開かない左目

禍々しい炎に包まれる、伊賀の屋敷。

無数の悪霊の影が駆ける。


岩:アトザ!

アトザ:くっ……


アトザの半身が大きな影に覆い尽くされ、一瞬で灰となる。


赤子を背負った女が、短刀を自らの喉元に突きつける。


岩:桜!

桜:すべてを、元に戻して。


女は躊躇することなく、真っ白な首に、短刀を突き刺した。

途端、すべては真っ白な光に包まれる。

失われたアトザの半身にとどまらず、「すべては元通りに」なった。


アトザ:……これは……?

岩:桜!


女は、赤子を背負ったまま横たわっている。

ざっぱりと口を開いた喉元の傷と、無残な血溜まりは、すっかりなくなっている。


桜:……もとは、あなたに救われた命……。気に病まないで。令のことは、お願い、ね……。


女は、やわらかな表情で事切れた。

伊賀の屋敷に、赤子の声が響きわたる。


令:おぎゃ、おぎゃー、おぎゃー!


====


甲賀の里、春。

大木の桜の下で、くのいちたちが修行をしている。

日はとうに暮れている。


岩爺:よし!今日はここまでじゃ。

餡音:終わった!? ……いや、もう無理だから!なんなのこの修業!

於兎:……いつも……このくらい……だよっ…………★

餡音:いや、★がギリギリだけど!?

ネム:ほんまに……きっついわ……。

宇迦:……もう、ここで眠りたい……。於兎、でかいウサギ出してよ……。

於兎:え、絶対!やだ!狐くっさいキツネ娘に、わたしのウサちゃんは貸さないわよ!!!

宇迦:はぁ!? 誰がくっさい狐だって!?

ネム:いや、お前らよくケンカする元気が……無理……。

咲耶:(……え、私けっこう平気なんだけど……)

ネム:咲耶……お前は元気そうやな……。

咲耶:えぇ!? そんなことない!! すっごく疲れてるよ!? もう体が鉛のようだわ!!

ネム:(化け物め……)


====


翌朝。食堂に集まる餡音たち。


餡音:痛い!

宇迦:筋肉が……。

ネム:朝ごはんを食べるのがこんなに辛いとか……おかしいやろ。

餡音:伊賀の修行はもっと楽ちんなのに〜!帰る!

咲耶:(うん、早く帰ってほしい……)

餡音:……咲耶ちゃん?今ちょっと「餡音がいると食費が掛かりすぎるから、さっさと伊賀に帰ってほしい!」とか思ったでしょ!?

咲耶:え!?

餡音:ざ〜んね〜ん!あと3日いるからね!!

咲耶:……令様に、あなたの食費を請求するから。

餡音:えぇ!? それはちょっとヤバいからほんとうにやめてくださいすみませんでした(もぐもぐ)

ネム:おかわりしながら言うなや……。


====


引き続き、甲賀の食堂。


餡音:おなか、いっぱ〜い!

於兎:ウソみたいに食べるね、餡音ちゃん。

餡音:え?かなりセーブしてるよ!?

咲耶:(……令様にやっぱり相談しよう)

餡音:ところでさぁ!

宇迦:ん?

餡音:岩爺って、なんで左目ずっと閉じてるの?

ネム:……そう言われてみると?

咲耶:開いているところは、見たことはないわね。

宇迦:私も見たことはないけど……。

餡音:ちょっと聞いてくる!

咲耶:え!?

餡音:気になるでしょ?私は伊賀ものだし、岩爺に嫌われても別にいいし!

ネム:……まぁ、気になるっちゃ気になるけど……。

餡音:岩爺が嫌がる質問をして、出入り禁止になれたら、もう甲賀に修行しに来なくてもいいからね!

咲耶:(それが本音よね……)


====


散歩をする岩爺、近づく餡音。


餡音:ねぇ、岩爺!

岩爺:なんじゃ?

餡音:聞きたいんだけどさ、その左目って開かないの?なんで?

岩爺:……なんじゃ、やぶからぼうに。人の身体的特徴について、不躾に聞くもんじゃないぞ。

餡音:だって甲賀の修行がきついんだもん!

岩爺:……わしの嫌がることをして、出入り禁止になろうと思ってるんじゃな?

餡音:サクッとバレた!

岩爺:……よし、咲耶たちを集めてくれ。ちょっと、昔話をしよう。

餡音:作戦失敗!にんにん!どろん!

宇迦:(遠くで見ていた)すげぇ、アホの子か……。


====


甲賀の屋敷。岩爺の話を聞く、5人娘。


岩爺:よく集まってくれた。

餡音:ぐぅ

岩爺:……令に伝えるぞ。

餡音:はいっ⁉︎ にゃんでしょうか、令様⁉︎ はれ⁉︎ 岩爺⁉︎

ネム:(ツッコんだら負けや……)

岩爺:「百鬼夜行」については、知っているか?

咲耶:はい。60年前、「根の国」の悪霊がもたらした災害……ですよね?

岩爺:うむ。……あの頃を知るものは、もうそれほどは多くないな。

ネム:わたしらは教科書でしか知らないけど、実際、どうだったんや?

岩爺:話すと長くはなるが……。

餡音:聞きたい!一日中だって聞く!

岩爺:訓練をサボって、話を聞きたいということじゃな?

餡音:ドッキーン!

咲耶:私は聞きたいわ。

岩爺:うむ……昔話を始めるとしよう。


====


伊賀の里、山深い沢。

明るい光が、水面をてらてらと反射している。

若い女が、狩った雄鹿の血を抜いている。

どこからともなく現れた悪霊が、背後から女を襲おうとする。


岩:……漆黒。


両目を見開き、男がポツリと唱えると、空間から音と光が失われた。


女:⁉︎


悪霊は闇の中に飲まれ、気配を失う。

直後、清流は眩しさを取り戻した。


岩:……驚かせてすまない。

女:悪霊が……私の背後にいたのね。

岩:!……話が早いな。

女:桜。

岩:え?

桜:私の名前は、桜。あなたは?

岩:あ、あぁ……岩(がん)だ。

桜:ありがとう。

岩:お、おう。

桜:この鹿、大きすぎて。

岩:手伝うか?

桜:お礼に、伊賀の里にあげるわ。

岩:……なぜ俺が伊賀ものだと?

桜:やだ、顔に書いてあるわよ?


岩は、驚いた顔で顔を撫で回す。


桜:あはは!うそよ。有名人じゃない。伊賀忍者の次期頭領と名高い、岩様でしょう?

岩:……次期うんぬんはわからんが、そうだ、伊賀ものだ。知っていたのか。

桜:あっはは!おかしい。あなたを知らない人はいないわよ。

岩:そうなのか。

桜:そうよ。ひとまず、私とこの獲物を、伊賀に連れてってくれる?

岩:あ、あぁ……。

桜:(……ようやく、会えたわ……)


====


現代、甲賀の里。


ネム:桜……?

岩爺:わしの…妻だった女じゃ。

宇迦:え⁉︎……岩爺、結婚してたの⁉︎

岩爺:なんじゃ、悪いか。

咲耶:私の祖母にあたる方……よね。聞いたことがあるわ。

岩爺:……わしから桜の話を、したことはなかったな。

咲耶:えぇ。


====


甲賀と伊賀の国境の境には、火山がある。

火口からは、暗緑色の悪霊の瘴気が湧き出ている。

それを見下ろす、2人の男女。


桜:岩。

岩:ああ。


岩は目を見開き、目前に数珠を掲げる。


岩:……漆黒。


一面、音と光が奪われる。

悪霊の気配は、闇に飲み込まれた。


桜:……元に、戻して。


桜の喉元を、短刀が貫く。

直後、吹き出ていた瘴気は消え失せ、静かな景色が広がる。


岩:……おぬしの術は、心臓に悪い。

桜:あら?心配?

岩:そういうことでは……いや……そうだ。心配なんだ。

桜:大丈夫。命との等価交換、なの。

岩:今回は……誰も死んでないから問題ないのか?

桜:狭い範囲の時間だけが、少しだけ巻き戻るだけ。

岩:……なんにせよ……心臓には悪いな。


====


ネム:時間術⁉︎

岩爺:桜は、時間術が使える、唯一の忍びじゃった。

餡音:ぐぅ

咲耶:(寝てる……)

岩爺:……桜とわしは、相性がよかった。

宇迦:え、ら、らぶ的に⁉︎

岩爺:違う!

咲耶:岩爺が桜さんを守りながら、敵を無効化して、その間に、桜さんが時間を巻き戻す?

岩爺:そうじゃ。

於兎:でも、らぶ的なのもあるでしょ⁉︎

岩爺:お、お主らにはまだ早いぞ!

咲耶:で……「百鬼夜行」の話は?

岩爺:うむ。さすがじゃ、咲耶。

餡音:ぐぅぐぅ


====


60年前の夏、早朝。

伊賀、甲賀の里が、かつてない規模で、悪鬼、悪霊に襲われた。

風魔の里から、アトザが駆けつける。


アトザ:なんだこれは!

桜:……火山に、根の国とつながる大きな通路ができてしまったみたいなの。

アトザ:塞ぐことはできるのか?

岩:すでに、それどころじゃないんだ。

桜:里のニンジャたちも、多くは無力化してしまったわ……。

岩:刃が残した、火遁の巻物も悪鬼に奪われた。

アトザ:……例の秘伝か。まずいな。

桜:このままでは、里が燃え尽きてしまうわ!

アトザ:わかった!……いま、風魔からも応援を呼んだ。私もここで食い止めよう!


====


於兎:……え、てか、アトザさん……長生き⁉︎★

ネム:見た目イケメンなんやけどね……。

岩:あやつらは、鬼じゃからな。正確な年齢はわしも知らんし、本人も知らんじゃろ。

餡音:ぐぅぐぅ

咲耶:いや、里の危機は……どうなったの⁉︎

ネム:あ、イケメンに気を取られてたわ……。

岩爺:続きを話そう。


====


悪霊と戦う、里のニンジャたち。

多くのニンジャはすでに悪霊に襲われ、力尽きている。


岩:だめだ!数が多すぎる!

桜:……ひとまず撤退しましょう。令を守らないと。

アトザ:くっ……。

岩:アトザ、おぬしは……付き合わなくてもいいんだぞ。

アトザ:諦めるな!まだ戦える!

桜:アトザ……。


====


燃え盛る屋敷。

令を背負って走る、桜。

桜を守りながら撤退する、岩とアトザ。


アトザの半身に、悪霊が飛びかかる。


岩:アトザ!

アトザ:くっ……


半身を奪われたアトザは、床に突っ伏す。

覚悟を決めたように、桜は懐中から、すっと短刀を取り出した。


====


……現代。伊賀の屋敷の広間。


ネム:……岩爺?

岩爺:……あぁ、すまない。

宇迦:ね、岩爺、無理、しないでいいよ。

岩爺:うむ……。

咲耶:桜様が、命を掛けた時間術ですべてを巻き戻してくれた……のよね?

岩爺:そうじゃ。

於兎:……うぇーーーん!桜様〜!

岩爺:桜がいなければ、この里は消えていたはずじゃ。

ネム:そうかぁ、知らんかったわ……。

餡音:ぐぅうぅ……

ネム:(突っ込んだら負け……)


====


同じく広間にて。


咲耶:岩爺、「百鬼夜行」の原因はわかっているの?

岩爺:いや。原因らしい原因はわかってないんじゃ。が、根の国とつながる穴は、すでに封印術で厳重に塞いでいる。

ネム:でも、悪霊、たまに出てくるよね。

岩爺:あれは、今を生きる人々の恨み、憎しみが、転じたものじゃな。

餡音:みんな、美味しいものでも食べて、ニコニコしてればいいのにねぇ。

宇迦:ぎゃ!なによ、いきなり起きて喋らないでよびっくりした……。

餡音:え?最初から寝てないよ?

咲耶:(突っ込んだら負け……)

餡音:で、岩爺!

岩爺:なんじゃ?

餡音:左目の話をしてないよ!

岩爺:そうじゃったな。わしの左目はな……。


後ろを向く岩爺。

目の奥から、何かを取り出しているようだ。


岩爺:ほれ、団子じゃ。

ネム:えぇ!?

宇迦:て、手品!?

餡音:おいしい〜!

咲耶:もう食べてる……。


ふたたび、後ろを向く岩爺。


ネム:まだ出るの!?

岩爺:ほれ、於兎。ウサちゃんのぬいぐるみじゃ。風魔温泉バージョン。

於兎:えぇぇぇ!? それめっちゃ限定品なんだけど!! くれるの!?★

岩爺:これはやらん。わしのじゃ。

於兎:見せるだけか〜!!★

ネム:なんだこの流れ……。

岩爺:わはは。楽しいじゃろ!


(春。明るい日差しのなかで、桜が舞う)


【終】

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