百々目鬼(ワタシ)
時間にすれば一瞬。言葉通りの瞬き一つ。目を閉じて開くまで。
その間に
ここにいるのは白石瞳だった人間のなれの果て。肉体は左腕を除けば白石瞳そのまま。左腕の瞳を閉じれば、白石瞳と同じ小娘にしか見えない。だけど本性は遠い先祖にスリをして妖怪になった女の先祖返り。百々目鬼と呼ばれる瞳の鬼。
「もういいのかい」
「ええ。ありがとう、って言ったほうがいいかしら?」
ワタシは目の前の妖怪――黒崎健介という人間の名前を持つ妖怪に向きなおる。
「礼には及ばない。こちらもこちらの事情があったに過ぎない。
むしろ危うい覚醒だった。こちらの判断ミスで危険な目に合わせて申し訳ない。下手をすれば人間の魂に削られて消えていたかもしれない」
それは事実だ。この妖怪がもっとうまくやれば、私は何事もなく目覚めることができた。白石瞳の魂がもう少し強ければ、百々目鬼という存在は目覚める前に消えていただろう。
「ふふ。そうね。今の私は万全とはいいがたいわ」
「まだ人間の魂が残っているみたいだが、いいのか?」
気怠さがうっとうしいぐらいに体にまとわりついてくる。この体では経験してないことだけど、深い飲酒をした目覚めのように重い何かがのしかかっている。何かをしようと思うたびに面倒くさいという気持ちが先立ってしまう。
不完全な覚醒。人間という余分な魂がある分、妖怪としてのワタシは不十分だ。でもそれを選んだのは、ワタシ。あえて人間の魂を残したのだ。
「ええ、いいわ。この方が面白いもの」
「面白い?」
「ええ。人間だった心をへし折って、無抵抗な魂を嬲るのは愉しい。肉の感触も、涙も、慟哭も、悲鳴も、叫び泣く姿も、嗚咽も、咽び泣く様も、何もかもが面白いわ。人間に執着してつまらなくくだらなく情けないさまは、とても面白いわ」
白石瞳は完全には取り込まなかった。消滅する寸前までじわじわといたぶったけど、最後の一欠けらは残してやった。人間としての反応が、とても面白かったから。
「今もほら、こうして苦しんでる。泣いてる。逃げることもできずに、ただ傷つき反応している。すこし人間の行動や心を見せるだけで、いやだいやだと反応している。消滅しそうで狂いそうなぐらいにボロボロだけど、まだ駄目。私が楽しむために生かしているの」
その魂を舌の上で味わうように、手のひらで弄ぶように、その細胞の一つ一つまで刻み、その反応を楽しみ、嗤い、肉体も精神も支配下に置いて。抵抗の術もなく気力もなく、人の醜さに恐れて怯えて泣き叫んで苦しむのはどんな美酒よりも愉悦に酔えた。
だから消滅させずに生かしている。ワタシが楽しむために。
「おかげで最高の目覚めよ。まだまだ遊ばせてもらうわ。世界から人間がいなくならない限り、この魂をイジメるネタはつきそうにないから」
「たしかに人間はたくさんいる。好きに遊べばいい。しかしそれだとキミは万全に妖怪の力を振るえないのだが」
わずかに残った人間の魂。それがあるためにワタシは妖怪と人間の境目を生きることになる。妖怪の力に目覚めながら、人間。人間の常識というつまらないこだわりを捨てられない、人でなし。
「だからこそ、得られる快楽もあるわ。それをこの子は教えてくれた」
「残念だ。新たな同胞が得られたと思ったのだが」
「目覚めさせてくれたお礼はするわ。貴方がどこのだれで、どういう理由でこんなことをしたのか――ああ、そういうことね」
ワタシは黒崎――という偽名を持つ妖怪の事を『見た』。それだけで彼の事情を知る。彼もそれを嫌悪することはない。同じ妖怪だから。私がそう言う妖怪だと知っているから。
「話が早くて助かる」
「ふふ、気が向いたら手助けぐらいはするわ。でもしばらくはこの世界を楽しませて頂戴。面白い事ばかりの世界を楽しまないなんて、もったいないもの」
「分かった。連絡は――不要か。いつでも見れるのだからな」
言って彼は軽く手を振る。保健室にかけられた彼の妖怪の力が霧散したのが見えた。先ほど言っていた『術』なのだろう。人を寄せ付けないようにする細かな因子が煙が晴れるように消え去った。
「黒崎先生、ありがとうございます。もう大丈夫ですので」
「そうか。今日は無理せず家に帰った方がいい。担任の先生に入っておくから』
「はい。よろしくお願いします」
申し合わせたように養護教諭と生徒の関係に戻るワタシ達。言葉によるやり取りなどいらない。そんな人間のような低度なやり取りなどいらない。ワタシ達は妖怪だ。正確に言えば、ワタシは妖怪と人間の混ざり者だが。
「さて、何で楽しみましょうかしら?」
瞳の妖怪であるワタシはいろいろなものが見える。
白石瞳が使っていた人の視界を盗むことなど初歩の初歩。そこを起点にその人間の心を読んだり、その人間が過去に見たものを遡って見ることもできる。過去の汚点を発掘して脅迫もできる。賭場で相手の手の内を見ることができれば必勝だ。
だが、白石瞳はワタシにはない発想を持っていた。正確に言えば、私の知らない価値観を教えてくれた。
個人情報。
今の時代において、それは生活に依存する情報だ。白石瞳が使ったようにスマホのパスワードを抜けば電子上でその人間になりきることもできる。白石瞳はやらなかったが、電子決済を利用すればその人物になり切って物だって買える。
相手に気づかれることなどない。何度パスワードを変えても同じことだ。何度だって見ることができる。ランダムパスワード設定などされればどうしようもないが、そうなれば別の人の個人情報をみればいい。人間の数は多いのだ。
差し当たっては青木のアカウントから金を使わせてもらおう。スマホのないあの男がそれに気づく由もない。働いていないからいつかは金が尽きるだろうけど、ワタシの体を楽しんだ代金と思えば悪くない買い物よ。
しばらくは白石瞳の人間の立場を利用しよう。学校は多くの人間があるまるから、多くの情報が手に入る。それをネタにして人間の魂を弄りまわしながら、面白そうな人間がいたらそこから搾取しよう。
秘密を握って楽しもう。それを暴露すると脅して楽しもう。謝って泣き叫んで、それでもその秘密に縋る様子を見て嗤おう。散々楽しんだ後、気が向いたらその秘密を暴露して破滅する様を見て酔おう。
ただ、ワタシに『見られた』だけ。たったそれだけの理由で人間は破滅する。ワタシを愉しませるための玩具になる。人の人生なんて愉悦という酒の為に食べられるツマミでしかないんだから。その涙は美味しい塩味。その悲鳴は心揺るがすBGM。その血は酒を彩る景観。
誰もワタシを止めることなんてできない。誰も私の目を塞ぐことなんてできない。気付かれないまま、破滅への道を進んでいることに気づかない。理由なんてない。意味なんてない。
あは。想像しただけで人間の魂が『やめて』って弱弱しく震えてる。自分がされたことを思い出して、その感覚に震えてる。だめよ、そんなことしたら。だってもっと愉しくなるんだから。
「あの……白石さん」
恐る恐るかけられてくる男の声。誰だろう? 『見て』みるとクラスメイトの一人だ。ああ、この視線。ワタシの顔と胸に注がれる視線。そして心拍数の高さと緊張した筋肉。この体に欲情しているオスだ。
「イジメられてたって気づかなくて……その、大変だったね」
嘘だ。こいつは気づいていた。気付いて赤石が怖くて何もしなかった。だけど赤石達がああなって、怖い奴がいなくなって声をかけてきたんだ。軽く心を読んでみると、
『イジメられて弱ってるところに声をかけて、優しくすれば仲良くなれるかな』
『あわよくば、男女の関係にまで……』
露骨な下心。弱っている相手を保護すれば惚れる? あわよくば抱ける? 善人ぶってるけど、オスの思考で動いてるケモノ同然。
ああ、でも面白そうだ。この善人めいた優しいふりをする顔をぐちゃぐちゃに崩してやろう。貢ぐだけ貢がせて、何もかもを奪って、その後で生きてることが恥ずかしいと思うぐらいに自分の心を赤裸々に見せて、自己崩壊させてやろう。
「う、うう……そ、そうなんです……私、辛かったんです……」
ワタシは優しさにほだされたふりをして顔にある瞳に涙を浮かべる。
男は心配しておろおろしながら、でもスケベ心のままに私に手を伸ばした。優しさ4割。スケベ心3割。この子チョロくないという心が3割と言ったところか。
ここで体を預ければ、一気にスケベ心の割合が増えるだろう。本能のままに暴走して、そのまま肉欲に溺れさせることもできるだろう。それもいいけど、善人の心ままいたぶるのも面白い。
「ああ、その、よかったら話を聞くよ。キミの傷が癒えるまで、傍にいるから。とりあえず誰もいない場所に行こう。あまり人に聞かれたくないこともあるだろうし」
赤石に怯えて助けてくれなかったのに何様だよ。そしてさりげなく二人きりになる場所に誘導するとか。調子に乗ってきたな、こいつ。この様子を突きつけられて、どんな顔して泣くのかしら。でも、そんなことを顔には出さない。悲しい表情のまま、相手を見上げて口を開く。
「はい。……あの、実は――」
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