第8話
「え、何か言ったか?」
「な、なんでもないでしっ!」
「でし……?」
そわそわ、そわそわそわ、顔が紅潮したままミスティアはどこか落ち着きがなく。
「わ、わたひの。へ、部屋はここですか!?」
言葉を完全に崩したまま寝室の扉を指差してアプロに問いかけるミスティア、慌てて渡された鍵を受け取るとおやすみの挨拶をしてさっと扉を閉めようとしたが……。
「何言ってるんだよミスティア」
ドンッ、とアプロは閉まる扉に片足を挟んだ。
「え、え!?」
「寝るにはまだ早いぞ」
「ちょ……ちょっと!! まだ心の準備が……!?」
「よくわからないけどこのままじゃ寝れないだろ、行くぞ」
「ふ、ふええええ!!」
ミスティアの手をアプロはぎゅっと強く掴み、アプロは部屋から連れ出すと疲れた身体を癒やす為、ある場所へと連れて行く事にした……。
◇ ◇ ◇
……そこは、小さな岩が全体を囲む1つの湯船だった、周囲が見えないほどの深い湯気に囲まれ、ミスティアは1人ぽつんと銭湯を楽しむ。
「アプロさんがえっちな事をするんじゃないかと、考えていた私が恥ずかしい……」
装飾の草むらに取り付けられていた湯を溜めた『ししおどし』がカポン、と一度音を鳴らして落ちた、岩盤の湯船は大勢の人が入れるほどに広く、ギルドから少し歩いた場所にあるこの銭湯は主に旅で疲れた冒険者が利用していた。
「……アプロさん」
全身をタオルで覆い、髪を結んでいたミスティアはアプロの事を考え続けた。
少し間が空けば照れる感情を隠すように両手でお湯をすくい鉄砲のように軽く飛ばし、今度は湯船に唇を近づけぶくぶくと泡を立てた後、端に身体を寄せては満天の星空を見る。
「私、アプロさんのパーティの1人として務まるのかなあ……」
ミスティアはこれからアプロが作るパーティの事、自分の実力、アプロへの思い、それぞれ複雑に考え、難しい顔で悩んでいると隣の壁の方からアプロの声が聞こえてくる、その事にバシャバシャとミスティアは立ち上がって応対した。
「ミスティア、湯加減はどうだー?」
「あ……とっても気持ちいいですよ!!」
「そうかー」
少し間が空く、話題を探しているのかアプロは言いづらそうにミスティアに問いかけた。
「なあミスティア、少し言いたい事があるんだけどさ」
「え、な、なんですか!?」
アプロの声はどこか沈んでいた、その低いトーンに一体どうしたのかとミスティアは不安な表情で問いかける。
「その……俺の力が無くなって、弱くなってもさ……俺のパーティを抜けないでくれ」
アプロはミスティアがパーティから抜ける事に不安を抱いていた、当たり前のように疑問を投げるミスティア。
「ど、どうしてですぅ?」
「うーんと、この力が発揮している以上、俺は誰にも負けないと思う、でもその力しか見えていない者達が今後、俺を利用しようとしてパーティに入るかもしれないだろ?」
「は、はい」
「そこでほら、ミスティアがさ……その1人だったら、なんか嫌だなって……ちょっと考えたんだ」
「あっ……と」
自分の力を利用するだけ、そんな考えの者達が集まれば人を信じられなくなる、だからアプロは忠告するように、そして今後を確認するようにミスティアに問いかけたが……もちろん、ミスティアはこのパーティに入った時から答えをとっくに決めていた。
「……大丈夫ですよ」
ミスティアは湯船から立ち上がり、子供の容姿とは裏腹に色っぽく、そして優しく包む母親のような表情でゆっくりと男湯を隔てる壁1枚を触ると、身体を密着させアプロによく伝わるよう呟いた。
「私は、ここにいたいです、アプロさんの作るパーティを見てみたいから」
声を少し大きくすればその場でも聞こえたのに、なぜミスティアは身体を密着させたのか?
それは、ミスティア本人しかわからなかった。
「ありがとう、ミスティア」
ミスティアの配慮によって1つの不安を拭えたアプロは安心して尋ねる。
「ところでミスティアはどうして俺のパーティに入ろうと思ったんだ?」
「えっと……それは……」
それは……そこで言葉を止めたミスティアの頭はグルグルと高速で回り始め、トマトのように一瞬で顔を赤くする。
「それは……」
もし告白して撃沈してしまったら?
片思いで終わってしまったら?
そう思えば思うほどミスティアは更に戸惑いを見せ、自分でも何を考えているのかわからなくなっていた。
「それは?」
「その……」
ぷしゅーっ。
思考を巡り過ぎたのか、暴走したミスティアは奇行に走ってしまい、唐突にバシャーンッ、と自分の顔を湯船に埋めてしまう。
「一目惚れだったんですーーーーー!!」
そして聞こえないようぶくぶくと水中で、アプロに言えない事を叫ぶと両者の考えは綺麗にズレていった。
「ミスティア、大丈夫か!?」
何者かに襲われたと勘違いしたアプロは薄い木の板を拳でぶち壊し、女湯へと侵入すると「ふえ?」と驚いて水中から顔を出すミスティア。
「び……びやああああああああああっ……!!」
偶然にも腰に巻いていたアプロのタオルがパサリと落ち、綺麗で、恍惚で、最強の聖剣エクスカリバーが顔を出すとミスティアの咆哮は夜空へ向かって三度響く……そのまま泡を吹いて背中から水面へと沈んでいってしまうと、気絶したミスティアを抱きかかえてアプロは。
「み、ミスティア……のぼせたのか?」
と、鈍感というラインを遙かに超えた発言をし、不思議に何度も首を傾げる……。
◇ ◇ ◇
次の日の朝、疲れが取れたミスティアはパチリと目を開けた、窓の外から小さく、リズムの良い声が聞こえてくると可愛く耳を上下にピョコピョコと動かす。
「んみっ……なんですう?」
窓の外から何度も繰り返される声、その声が何かを知るためにミスティアは眠い目を擦ってむくりと上半身を起こすと、自身が着ていた服に疑問を持ち始めた。
「あれ? なんか……?」
何故か乱れていた服の紐結びを直し、夜に汗をかいたのかベッドからは大量の湿気を感じ、昨日の事をぼんやりと振り返る。
「アプロさんと銭湯に行ったとこまでは覚えているんですが……」
あれは全て夢だったのだろうか、そんな事を思いながらとにかく声の正体を知る為に、寝ぼけ顔とボサボサの髪を結び、窓の方をグイッと覗き込んだ、すると――。
「プップップ、おいしいクレープはいかがっすか~?」
窓の下から聞こえてきたのはクレープ屋だった。
「わあ! 歩くクレープ屋さんですっ!!」
動く大型の馬車と、それを人々が囲みながらゆっくり移動するクレープ屋、クレープが大好きで単純なミスティアにとって、誘われるその言葉は迷わず『食べに行こう』という考えになり、両手を合わせながらウキウキとした足取りと表情で部屋を出ると、アプロも誘う為に部屋の扉を数回コンコンと叩いた。
「アプロさーん、朝はクレープ食べましょーっ!」
しかしアプロはまだ眠っていたのか、「んー」というやる気のない声が聞こえ、再度尋ねるミスティア。
「クレープ、食べにいきましょうーー!!」
「んー」
「おいしいクレープですよ!!」
「んーっ……」
「アプロさーーーん!!」
「ん」
うるさいと感じ、寝ていた部屋のベッドで毛布を頭に被ってゴロンと寝返りを打つアプロ。
「ま、全く起きる気ないです……」
実はアプロはミスティアが湯船に倒れた日、駆けつけた他の冒険者から『なぜこうなったのか、どうして女湯に入っているのか』という説明と弁償に追われ、自身の寝る時間が削られていた。
徐々に遠ざかっていくクレープ屋の声にミスティアは焦りながら、とりあえずアプロの分を含めた2つを買ってきてあげようと急いで支度をして階段を下りると、ギルドの扉を開ける。
「わたし、アプロさんの分も買ってきますー!!」
――。
――――。
外へ出るとざわざわと人々の声が大きくなり、馬車を囲んでいた人数は先ほどより増えていた、子供から大人まで見物人も増えてしまい、この周辺は一種のイベント騒ぎになっていた事にミスティアは驚く。
「すごいですー!!」
ここに集まっては迷惑になると判断した馬車の運転手は軽くムチを叩き、馬はパカ、パカと先ほどより早く移動を始める、大きい車輪がぎこちなく動き、その後ろに牽引するように取り付けられていた謎の長方形の箱、周りは布が被っており中の様子を見る事は出来ない。
この馬車が『本当に』クレープ屋であるならば、箱の中でクレープを作っていると考えるのが妥当であるが……。
「おいクソ女!! 手を休めんな!!」
「うっさいわね筋肉バカ!! ……はあ、団長の命令だから仕方なくやるけどお、こういうの私達幹部より下っ端がやる仕事じゃないかしらぁ?」
「まともなクレープ作れんのが俺とお前しかいねェからだろ」
馬車の中では2人の男女が問答と罵倒を交わす、その男女は同じ円卓の騎士メンバーであるルーヴェルとへランダだった。
「ったくボルグのミスをなんで俺達が……」
愚痴るルーヴェル、アプロも含め欠けてしまったパーティメンバーを補充しろという使命をテスター団長から受けており、上手くメンバーを増やす事が出来れば団長から更なる信頼を獲得出来ると約束されていた。
「はーあー、団長と一緒に作りたかったわあ」
ブツブツとヘランダも言葉を止めない、大変仲の悪い2人は柄にもなくクレープを売るが、その責任の中心人物であるボルグはどこへ行ったのか?
それは――。
「おじちゃんクレープーっ」
「おじちゃんじゃねえ、お兄さんだ……。ったく、追加のクレープ1つお願いしまーす」
馬にまたがり、ムチを持っていた髭もじゃの男ボルグは、こんな仕事やりたくなさそうな棒読み声で中にいるルーヴェル達に頼む。
「ちょっと待ってろ!!」
手を激しく動かしながらルーヴェルは強く返事をすると、作業台にあった薄いクレープの生地を取り、包んだ生地の中にクリームを入れてはへランダへとバトンタッチする。
もちろんそれで完成とはいかず、ルーヴェルから手渡されたヘランダはイチゴなど、おいしそうなフルーツを丁寧にクリームの上に乗せ、出来上がったクレープを持って外へと出ては笑顔で手をあげていた子供に手渡した。
「大人の人達は押しちゃだめよー、1人ずつ順番ね」
子供が奥から押しつぶされないよう、安全に距離を取る事を大人に強要し、優しく笑顔で手を振ってクレープを渡すヘランダはなんだかいつもとは違う別人に見えた、ボルグはバカにするようにへっと鼻で笑うと、その動作に気付いたヘランダは何か言いたげな表情でルーヴェルに詰め寄る。
「なんで笑ったのよ今」
「いや、お前みたいなシワくちゃのババアが笑顔で演技してると思うと腹が痛くてな」
「なっ……なんですって!!」
仲が良いのか悪いのか、ルーヴェルとヘランダはいつもの押し問答を始め、昨日の前衛と後衛についてどちらが悪いのか口論を始めてしまう。
「子供を思うのは当たり前でしょうが!! そんなんだからいつまで経っても無神経ゴリラなのよ!!」
「んだと!? テメェは人の事思う前に詠唱を早くしろよ!! 毎回毎回なァ、回復魔法がおせえんだよ!!」
「遅いのは詠唱中に魔物に襲われないか安全を確認してるから! 無神経過ぎて当たり前の事もわからないの!?」
「んだァ!?」
「なによ!!」
「あー取り込み中にすいやせん、そろそろ始めてもいいんじゃないすか?」
激怒した2人がやり取りをしている中、なかなかクレープが運ばれて来ない事に痺れを切らしたボルグはそろそろこんな『茶番』を止め、団長が考案したある計画を始めて良いのかと確認を取った。
「そうね……。そろそろいいでしょう」
ふーっ、ふーっ、と息を切らしながらヘランダはコホンと一呼吸して落ち着きを取り戻すと、計画を実行するとボルグに伝える、それを聞きニヤリと悪い顔で了承したボルグは馬車の外へと身体を移し、クレープを待っている者達に向けて叫んだ。
「すまねえ! 在庫がなくなった!!」
「「えええーーー!!!」」
ミスティアを含めた馬車を囲んでいた者達はまだ受け取っておらず、ぶーぶーと飛び上がって不満の声をあげた。
「わかったわかった、食べたいって人は着いてきてくれ、在庫を用意するっ!!」
「「はーい!!」」
ボルグの言葉に納得し、馬車の後にぞろぞろと続く集団……もちろんミスティアは追いかけるか悩んでいた。
「んー……ここまで来たらどうしても食べてみたいですっ!!」
こんなに人が大勢並ぶのならまずいはずがない、美味そうなクレープをアプロにも届けたいと優しさ全開のミスティアは集団の後ろについて行ってしまうが……。
その馬車は、徐々に人気の無い場所へと向かい始めていた。
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