第12話 可愛いがゲシュタルト崩壊

 --私は可愛い。


 ずっとずっと可愛い。16年間言われ続けてきた。

 お父さんもお母さんもお姉ちゃんも近所の人も保育園の先生も学校の同級生も……

 みんな私を褒めてきた。


 産まれた時から類稀な美貌を持っていると可愛いということが特別であると自覚する。


 可愛い人は羨望の眼差しで見られ、可愛いというだけで許される。

 可愛い人はただ笑うだけで誰かを笑顔にできる。可愛い人はそこに居るだけで誰かを満たすことができる。


 可愛い人は特別な人……

 アイドルも女優も芸者さんも受付嬢もスチュワーデスもクラスのマドンナも……


 特別な人には特権があって、特別だからこそ特別な役割があるんだ。それをこなせることを誇りに思うべきなんだ。

 だから他の人はその役割を邪魔しちゃいけないんだ……

 可愛いだけで多少のことは許される。それってつまりそういう意味なんだ。


 だけど……


 世の中そんなに甘くない……

 なぜなら、その特別の枠組みがどんどん広がってるから…

 私ほどではないにしろ、道を歩けば美女とすれ違う。素の顔がどうであれその時目に映る美女の美貌は本物なんだ。


 今は誰だって可愛くなれるんだ。私ほどじゃないけど……


 まぁそんなことは置いといて…

 そんな、“ちょっと”特別な人は時々勘違いをするもので……

 この究極の美の生命体にこうして喧嘩を売ってくる。


 世の中はそんなに甘くない。


「日比谷さん……」


 放課後、近年稀に見る大ピンチを無事に切り抜けた私は廊下の隅で凪と対峙する。

 誰もがたじろぐ美貌と可憐さを前に気後れせずに話しかけこんな人目のないところに呼びつけるとは……


 もしかしてだけど、一緒に映画借りたくらいで友達になったと勘違いしましたか?


「…なに?私忙しいんだけど?」


 美しいものは全てを見下せる。それが作法。私は偉そうに上から凪を睨めつけて威圧する。

 要件は分かってるから……早く終わらせて帰りたい。バニラシェイクは奢るから。


 私の鋭い眼光にも気後れせず凪は私をじっと見据えてる。はわわ…怖い怖い。怒ってる。


 喧嘩になったらどうしよう……顔殴られたらどうしよう……


「…さっきの持ち物検査のことなんだけど……どうしてあんな嘘を?」

「………………」

「私、居残りで指導食らっちゃったよ……」

「……………………」


 負けるな私。私は強い!私は特別。そうでしょ?お母さん!!


「……聞いてる?」


 はわわわわわっ、怖い怖い怖い怖い怖い。


「どうして?私、日比谷さんになんか悪いことしたのかな?ねぇ……」


 こいつ普段地味なくせに結構グイグイ来る…怖。やっぱりこういうタイプほど何考えてるか分かんないしキレたら怖い。


 ここは素直に謝ろう……悪いことをしたのは事実。

 私には私のイメージを守る義務があったとはいえ…うん。そうだ。仕方ないこととはいえ、いかに私といえど何をしても許される訳ではない。


「……ごめん」


 謝れたっ!人に頭を下げるなんていつぶり!?私に頭を下げさせるなんて、あんた誇っていいわよ!!


「……」

「……」


 あれ?「いいよ」は?

 見下ろす視線の先で凪はなんとも言えない顔をして固まったまま。

 んん?最高峰の美の結晶が頭を下げたのに、何故?


「……なんか偉そう。ずっと上から目線だし……」

「……」


 偉そう!?

 え……だって偉いもん……特別なんだもん……


「まぁいいや…それで、どうして私のせいにしたの?他に適当な人が居なかったから?」

「……」

「……私、日比谷さんと少し仲良くなれたかなって思ってたんだけど…今日はちょっと悲しかったな」


 くっ……可愛いこと言うな。

 いや呑まれるな。可愛いのは私。私とお友達なんておこがましい。神の化身とそんな簡単にお近づきになれてたまるか。


「……だって」

「ん?」


 このまま黙ってたら舐められる。

 勇気を出して言うべきことをちゃんと言おう。美しく可憐な人は自信に満ち満ちてなきゃいけないの。

 だから!!


「………………私の方が可愛いから……私の為に泥を被るのは当然でしょ?」

「………………」


 だって私の方がみんなを満たしてあげられるもん!!


 堂々と言い放つ私に凪はポカンと口を開けて私を見上げてる。何をそんなに驚いてるのか……


「……ふぅん。そっか……」


 そうだよ?納得してくれた?


「まあ今日は悪かったよ。ごめん。アレだ。バニラシェイク奢ってあげる。ね?それでいいで--」


 --バチンッ!!


 *******************


 この学校に養護教諭として赴任してきて2年経つ。

 この学校にはなんだか変な生徒が多い気がする。どこか頭のネジの抜けたあんぽんたんばっかり……


 養護教諭って要は保健室の先生で、普段は保健室に篭ってるのが仕事なんだけど、この学校に赴任してからそんな仕事も退屈知らず。

 毎日のように面白い生徒が転がりん込んでくるからだ。


 さて、今日もまた誰かが保健室の扉を--


「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!鼻血がっ!!鼻血がぁぁぁぁぁぁっ!!私の鼻っ!!鼻がぁぁぁぁぁぁっ!!?」

「あわわわわ…保健室着いたから……落ち着いて……莉子りこ先生!すみません鼻血が出て……」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!私の顔がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 ………………

 ほらね?



「……せ、せせせせせせせ先生…わ、わわわわわわわ私の鼻は……鼻は無事なんでしょうか……」


 テッシュで鼻の周りの血を拭ってあげて上を向かせ鼻の具合を一応診る。

 軟骨は無事……ただ血管が切れただけ……


 保健室にやって来る生徒なんて大した怪我じゃないんけれど、鼻血ひとつでここまで狼狽える生徒は初めてだな。


「……心配ないよ。ほら、ティッシュ詰めとき」

「ほほほほほほほほほんとに大丈夫ですか!?曲がってませんか!?低くなってませんか!?私の黄金律、狂ってませんか!?」

「……ああ、大丈夫だとも。何も心配ない」


 ……おっもしろい子だな。


「そんなに心配なら鏡で見てみるといい…ほら」


 私が差し出す手鏡を食い気味に奪い取る女子生徒は穴が空くほど自分の顔をチェックしてる。


「……嗚呼、良かった……今日も可憐だ……美しい……」


 …………うわぁ凄い面白い子だなぁ。


「鼻血の原因は何かな?」

「っ!……あの……私が叩いちゃって……」


 付き添いで来た女子生徒が俯きながら正直に告白した。殴られた当事者はそれどころじゃないみたいでずっと自分の顔を眺めてる。


「喧嘩?」

「……はい。まぁ……」

「まぁ大した怪我じゃないから…安心しなさい」

「はい……ありがとうございます」

「君、鼻血が止まるまで少し休んでいきなさい」

「はぁい……」


 だめだ。自分の顔に酔いしれてる……


 私は2人の女子生徒を部屋に残したまま仕事に戻るフリをして事務机に向かう。


 保健室に入り浸られるなんて養護教諭からしたら迷惑この上ないんだけど、私はこういう時なるべく休ませるようにしてる。

 何故かって?絶対面白いから……


 私は事務仕事をするフリをしながらしっかり2人の方に聞き耳を立てていた。


「……あの、ごめんね。いきなり叩いて……」


 ほら始まった。


「………………私の顔をぶつなんて万死に値するけど……まぁ、いいよ。今回は私も悪かった」


 ……この茶髪の子、どうやら自分の容姿に相当なプライドがあるらしい。

 一体喧嘩の原因はなんだろう……


「……あの、さっきの話なんだけど……私の方が可愛いから泥を被るのは当然的な……」

「うん」


 ?状況から察するに茶髪の子がそれを言ってショートの子がキレたのか?

 私の方が可愛いから泥を被るのは当然……なんだ恋愛のもつれか?

 いずれにしてもそんな台詞が出てくるとはすごいな。2人は恋敵と見たが……


「日比谷さんの方が私より可愛いからエロ本持ってたの私のせいにしてもいいよねって……ことだよね?どういう意味?」

「……言葉のまんま」


 エロ本?なんだどういうことだ?


「可愛いは正義」

「……」

「可愛いから許される」

「……」

「でも今回は流石に悪かったと思ってるから、謝った。ごめん」


 こいつはとんでもない女だ。


「……日比谷さんが可愛いのは認めるんだけど……ちょっと……違うと思うよ?」

「……」

「……可愛くても、悪いことは悪いと思う……」


 ポカンとする茶髪の少女、日比谷。ド正論を真正面から叩きつけられて心底驚いてる様子だ。

 こいつどんな教育受けて育ったんだ?


「……今まではそうだった。世界の真理」

「……」


 ダメだこいつ。やばい。


「……どうして、そう思うの?」

「……今までずっとそうだったから」


 こいつ殴っていい?もっかい鼻血吹き出させていい?


 呆れ顔でポカンとするショートの少女。そんな彼女を見つめながら日比谷は天井を仰ぎ目を細めた。


「……本当は分かってる。世の中そんなに甘くない。でも……そう思わないと……私には他に何も無いから……」


 なんだ?ここまでほざいて今更シリアスには持っていけないよ?


「……日比谷さん?」

「可愛い人には役割がある……私は誰よりも可愛いから……誰よりもみんなを笑顔にしてあげなきゃいけないの」


 何を思い上がってるんだ?


 本人は至極真面目な顔で上を仰ぎ、真剣な声音で言葉を紡ぐ。上をずっと見てるのはきっと鼻血が垂れてこないようにだ。


「私がそれを投げ捨てたら……私を認めてくれた人達を裏切ることになるの……もうこれ以上、裏切りたくないんだ……」


 *******************


 --私は可愛い。

 それは産まれた時から定められてた事……


 容姿端麗な父親、大学のミスコンで優勝、モデルもやっていたという母親。

 そんな優秀な遺伝子から作られた私の容姿は保証されてた。姉さんがそうであったように、なるべくして私は美の化身として産まれた。


 姉さんより愛想もよく、世渡り上手だった私……私はこの幼少期の時点で可憐さとは外見だけのものでは無いと理解した。


 可愛い可愛いと言われ撫で続けられ育ったんだ。当然私は磨かれていく。可愛がられた分愛想良く素直ないい子に……

 内面が磨かれていけば必然外見もついてくる。


「--可愛い子はね、ただそこに居て笑うだけでみんな幸せな気持ちになるんだよ」

「愛梨も真紀奈も、そうだろう?みんながお前たちのお陰で笑顔になってるんだぞ」


 母さんと父さんから言われ続けてた。


 そんな日々の中で私はアイドルに憧れた。必然だった。誰よりも可愛い私には、より多くの人達を笑顔にする責務がある。

 アイドルはまさに天職……


 そのはずだったんだ。


 10歳の頃にオーディションを受けた。

 母さんも応援してくれた。

 だって私は誰よりも可愛い。


 --でもね。世の中そんなに甘くないんだよ。

 可愛いだけじゃダメなんだよ。


 私はいくつかのオーディションを受けたけどかすりもしなかった。

 受かっていくのは私より全然可愛くない子達。

 でも関係ないんだ。私より可愛くなくてもメイクをすればいくらでも可愛くなれる。


 私の全てを否定された気分だったんだ。


 可愛いねとしか言われてこなかった。

 他のことで褒められたことなんてなかった。私にはこれしか誇れることがなかった。


 だから私は誰よりも可愛いくないとダメなの。それしかないから。


 私の夢は可愛くないから破れたんじゃない。それを証明するために私は可愛いくないといけない。

 私は可愛いから自分の役目を果たさないといけない。


 可愛いは正義--そうだ。私が可愛いだけで何人の人が笑顔になるの?

 私を好きなだけ見ればいい。好きなだけ妄想したらいい。いくらでも笑いかけてあげる。いくらでも可愛いを振りまいてあげる。


 だってそれが可愛い私の役目なんだから。私は可愛いはずなんだから--


 *******************


 ……何言ってんだこの子は?


 深刻な表情でそう語り終えた日比谷に私もショートの少女もぽかんとしてた。ただ1人回想を終えた本人だけがなんとも言えないムカつく空気感を漂わせて余韻に浸ってる。


「……可愛いだけじゃなんにもならないんだよ。でも……可愛いしかないんだから。私は可愛いければ生きていける……」

「……日比谷さん」

「だから、そんなに否定しないで。私を…」


 なんだこいつ。自分が可愛い前提で話すな。ムカつく。


 ショートの少女はなんと言えばいいのかと思案するような顔。日比谷は何か言えと言わんばかりにスタンバってる。


 少しの間を置いてショートの少女は唇を開いた。


「……それと私にエロ本を押し付けたのとどう関係が?」

「あれ?話聞いてた!?私は可愛いくなきゃいけないの!可愛い人はエロ本読まないの!!私がそんな人って知ったらみんなガッカリするじゃん!?」


 暴論……


「私はみんなの為に可愛くなきゃいけないの!アイドルになれなかったとしても私は可愛いの!そういうこと!!」

「……?」


 ?


「つまり可愛いは正義なの!!」

「……?」


 ?

 もう分からん。

 つまり過去の失敗を拗らせて自分は可愛いことに異常なこだわりを持つことになったと……

 で……エロ本を学校に持ってきてバレそうになったからショートの子のせいにした……ってところか。

 なぜから可愛いくないといけないから。可愛い人はエロ本読まないから。イメージが悪くなるから。


 私は可愛いくないといけないからそれも仕方ないよね?肯定して!ってこと……


 ????


「……あの」


 ショートの少女は意を決したように日比谷と向かい合う。そして告げる。


「……可愛いからって何してもいいって訳じゃない」

「!!」

「それにアイドルになれなかったのは歌とかダンスが出来なかったからでしょ?アイドル志望なんて可愛い子いくらでも居るんだからただ可愛いだけの子より歌って踊れて可愛い子の方がいいに決まってる」

「!?」

「日比谷さんは可愛いからアイドルなれるでしょ?って安易に考えて失敗したからひねくれてるだけだと思う」

「!!!!?」


 ベッドに沈む日比谷。メンタルの許容量を超えたダメージ。もやしメンタル。

 そりゃそうだろう。だってこいつ話を聞く限り甘やかされて育ったただのわがまま娘だし……


「……こ、この私にこんなはっきりと……」

「……日比谷さん。もう少し大人になろう?嫌われちゃうよ?友達居ないでしょ?」

「!?凪に言われた!?」


「日比谷さん」とショートの少女、凪は日比谷の手を両手でそっと包み込む。表情に浮かんだ柔らかい感情を帯びたような目は慈愛に満ちた聖母のよう……

 いやただの残念な子を見下す哀れみの目だ。


「日比谷さんが昔色々あって、日比谷さんにとって可愛いってことが大事なことなのは分かったし、日比谷さんは可愛い。でも、可愛いだけじゃ本当に魅力的な人にはなれないと思う。私は日比谷さんに見た目に負けないくらい中身も素敵な人になって欲しい」

「中身が負けてるってこと?地味に人間性否定された?」

「日比谷さん。大丈夫……エロ本持ってることなんて恥ずかしい事じゃないよ」


 いや恥じろ。学校に持ってくんな。


「今からでも先生に謝りに行こう……私がついてる。一緒にいる。強くなろ?日比谷さん」

「……凪」


 ……さりげなく自分の名誉回復を計ってる?


 くっそペラッペラな内容の2人のやり取りは熱を帯びて、日比谷と凪は力強い抱擁を交わす。


「……私、可愛いだけじゃなくて魅力的な人間になる」

「うん……応援する」


 2人は背中を向けた私に向き直って「行きます。ありがとうございました」と丁寧に頭を下げてきた。早速礼節を知りひとつ魅力的な女にランクアップしようというのか。


「……ああ、いってらっしゃい」


 いってらっしゃいってなんだ?私まで流されてる?


 2人は私の言葉に深々と一例して保健室を出る。1人の人間の成長への第一歩を見届けた見届け人に対して最大の礼を尽くしてるようだ。


 ……こうして。

 またひとつの小さなドラマを産んだ保健室は再び静寂に包まれた。

 あの子のこれからの人生が、今日のお陰でどれくらい変わるのか……

 それは誰にも分からない……


 ……面白いけど、ナルシストすぎてムカつくからあの子、もう来ないで欲しいな。

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