第2話 ヒトは野糞してた時代に戻ってはいけない
--拝啓
お父様、お母様、お元気ですか?
僕は今年から高校生です。日々の努力の成果もあって、無事希望した高校に入学出来ました。
これも全ておふたりのおかげです。この感謝を忘れずに、新しい学び舎でも日々精進して参ります。
ところで、今日入学式が終わって、銀行に寄りました。
「勝手に喋ってんじゃねー!!ぶっ殺すぞ!?」
お父様、お母様--
僕は元気でやってます。
ただ……
好きな時にトイレに行けない……
どこにでも当たり前にトイレがある、そんな恵まれた環境に慣れすぎた僕には、降って湧いたこの緊急事態は、耐え忍ぶに辛く……
もし……もし僕がダメだったら、その時は温かなお風呂と、新しいパンツを用意して、涙に濡れた僕を優しく出迎えてください。
よろしくお願いします。
敬具
*******************
生まれ育った桜の街で今日、新生活をスタートさせたただの高校生。
ただ俺は今日、誰でも経験できないような貴重な、そしてはた迷惑な事態に直面している。
「動くんじゃねー!!妙な動き見せたらぶっ殺すぞ!!」
--入学式の帰り、ふらりと立ち寄った銀行で俺は大きい方を催した。
ATMコーナーにトイレがないもんだから、ロビーの受付でトイレを借りようと声をかけたその時……
響き渡る銃声。鼓膜に叩きつけられる爆音にフリーズする体。
飲み込めない事態に流されるまま他の客と同様に両手を縛られ1箇所に集められた。そこまで来てようやく俺は銀行強盗に巻き込まれたんだと自覚する。
そして現在--
あれからどれくらい経っただろうか…?数時間?いや、きっとまだ30分も経ってない。
閉められたシャッターの外の様子は伺えないが、外には警官隊が集まっているようだ。
それを察したのか犯人たちは目的の金銭を入手して尚、ここでの籠城を始めた。
……さて、現状を整理しよう。
俺たち人質は両手を後ろで縛られ抵抗できない状態でロビーに拘束されてる。
ロビーのシャッターは閉まり退路はなし。
犯人たちは3人で各々散弾銃を持っている。
要求した金の準備中に銀行員が1人撃たれた。命に別状はなさそうだ。
そして……
俺は催してる。しかも、“大きい方”をだ。
俺が今やらなければならないこと。
それは現状打破……この状況--要するに俺の腹の中で溜まっている老廃物の排出に全力を注がなければならない。
しかし、その為の“場”は悲しいほどに整ってない。
現代社会では皆トイレで排泄をする。常識だ。そしてここはトイレでは無い。
こんなところでブリっといったら自由の効かない体勢で長時間、悪臭を撒き散らしながら尻にへばりつく排泄物と付き合わなければならない羽目になる。尻がかぶれるわ。
ヒトはそこら辺で野糞してたあの原始時代に逆行してはならない。
ではどうするか?
結論はシンプルだ。トイレに行けばいい。誰もが当たり前に行っている現代人としてのマナーを今まで通りにスマートに行うのみ……
しかしそのトイレまでが遠い……
銃口を突きつけられたこの状態。下手に動けばドンッと撃たれるかもしれない。
洒落にならない。あんなものにぶち抜かれたら血と臓物と茶色い排泄物が辺りに四散する。
てか普通に怖い。声掛けらんない……
いや落ち着け。昔何度も似たようなシチュエーションがあったじゃないか……
小学3年生のあの日…授業中我慢できなくなった尿意…
どーしても先生に「トイレ行っていいですか?」の一言が言えなくて…
そのまましかぶったっけ?
ただの黒歴史じゃねーか。
いやそうだ、あの時も今も同じだ。また繰り返すのか?あの時ほんの少しの勇気を絞り出せなかったばかりに残りの3年間を『股間がマーライオン』という不名誉なあだ名で過ごしたあの後悔を……
人はなんの為に誤つのか……
学ぶため、前に進む為……そうだろう?だとしたら俺はあの時のままではだめだ。
ただ一言…「すみませんトイレに行きたいんですけど」それだけだ。
漏らす訳にはいかない……奴らだって糞まみれの人質と籠城は御免だろう。
言え、言うんだ……
「動くなっつってんだろっ!!」
シャッター付近でモジモジしてた人質に怒号が飛ぶ。母親に寄り添う小さな子供がその声に泣き出した。
……いややっぱり怖いわ。
学校でトイレ行くのとは訳が違うわ。
こんな状況下で「う〇こ行きたいです」なんて言えるやつはよっぽど図太い神経の持ち主だけだ。だってくしゃみしただけで撃ち殺されそうな雰囲気だもの。
警察に囲まれた奴らはそれくらい神経質になっていた。
……あぁー、だめだ。言えない。とてもじゃないけど……
こいつらに話しかけるくらいならここで脱糞する方がまし……いやないな。それも無理。ならばどうする?
命と尊厳を天秤にかけ、そこにほんの少しの勇気を上乗せする…俺は命を掛けてでも己の尊厳を守る。
大丈夫…トイレに行ったくらいでぶっ殺されやしない。うん。
あとは過去を乗り越えるだけのほんの少しの勇気を……
……いややっぱりどう考えても怖いわ。
ああーっ!こんなことなら今日キムチ食べなきゃ良かった!キムチのせいじゃないけど。
--ぐぅぅぅぅぅぅっ、きゅるきゅるっ!!
……やばい。緊張で余計に腹が……
--ぶっ!!
……あ。
「ん?」
肛門を閉めようと力んだら丁度なタイミングでケツ穴からガスが炸裂。
その場の全員の視線と銃口が俺に集まった。
やばぁぁぁぁぁいっ!!臭ぁぁぁぁぁぁいっ!!
激&臭。向けられた銃口より自分の腹から溢れ出た臭いに戦慄。焼肉の後の屁の殺傷力は核にも匹敵するかもしれない。これを至近距離で人に浴びせたら殺人罪になる。
「おい、誰だ?」
「……あ、すんません。出ちゃいました」
犯人たちの狂気に染った目が俺に浴びせられる。トリガーに指のかかった散弾銃が至近距離に突きつけられた。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいっ!
殺される!!めっちゃ怒ってる!!屁こいただけなのに!!
「くせぇよ」
「あ……すみません。気をつけます」
殺される殺される殺される殺される殺される殺される!!
迫る命の危機。それに比例して極度の緊張が腹を刺激する。増していくキリキリした痛み。迫る脱糞の危機。尊厳の危機!
「次出したら頭吹っ飛ばすぞ!!」
苛立ちの篭った声を吐き捨てて犯人たちは俺の元から離れていく。
……とりあえず命は取られなかった……
しかし、危なかった。肛門が。今の屁は一瞬実が出たかと思った。
……いや、もしかしたら少し出たかも……確認しようにも手が動かせない。ケツの筋肉を器用に動かしながら尻の肉を擦り合わせて感触を確かめる--
……ん?
刺すような視線。向けられる眼光。それは真横からやって来ていた。
おいおい誰だい俺を睨んでるのは?確かに屁臭いけど、これは不可抗力だろ?生理現象じゃないか。
浴びせられる熱視線に俺も応じるように横を向く。
そこに座ってた人質は、10代の少女。
ぱっちりした目元と、セミロングの黒髪。顔立ちの整った美少女。
あらヤダタイプ……
でも耳にジャラジャラ空いたピアスたち、黒髪をかき分け覗くシルバーのインナーカラー。
ギャルっぽいような……違うような……
なんだか不思議な少女--
ってウチの高校の生徒やないかい!
身に纏った白いブレザーとスカート。下の黒いワイシャツと白いネクタイ。
俺の身につけている制服と全く同じだ。
「……ん?何か?」
驚いた。まさか銀行強盗に巻き込まれた人質が同じ学校の生徒ってどんな確率?まさか運命?ウン命?ウ〇コだけに。
だめだ。腹痛すぎて思考が全部茶色い方に行く。
「いやなんでも……あるわ!お宅屁臭すぎやろ。びっくりしてもうたわ!」
……関西弁?
えぇぇ、キャラじゃねぇぇぇ……
「ペラペラ喋ってんじゃねぇっ!!ぶっ殺されてーのか!!」
うわぁ怒られた。
すんごい顔で吠えるもんだから思わず頭を下げて視線を外してしまった。
--ぶぶっ!
……あ。やば。
お腹を曲げたせいで…押し出された老廃物が……
ちょっとこんにちはしちゃった。
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