月下の彼女の斬撃任務《オーヴァーキル》
岩井喬
第1話【第一章】
【第一章】
真夏の夜、まん丸に輝く月の下で、彼女は風を切って飛行していた。
(カレン、聞こえるかい? カレン?)
(……)
(カレン? どうしたんだ? 通じているのか?)
(ええ、そりゃあもうバッチリと)
(ならせめて返答を――)
(もう見えてる。敵機三。前方十一時方向。高度一五〇〇。機種はヴェルヒルブ帝国製Ⅱ型戦闘機。分かりきったことばっかり知らせないで。気が散る)
(ご、ごめん)
円状のレーダーサイトを前にして、僕は俯いた。彼女の邪魔をしてしまったか。
僕、ケンイチ・スドウは目を閉じ、組んだ手の上に顎を載せた。ゆっくりと深呼吸をして、作戦遂行中のカレン・アスミと意識を同調させる。
僕たちが行っているのは、ずばり戦争だ。カレンが敵機を落とす。あるいは逆に落とされる。だがカレンが落とされる事態が発生しないように、僕は地上の索敵・管制システムを使って彼女を援護する。
(なんだ、もうそこまで見えてたのか)
(あたしの視力、何だと思ってんの? 夜間だからって見くびらないで)
(……ごめん)
再度謝罪の弁を述べる。僕はカレンに謝ってばかりだ。だが彼女が矢面に立って、制空権を維持してくれているのだから、文句を言える筋合いじゃない。
この場合の制空権というのは、我らがエウロビギナ共和国の領空防衛の権利のこと。そのために、僕たちはそれぞれ自分にできることをやっている。
僕の任務はカレンの後方支援。そしてカレンの任務は敵機の撃墜。
しかし、ここで特殊な事情が三つある。
一つ目は、僕たちの通信手段だ。というか、そんなものはいらない。何故なら、俗にいう『テレパシー』というもので、僕とカレンは意思の疎通ができるからだ。
傍から見たら、僕たちは黙りこくっているように見えるだろう。
だが、そんな違和感を持たれるかどうかということは、正直どうでもいい。持てる能力は使えるだけ使う。それだけの話だ。思い出したくない過去のことまで想起してしまうけれど。
二つ目は、カレンの戦闘スタイル。彼女は戦闘機になど乗ってはいない。ただ、背面に装備したジェットエンジンと、真っ黒な翼で空を舞っている。要は、生身で飛んでいるのだ。これらの装備一式を、僕たちは『アクラン』と呼んでいる。
この事実は、これまた僕にとっては胸を抉られるような過去が絡んでいる。カレン本人は頓着しない様子で、日々戦闘をこなしているが。
そして最後の一つが『シンクロ』だ。
(これから落とす。ケンイチ、シンクロは済んだ?)
(大丈夫だよ)
自分の意識とカレンの意識とを重ね合わせ、より鋭敏な反射的行動を可能にする。テレパシーの応用とでも言えばいいだろうか。第六感を覚醒させるかのように、より精確で有利な軌道を取るのに必要な要素だ。
こうして、輪郭のはっきりした月を背景に、カレンは獲物へと食らいついた。
闇夜に潜んで一気に急降下。同時に背中に腕を回し、大口径ライフルを取り出す。自らの身長に近い長さがあり、重量もなかなかのものだが、カレンなら上手くやるだろう。
理由は単純。彼女の今までの戦績を鑑みれば明らかだ。どれほどの数の敵機を葬り去ってきたことか。
僕がカレンの後方に注意を向けている間に、カレンは発砲した。
ズドォン、という轟音が響き、敵機のコクピットに吸い込まれていく。一方カレンは二機目を狙うべく、ぐるり、と空中でバク転。発砲の反動を綺麗に受け流す。
背後から雲の中に入ると、空気中の水分が加熱された砲身に触れてジュッ、と音を立てた。背部のアクランを短く吹かし、雲の中から飛び出して第二射を試みる。
僕とカレンの読み通り、敵はY字型に展開し、次の銃撃を喰らうまいとする。
一方、初弾を受けた機体は、爆炎と共に空中分解していくところだった。
典型的なレシプロ機。その象徴たる前部のプロペラが外れ、翼はあらぬ方向に吹っ飛び、眼下の荒野へと落ちていく。
エウロビギナ共和国とヴェルヒルブ帝国、そのどちらにしても、ジェット戦闘機の開発には未だ成功していない。もっとも、それはカレンというイレギュラーを除けば、だが。
カレンは次弾を、まるでポップコーンを口に放り込むような調子で発砲した。再びバク転するが、同時に舌打ち。僕は座ったまま狼狽えた。
(は、外れた?)
(砲身が焼けて照準が狂ったみたい。ま、いいけど)
今の発砲で、敵機もこちらの位置を掴んだらしい。機首を上げ、機銃掃射を試みる。しかしその直前、カレンはちょうど一機と交差するように急降下。片方の敵機と接触したかと思われた瞬間、爆炎が広がった。
振り返ったカレンの右腕には、真っ赤な刀身を持つ剣が握られていた。
通称『ヒートブレード』。一瞬で超高温を帯び、接触した物体を融解・蒸発させることで斬り払うという代物だ。
(はい、お終い)
カレンはさも面倒くさそうにブレードを背後に放り投げた。振り返りもしない。
その先にいたのは、カレンの急上昇と急降下に対応できなかった三機目の敵機。今度はエンジンを直撃しなかったらしく、爆炎を上げることもなくゆるゆると落ちていった。
(お疲れ様、カレン。シンクロ、解除するよ)
今度はカレンの了解を取りつける間もなく、僕はカレンとの意識共有から自らを解放した。
「ふうーーー……」
長い溜息をつく。そう言えばここ数時間、喉を使っていなかったな。道理で渇くわけだ、ヒリヒリする。
「ユウジ……ユウジ、そっちはどう?」
「大丈夫、もう敵機はいないよ!」
掠れ声の僕と違い、元気いっぱいといった様子で顔を上げる少年が一人。
ユウジ・ミアン。僕やカレンの補佐役を務める、三人目の人員だ。
丸刈りにした頭に、まん丸で大きな瞳。背丈は僕やカレンより低いが、体格はがっちりしている。それでいて機械の扱いには随分慣れており、そういう意味では頼りになるやつだ。
問題があるとすれば、カレンに恋心を抱いていること。のみならず、それを大っぴらにするのに何の抵抗も覚えない。なんて強靭なメンタルの持ち主だろうか。
僕とカレンは同い年、つまり十六歳だ。それに比べてユウジは十三歳。お互い微妙なお年頃、ということなのだろう。
「はい、ケンイチ!」
「おっと」
ユウジが何かを差し出してきた。湯気の立つマグカップだ。中身はコーヒーだろう。
「サンキュ、ユウジ」
「ああ。俺は先にカレンを迎えに行ってるね!」
頷いてみせてから、僕はコーヒーを喉に流し込んだ。芳醇な豆の香りが口内に広がり、テレパシーを使いまくって疲弊した心身を癒して――。
「ぶふっ⁉」
「やーい、引っかかった!」
「ユウジ、こ、これって……」
「砂糖じゃなくて、塩を入れといたんだよ! お味はいかが?」
「お、おい待てよユウジ!」
通信室十畳ほどのコンクリート打ちっぱなしの空間。僕がユウジを追って出ようとすると、脳裏にテレパシーが入ってきた。
(ちょっと、あたしが帰還するまでが作戦でしょ? ふざけないでよ)
(あー……ご、ごめん)
まったく、今日だけで何回カレンに謝っているのやら。
※
地下一階の管制室から階段を上がると、すぐ目の前がエントランスになっている。といっても、そう豪勢なものではなく、やや狭く設計された防弾ガラス製の扉があるだけだ。
そのすぐそばには、対戦車ライフルやらグレネード・ランチャーやらといった物騒なものが並んでいる。
僕が目的のもの、すなわちペンライト状の誘導灯を手にしようとした時には、それは既にそこにはなかった。犯人は明らかだ。
「おい、ユウジ!」
「何だよケン、まだコーヒーのこと?」
「違う! 誘導灯だ! それは僕の役目だぞ」
「はあ?」
一体誰が決めたんだよ、と唇を尖らせるユウジ。だが、僕はすぐにその反論を封じることができた。
「だって、カレンを正確に誘導するにはテレパシーが使えた方がいいだろう?」
「うっ」
毎回言ってるじゃないか、と追撃する。
そう、僕とカレンは特別なのだ。望むと望まないとに関わらず、ではあるが、僕とカレンのテレパシーの間には、他者の介入を許さないしたたかさがある。
自分の死を覚悟し、それを乗り切った人間たちのうちで、ごくわずかな確率で発現する能力らしい。そのメカニズムは今もって全く解明されていないが。
それはいいとして、僕は誘導灯をユウジの手から強引に引き取り、エントランスドアから真夏の夜気へと身を晒した。
(カレン、君から見て十一時方向。誘導する)
(だから見えてるっての)
(……)
また『ごめん』という言葉を繰り返すのも癪なので、僕は心でも口頭でも沈黙を保った。
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