 そのボックスの正体は、敵軍の機密情報を記録したデータ保存機材だ。一片が三十センチほどの立方体で、艶のある黒色をしている。重さは約一・五キロといったところか。

 今回のカレンの作戦目的は、領空侵犯を犯した敵機の迎撃。それと、そいつらが運んでいたボックスの回収にあった。

 つまり、その両方を達成したという意味で、カレンは見事に任務を果たしたわけだ。


 ちなみに、ボックスは高度二〇〇〇メートルから落下したはずだが、傷一つついていない。僅かな凹みも見受けられない。まったく、頑丈なものである。


「ねえカレン、夕飯にしよう! ちょっと遅くなっちゃったけどさ! ほら、ケンイチのことなんて放っておいて」


 何を勝手なことを、ユウジのやつめ。


「お生憎様、カロリー摂取用の飲料ゼリーしか残ってないぞ」

「え? ええ⁉ せっかくカレンと一緒にご飯が食べられると思ったのに!」

「明日にはアラン大尉が来てくれる。食料と飲料水、諸々の機材の搬入ができるから、それまではゼリーで我慢しろよ」

「うう、ケンイチは薄情者だなあ……」


 いや、僕に言われても困るのだが。


(ケンイチ、地下二階の資材倉庫に来て。アクランの取り外し、あんたがいなきゃ始まらないでしょ)

「ああ、そうだね」

「ちょ、ちょっとちょっと! ああそうだねって、何を話してるのさ! 俺はテレパシーが使えないんだよ? 話の内容、教えてよ!」


 そう言って追いすがるユウジ。だが、そんなユウジをカレンは一瞬で宥めてしまった。軽く頭を撫でてやったのだ。


「あ、ありがと、カレン……」


 顔を真っ赤にして俯くユウジ。カレンとて分別のある人間だ。こうやって対処するのが一番手っ取り早いと思っただけだろう。


 ぼんやりしたままリビング兼ダイニングに歩いていくユウジの背中を見送り、僕はカレンに続いて地下への階段を下り始めた。


         ※


 僕たちがいるのは、いわゆるゲリラ基地だ。先ほどのカレンの戦闘空域とは異なり、鬱蒼とした森に包まれている。

 地上一階、地下三階の構造となっているが、地上部分は屋上に配されたレーダーサイトの調整に使う程度。管制室や各人の部屋、その他生活空間は地下一階にある。


 地下二階は、カレンの言う通り資材倉庫だ。と同時にメンテナンスの場所でもある。

 地下三階は広大な空間になっていて、カレンが自らの新装備やアクランの簡単な試験飛行ができる。といっても、精々高さ五メートルが限度だが。


 などと考えているうちに、僕はカレンに続くようにして地下二階の資材倉庫に辿り着いていた。


(早く外して。今日はシャワー浴びたらすぐに寝るから)

「はいはい」


 ぐいっと背中を向けてきたカレンに、僕は応じる。緊張感は皆無、というか弛緩してしまっている。

 いくら本人にとって余裕の戦闘だったとはいえ、カレンは命の遣り取りをしてきたのだ。彼女が無事だったというのに緊張感を保てというのは無理な相談だ。


 さて、初めに行うのは翼の脱着。

 比較的安全な地域では未だに学校がその機能を果たしており、そこに通学する子供たちは『ランドセル』なるものを背負って移動するという。どうやらそれの脱着と、カレンの翼の取り外しは似たようなものらしい。


 先ほどよりは随分と静かな勢いで、白煙が吐き出される。

 次は翼の間にある酸素供給ユニットだ。これは高高度での戦闘を想定し、カレンの呼吸を補佐するもの。本人はつけたがらないが、いざ息苦しいとなった場合には付属のマスクを装備し、人工呼吸器として活用する。


 残るはアクラン本体。背部、腰部、脚部に装備された計五つのエンジンを外すことになる。

 

(何を考えてるの、ケンイチ?)

「えっ?」


 カレンに指摘されるまで、僕は自分で自分が何を考えているのか見失っていた。

 なんとかして、人語に翻訳する。


「いや、あれだけ機関砲が飛び交ってるのに、よく無傷でいられるなと思って」

(……)


 シンクロしていたから分かることだが、あれほどの機関砲の前に身を晒しながら掠り傷一つ負わずに帰還したことは、まさに奇跡だ。一体どれほどの意志の力を以てすれば、こんなことが可能なのだろう。


 しかし、僕の沈黙をカレンはそうとは受け取らなかった。


(何? あたしをいやらしい目で見てるんじゃないでしょうね?)

(は、はあっ!)


 これには驚いた。僕とカレンは飽くまでも戦友だ。それ以上でもそれ以下でもない。そこに男女間の何某かの感情の入る余地はない。


 僕の好みはさて置くとしても、カレンは正直、美少女に分類してもいいと思う。

 切れ長の瞳は強い意志、不屈の精神を宿し、鼻筋もすっと通っている。口元は控えめだ。

 アクラン運用のために肩口で切り揃えられた髪は、活動的な印象を与える。

 スポーティともアグレッシブとも言える外見だ。


 性格的な面を含まれば、彼女の一番の特徴は『攻撃的である』ということになると思う。

 もちろんこれは、今のような戦時においては重要なことだ。見た目からして柔な人間が、これほどの戦果を挙げられるとは到底思えない。


 そんなことを考えつつも、彼女にとって穏やかな日々が訪れてほしいと願う自分がいることも、僕には自覚できるところだった。

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